32.動機
首長のお嫁さんになることに、そこまで意味はあるのでしょうか。本人にとっては重要なことかもしれませんけれど、わたしには理解できませんでした。
ユーリくんもトーリさんも同じようで、首をかしげています。親戚で関わりの深かったこのふたりにもわからないのに、一度しか会話していないわたしに、わかるはずが……。
――欲しいものは自分から手に入れないと。
「あ……」
アイシャさんとの、たった一度の会話を思い返して、気づいてしまいました。動機を、わたしは知っていました。
「この里では、女性が首長になることは難しいんですよね」
静かにつぶやいたわたしに、ふたりは会話を止めてこちらを見ました
「わたしも、アイシャさんが犯人なのだと思います」
意見を翻したわたしを、ユーリくんは特に驚くこともなく見つめました。
「どうして?」
「腕力では勝てない女性は、この里では首長になれません。候補として名乗りをあげる時点で、周りから奇妙な目で見られるでしょう」
「うん」
アイシャさんはわたしに、そのことを寂しそうに話していましました。
男同士のつまらない争いに下手に首を突っ込むよりは、それを利用して自分の望みを叶えるのが賢い生き方だと。
望みが、好きな男と結婚することではないのだとしたら。
「アイシャさんは首長になる気はありませんでした。けど、村に名前を残したい気持ちはあったのかもしれません。だから、ナザンさんが首長になれば、そうお願いするつもりだったのかも」
ナザンさんは、自分が首長になることにこだわりがありませんでした。もともと、そういう立場ではなかったからでしょう。
だからこそ、降って湧いたような首長就任に対しても戸惑いがあるはずです。
村の名前決めは、権利が首長にあるというだけのこと。首長になりそうな有力なワーウルフたちが、自分の名前をつけたがっているだけです。
街との取り決めでは、ワーウルフの首長の好きにしていいという決まりです。
ナザンさんが、突然背負うことになった大役を支えてくれるアイシャさんに、村の命名権を譲るなんかの判断はあるかもしれません。
アイシャさん自身がそうお願いすれば、ナザンさんは聞いてくれるでしょう。
「ありえるね……」
わたしの考えを聞いたトーリさんが、消え入るような静かな声で言いました。
自分の姪です。しかも、家に来て家事をしてくれた、良い人という印象の人です。
再度、静かに言いました。
「けど、ここまでのは全て推測だ。証拠がない」
「証拠があるとすれば、弓?」
「そうなるかな。僕の家から盗んだ凶器を持っていたら、言い逃れできない。アイシャが使う必要がない弓だからね」
「もう、捨ててるかも」
「捨てたら、里の誰かが気づくはずだ。路上に転がっていたらね。分解して捨てたら見つからないだろうけど、その時間はあまりないはずだ」
アザンさんの家は今頃大騒ぎ。次の首長候補に突然なってしまったナザンさんも同じです。
今の時点からナザンさんを支えなければ、アイシャさんの望みは果たせません。なので彼女も、あの家にいるはずでしょう。
「そうだね。隣の家だから、動向はなんとなく伝わってくる。今もアイシャは、アザンの家にいるよ」
「弓を捨てたり、壊してないとしたら、隠すならどこ?」
「僕の妹夫婦の家……アイシャの家だ。アイシャは自分の部屋を持っているから、たぶんそこだ」
「わかった。僕たちで、夕方になったら探す」
その時間あたりに、集会のために里のすべてのワーウルフが集会所へ向かいます。集会所は里の中心にあるらしいです。
この里にいるはずがない、わたしとユーリくんも見つからずに行動できます。
「とりあえず僕は、現場からアイシャの家まで探してみるよ。弓が落ちているかもしれない」
そう言って、トーリさんは再び出ていきました。ついでに、さっき砥いでいた鍬を手にとって持っていきました。仕事のついでなんでしょうね。
夕方まで、わたしたちは隠れないといけません。
「あの。ユーリくん」
「どうしたの?」
「気になったのですけど……仮に本当にアイシャさんが人殺しだとして、どんな罰が下されるんですか?」
普通の街なら、犯罪者は兵士に拘束されて、罪を受けます。罪を決めるのは、その街の法。あるいは領主様はじめとした、偉い人たちの判断です。
この里に兵士はいません。首長はいます。法があるかは、わかりません。
「首長と有力なワーウルフで協議して決める。どのくらいの罰かは、前例がないからわからない。……けど、たぶん死罪」
「そうですよね……」
正当な理由があったわけではなく、自分の欲望のために人を殺したのですから。
問題は、首長とその他の人の話し合いで決まるということです。今夜、首長のアザンさんは退いて、新しい首長が決まるまで数日かかります。
今のところ、首長の最有力候補はナザンさんです。そして首長に就任したら、すぐに結婚するらしいです。
首長のお嫁さんが罪人だなんて、協議は確実にこじれます。疑いだけでも大問題です。
首長であるナザンさんが、協議に出られない可能性が高いです。というか、首長の責任問題とかに発展します。
既に大騒動ですが、収拾がつかないことになります。
首長選びのやり直しがはじまって、さらなる血で血を洗うような戦いが繰り広げられたりするかもです。




