思い出倉庫の受付係と常連客〈二次創作〉
しいな ここみ 様 主催の『リライト企画』(企画期間:R5.10.15〜R5.12.31)の参加作品をリライトした作品です。
作者:しいな ここみ 様 の詩作品『思い出倉庫へようこそ 4177』 https://ncode.syosetu.com/n2251im/ が未読の方は、そちらからお読みください。
「僕の大切な思い出を預かってください」
毎週木曜日、閉店時間が近付く頃、その男性客は、私に小さな花束と思い出を預けていく。
訪れるのはいつも午後。
時間はまちまちだが、早い日だと13時過ぎにはやって来て、遅い日でも17時前には来店する。
店での滞在時間を、男性客は店内のベンチに腰掛け、時折こちらを見ながら読書をしたり、パソコンを広げ仕事をしたりと、静かに穏やかに過ごす。
そして、思い出を預けるため、窓口の私に声を掛けに来るのは、閉店時刻18時の、だいたい30分前と決まっていた。
彼はここ、思い出倉庫に出入りしている業者の作業員で、毎週木曜日の朝、コピー機のメンテナンスに来ている。
木曜日は半日勤務で午後は基本休みらしいが、日によっては幾らか残業もするとのことだ。
なぜ私が彼のことをよく知っているかといえば、彼がここに通うようになって、もう3ヶ月になるからだ。
ここ思い出倉庫に預けられる思い出は、必ずしも楽しいものばかりではない。
辛い思い出、悲しい思い出、苦い思い出、忌々しい思い出……消してしまいたい思い出の方が多いくらいだ。
人はすぐに過去に囚われてしまうから、前を向くために、前に進むために、客はここに思い出を預けていく。
また、最近は終活の一環でここを利用する客もいる。病気で消えてしまいそうな思い出を、また、死んで消えてしまうかもしれない思い出を、目に見える形として残したいのだと彼らは言う。
預け入れ時の申込書での意思表示により、本人の死後は家族からの申し出で故人の思い出を返還したり、春と秋の彼岸に行う供養祭で火を焚き昇華させたりする。
毎週木曜日の男性客は、その日の朝ここで仕事をしてから、再度来店して思い出を預け入れるまでの、私 の思い出をいつも預けていく。
ここ思い出倉庫には、私も思い出を預けている。
それは、恋に恋したような、惨めでみっともない、肌を掻きむしりたくなるような恥ずかしい思い出。
預けてしまう前に、思い出を何度も何度も思い出してしまったから、本体の思い出は預けて残っていなくても、思い出を思い出したことが完全にはひとまとめにできず、幾らかぼんやりと残っている。
死んでしまいたいような自己嫌悪はもう消えたけれど、二度と恋はしたくないと思った感情が、今もじとりと残っていて、恋そのものにはもう踏み出せない。
直面しても、手が震え、足がすくむ。
逃げ出してしまう、ずっとそう思っていた。
「貴女のことが好きです」
想いを告げられたのは、前任者からの入れ替りで彼がここの担当になった、最初の日。
作業を終えた彼が差し出した書面に、確認のサインをしていたときだった。
一目惚れなのだと、そう言った彼には軟派な感じはなく、表情と丁寧な物腰から、彼の緊張と、誠実さが伝わってきた。
「恋は、もうしないことにしているんです」
自分という存在を守るために、過去の思い出を切り取った。
「恋は、私にとって楽しいものではありませんでしたから。ごめんなさい」
真っ直ぐに好意を伝えてくれる相手に、期待を持たせる言葉は失礼だと思った。
だからその場できっぱり、断ったつもりだった。
夕方、彼は小さな花束を持って再度店を訪れた。
けれど話し掛けてくることなく、一時間ほど、彼はベンチに座って本を読んでいた。
店仕舞を少し意識し出す時間になった頃、ようやく彼は窓口にいる私に声を掛けた。
「帰ってからも、ずっと貴女のことを考えていました。今朝貴女に会って、断られても貴女のことが頭から離れず、もう一度貴女を前にして、僕はやっぱり、どうしても、貴女に惹かれているんです」
そして、可愛らしい小振りな花束と、思い出を預かった。
「何度でも、僕は貴女に会うたび、きっと恋に落ちますから」
毎週木曜日、毎回少しずつ違う花束に鼻を寄せ、深く吸い込み、胸いっぱいに香りを満たす。
肺の内側から、身体の中から、心にふわりと触れてくるその香りを、優しさを、愛しくかけがえのないものだと思うようになったのはいつからだろう?
「貴女の心の凝りがいつかほぐれたときに、僕の大切な思い出を全て、僕に返してください」
彼の希望で、返還のタイミングは私に委ねられた。
私が毎週断るから、彼が私に向けた好意はここに預けられ、貯まっていく。
毎週木曜日の午前、私に恋をして、「好き」だと伝えてくれる人。
「否」との答えを受け取った後も、店仕舞いが近付く時間まで私への想いと真剣に向き合って、考えて、もう一度その好意を私に伝えてくれる人。
彼からの好意を受け取りたいと願ったとき、彼が私に抱いた「好き」の思い出全部を、彼に返還することになっている。
「帰ってからも、ずっと貴女のことを考えていました。今朝貴女に会って、断られても貴女のことが頭から離れず、もう一度貴女を前にして、僕はやっぱり、どうしても、貴女に惹かれているんです」
今日の分の好意と花束を受け取って、私は3ヶ月分の私への彼の好意を、彼に返した。
恥ずかしくて、手に持つ小さな花束越しに彼を見遣れば、泣きそうなくらいに優しい笑顔で、私に「出逢ってからずっと、貴女を愛しています」と伝えてくれた。