35.丸く収めたい
「アイシャ。すまないけど、君の部屋も見せてほしい。疑っているわけじゃないんだ。ただ、可能性はすべて潰さないといけない。もちろん、君の家に無かったら、他の家も探すよ」
そこにあると、トーリさんは知っていて、こういう言い方で揺さぶります。
いじめているわけではありません。なんとか、事を荒立てずに終わらせるためです。
そのために、トーリさんはすぐに続けました。いつの間にかアザンさんへのお願いというより、皆さんに語りかけるような口調に変わっています。
「わかっている。もちろん、年頃の娘の部屋に、男が大勢入るのが良いこととは思わないよ。アイシャが嫁入りの直前なのも知っている。この里の他の娘もそうだろう。もしかしたら、男たちにもそういうのはいるかもしれない。だから、提案したい」
トーリさんは少しだけ言葉を切り、声量を少し上げました。ここからが大事だからです。
「自分の部屋や家を見せることを、拒んでもいい。ただしその代わりに、首長選びに名を上げることと、村に自分の名前をつける資格を失う。これなら、文句はないはずだ」
ざわめきが広がりました。どういう意味なのか、真意を図りかねているのでしょう。
わたしとユーリくんは、隠れたままアイシャさんの表情を注視します。
狼狽えというより、ほとんど泣きそうな顔をしていました。この場の全員の注目がトーリさんに向いているので、そのことに気づく人はいませんけれど。
「簡単なことだよ。この中に人殺しがいて、自分の所に隠した凶器が見つかることを恐れている。ところで、殺人を犯した動機は首長になること、そして村に名前をつけるためだ」
そのために、アザンさんが弱っていて揺らいでいる彼の家の嫡男を殺し、さらにダメージを与える。アザンさんに毒を盛ったもの、同じ理由で同じ犯人の仕業。トーリさんはそう説明しました。
アイシャさんが犯人と仮定すると、実際には少し事情が異なりますけど、彼女を庇うためにわかりやすい説明をしています。
「人を殺すなんて卑怯な行いは絶対に認められない。けど、とりあえず首長は決めないといけない。もちろん、僕は殺人犯を首長にしたくない。あと、村として名前を残すのも反対だよ。……僕の作った弓を取り返すよりは、こっちの方が重要だ」
だから、この提案です。人殺しが首長になれずに目的が果たせないなら、殺人が無意味に終わります。しかし、この場で破滅することは避けられます。
これか、丸く収めるための精一杯の努力です。
アイシャさんが犯人なのは、わたしたちは知っています。けど、ここにいる全てのワーウルフに知らせずに済みます。
そして、彼女の目的も阻止できます。ナザンさんが首長になったとしても、殺人犯の名前を歴史に残すことはありません。
もちろん、凶器の弓は見つからず、犯人は公にはわからないままです。謎は残って、いずれ事件は忘れられます。
トーリさんが弓をうっかりなくしただけの、つまらない出来事です。木の傷も、誰か子供がふざけてつけたとか、そんな理由をでっち上げるのはいくらでもできます。
けど犯人であるアイシャさんには、犯人はわかっていると釘を刺せます。だからこれ以上は身動きが取れません。
夫であるナザンさんを首長にするために、これ以上の殺人を繰り返す、なんてこともできないでしょう。
年頃の娘が部屋を見られるのは恥ずかしいという、断るための逃げの理由もトーリさんは提示しています。だからアイシャさんが、村の名前を残すことさえ諦めてくれれば、なんの角も立たずに事件は終わるはずです。
悪人を断罪はできないですけど、これが一番平和です。
うまく行けば、ですけど。
「フィアナ、あれ」
ユーリくんがわたしの肩を叩いて、一方を指差しました。
ゾーラさんがいます。ガザンさんの仇を討ちたがっているのは、今も同じはずです。
わたしたちは、彼女のことも考慮しています。トーリさんがこの会合に向う際、ゾーラさんに声をかけて軽率な行動は控えるように言っています。
もちろん、それだけ言って彼女が従うとは思えません。その義理もありません。
だから約束を伝えているはずです。首長選びが終わったら、トーリさんの口からアイシャさんが犯人だと告げる約束をしています。そこからどうするかは、ゾーラさんの自由だと。
時間が経つことで落ち着いてくれることを祈っていますけれど、正直なところどうなるかはわかりません。恨みは簡単に忘れられるものではないですし。
こっちをどう穏当に終わらせるかは、これから考えなければいけません。
今のゾーラさんは、落ち着いているように見えました。トーリさんのアイシャさんへの圧力を、じっと見つめていました。
けどユーリくんが声をかけてくれた理由は、そこじゃありません。
お父さんで、首長候補であるゾガさんは前列の方にいるのでしょう。他のワーウルフの皆さんの背中に隠れて見えないのは、そういうことなのでしょう。
なのに、なぜ娘だけ近くにいないのでしょう。その理由に気づいたから、ユーリくんは声をかけたようです。
ゾーラさんは背中に隠すように、鍬を持っていました。皆さんの後ろの方にいるから、誰も気づいていません。それが目的です。
あの鍬には見覚えがあります。さっきトーリさんが砥いでいたものです。




