【掌編小説】夏祭り行こっか
「夏祭り行こっか」
夜のオフィスで残業していると、先輩社員の小野さんが突然そうつぶやいた。
小野さんはクール女王と呼ばれるほどの女性でバリバリの仕事人間だ。
少しのミスも許さず自分にも他人にも厳しい切れ者である。
そんな彼女がパソコンをカタカタやりながら「夏祭り行こっか」とつぶやいたのだ。
思わず二度見してしまった。
「夏祭り……ですか?」
僕は手を止めてそう尋ねた。
「うん、夏祭り」
小野さんは答えながらも超スピードでキーボードを打ち込んでいる。
今、このオフィスには僕と小野さんしかいない。
だから彼女が誘った相手は必然的に僕になる。
けれども僕には信じられなかった。
バリバリの仕事人間である小野さんは仕事のできない社員が大嫌いなのだ。
僕のような落ちこぼれ社員は目の敵くらいに思っているはずだ。
現に今、こんな時間まで残業してもらってるのは僕のミスの尻ぬぐいをしているからである。
そんな彼女が「夏祭り行こっか」なんて誘ってくるわけがない。
「い、いえ、けっこうです」
彼女の真意が読み取れずとりあえず断ると、小野さんはギョロッとした目つきで僕を睨みつけてきた。
「なに? 嫌なの?」
ひいっ! と肝を冷やした僕は慌てて「行きます! 行きます!」と答えた。
「じゃあ速攻で終わらせるわよ」
「でも僕が一緒に行っていいんですか?」
「なんで?」
「だって小野さん、僕の事……嫌い……ですよね?」
こういうことを当人に聞くのは気が引けるけれども「なんで?」と尋ねられたら聞かないわけにはいかなかった。
すると小野さんは初めてパソコンの手を止めて「はあ?」と眉を寄せた。
「誰がいつそんなこと言ったのよ?」
「いや、まあ、誰も言ってませんけど」
確かに考えてみれば「嫌い」だなんて一言も言われてない。
醸し出す雰囲気でなんとなくそう思っていただけだ。
「勝手に人の気持ちを決めつけないでちょうだい」
「すいません」
「嫌いって何よ、嫌いって。……むしろ逆なのに」
ボソッとつぶやいた小野さんの言葉に僕は「はい?」と聞き返した。
「なんでもないわよ! ほら、手が止まってる!」
「は、はい!」
カタカタとパソコンを打ち込みながら僕はなんだか心が軽くなった気がした。
小野さんは僕のことが嫌いじゃなかった、それがわかっただけでもすごく嬉しかった。
「なにニヤニヤしてるの」
「いえ」
その時、オフィスの窓から花火が見えた。
「あ、花火」
小野さんとオフィスの窓から見る花火は一層美しく見えた。
お読みいただきありがとうございました。
こちらは何年か前にラジオ大賞用に書いた掌編小説でしたが、未投稿のままとなっていました。
今回、投稿できてよかったです。
皆様も素敵なサマーライフを!