6.ナザン
慣れたものですから、わたしも当たり前のように背中にまたがります。花束や荷物をしっかり持ったまま、ユーリくんにもしっかり掴まります。
その気になれば、この背中にまたがったまま弓を射ることもできます。そのくらい慣れた背中です。
「がう」
狼の口からそんな言葉。行くよと言ってますね。直後、彼は駆け出しました。
わたしはさっき、森の中に獣道もないと言いましたけど、どうやら間違いだったようです。道はちゃんとありました。ワーウルフにしかわからないだけです。
森の地面には背の低い草や苔が生えていて、土の露出はあまりなく緑色が目立ちます。けど、所々に土の色が見えました。
ユーリくんの足が、的確にその土を踏んで跳び、次の土へと繋げていきます。これが道なんですね。
何度か往復しないと、どこを踏めばいいかもわからないでしょう。けど、ここを踏めば行きやすいという道は確かにありました。
そんな風に森の中を飛び回るユーリくんに、わたしは必死にしがみつきます。
木々の間や、ごつごつした岩場。さらに流れの早い川も飛び越えて、どんどん走っていきます。これは確かに、人の足では行けませんね。
森の中を進みつつ、山をだんだん登っているように思えました。里は山奥にあるんでしたっけ。
自分たちしか入れない場所なら、ワーウルフの皆さんがそこに住み続ける理由もわかる気がします。
その後もしばらく森の中を走り続けると、急に視界が開けました。
山の斜面の上に立っているのはわかります。それでも水平な場所を斜面の中にいくつも作って、その上に建物や畑がある。そんな景色が広がっていました。
里全体が坂に沿って作られているのですが、切り開いて段々の形に整えているのですね。たしかコータさんの世界に、棚田という農作地があったと聞いたことがあります。それを建物にも応用しているということでしょうか。
里の中央に川が流れています。なので水には困らないようですね。馬や牛といった家畜の姿はあまり見られません。
農作地では、馬の代わりに狼が働いていました。大きな貨物を運ぶのも、馬車ではなく狼です。
ワーウルフさんなのでしょう。人が指示をしなくても、勝手に動いています。
人も多くいます。みんなユーリくんと同じように、上半身はかなりラフな格好です。簡易的な服を羽織っただけ。
女性は、さすがに胸に布を巻いていますけど、やはりいざとなれば簡単にほどけるのでしょう。下も巻きスカートばかりのようですし。
「ここが、ワーウルフの里」
人間に戻ってローブを羽織り直したユーリくんが説明してくれます。なるほど、ここがユーリくんの故郷ですか。
「お前、まさかユーリか?」
里と森の境目で止まっていたわたしたち、正確にはユーリくんに、突然声をかける人がいました。
目を向けると、年上の男性でした。十六歳くらいでしょうか。
引き締まった体をしていて、なかなか背が高いです。短く刈り上げた髪は茶色でした。
「ユーリじゃないか! 久しぶり! ここを出て何年になる?」
「三年くらい?」
「そうか!」
その男性は笑顔で頷くと、突然踏み込んでユーリくんに殴りかかりました。
……え?
いきなりなにしてるんですか、この人は。
ユーリくんはと言えば、表情ひとつ変えることなくこれを回避します。表情が変わらないのはいつものことですが、随分と慣れた様子です。
男性はさらに踏み込んで、今度は回し蹴りを放ちました。ユーリくんはそれも、後退って回避します。鼻先を靴が通り抜けました。ギリギリで避けてます。ていうか、この人容赦なく顔を狙ってますよ!
その後もユーリくんは、何度も攻撃を避け続けています。わたしはどうすればいいのでしょう。加勢すべきでしょうか。
旅の中では、もっと恐ろしい怪物と戦ったことも何度もあります。この程度の男がなんだというのですか。やってやりますよ。
弓を使うべきでしょうか。それかナイフですね。ユーリくんが引きつけている間に、背中から接近してぶっ刺してやりましょう。
「あ、待って」
ユーリくんがわたしをちらりと見ると、男性の拳を手で受け止めました。自分より上背のある相手からのパンチなのに、余裕そうです。
そして、わたしの方にも手のひらを向けています。「待て」のジェスチャーですね。
「フィアナ、これはいつものこと。取っ組み合いとか。お互い鍛えるためにやってる。でもナザン、いきなりはびっくりする」
「悪かったね! けど、そうでもしないとユーリには勝てないからな! それに、驚いているようには見えないな」
「驚いてる」
いえ、わたしから見ても、これは驚いていません。ユーリくんは、この男性、ナザンさんの行動を完全に読んでいました。
さすがです。避けてばかりで反撃しなかったのも、相手が疲れた頃合いを見て一撃で決めるためとかでしょう。
しばらく会ってないのは間違いないですし、相手の出方を見極めるためにも、まずは回避を続けるのは有効なのだと思います。この里を出て、三年くらいになると言ってましたし。
「え。ユーリくん、三年前って九歳とかですよね? その時から、里の人と殴り合いとかしてたんですか?」
「してた。……本気でやってるんじゃない。じゃれ合い」
いえ。さっきのナザンさんの動きは本気でしたよ。
ワーウルフの里、本当になんなんですか。わたしの村の男の子も、そりゃ少しは取っ組み合いの喧嘩とかしてましたよ。冒険者の真似とかで、格闘ごっことかも見ましたよ。
けど、なんなんですかこれは。