31.アイシャへの疑い
「誰かに貸したり、一度お父さんが使ったりしたことは?」
「ない。猪が退治されたと聞いて、ここに入れたきりだよ」
「じゃあ、どうして見つからないの?」
「それは……なぜだろうね」
自分でもわからないという様子のトーリさんですが、嘘をついているようには見えませんでした。
「お父さん。ひとつ、確認してほしいことがある」
「なにかな?」
「その弓は、木に固定して使うんだよね? 木に、固定した跡は残る?」
「残るよ。そんなに深いわけではないけど、小さな傷が残る。枝に治具を噛ませることで固定するから。僕が見ればわかるよ」
「見てほしい、木がある」
なんの木なのかは、わたしにもわかりました。
昨日、大勢のワーウルフの前でわたしの腕を証明した時、離れる位置の目安として使った木です。
ガザンさんから隠れて矢で狙う時に、身を隠すにはあの木くらいしか使えません。
「わかった。見てくるよ」
わたしやユーリくんの姿を他のワーウルフに見られるのはまずいです。トーリさんもそれを承知しているから、ひとりで外に出ました。
「トーリさんは、犯人じゃない気がします」
「うん」
「疑ってしまいました。ごめんなさい」
トーリさんの背中を見送りながら、謝ります。
彼からは、なんのやましい気持ちも感じられませんでした。隠し事はなにもなく、全て善意で受け答えしてくれています。
「気にしないで。お父さんが、弓を改造していたのは本当。フィアナの推測が正しかった」
「はい……」
わたしたちが見ている前で、トーリさんは木を確認しています。幹の比較的低い場所から生えている枝を凝視していました。
他の枝を確認するまでもなく、トーリさんは戻ってきました。
「あったよ。狼化したワーウルフの口が届きそうな箇所に、固定の跡が残っていたよ」
「ガザンを殺すのに、あの弓が使われたと思う?」
「……そうだね。思うよ」
トーリさんは確信しているようでした。
矢の長さがその弓用のものではないというのも、トーリさんは承知しているようです。しかし、気にしていません。
問題なく使える程度の差だと、製作者の観点から把握しているのでしょう。
「何者かが、僕の家に忍び込んで盗み出した。そうとしか考えられないね」
「どうして、長さの合わない矢を使ったの?」
「矢なら、里のどこの家にもある。弓だけ、それを使う必要があった……のだと思うよ」
散らかっている倉庫の中で、弓を探した後に矢まで探して逃げる暇を惜しんだのかもしれません。
けど、どんな理由で特殊な弓が必要だったのでしょう。
ユーリくんは、その答えがなんとなく見えているようでした。
「お父さん。その弓の存在は、里のどれくらいの人が知っている?」
「作った時は、みんなに伝えたよ。もしかしたら使えるかもって。けど三年も前のことだし、活躍しなかった武器だからね。みんな忘れていると思うよ」
「そっか。じゃあ、この家に出入りしている人に、世間話でそんな武器があるって言うことはあった?」
「ああ。何度かあったね」
「あの。トーリさん。この家に出入りしてる人って、トーリさん以外にそんなにいないと思うのですけど」
もちろん、道具の修理を頼むお客さんはいるでしょう。けれど、その付き合いはそこまで深い話しをしないのでしょう。
他に誰かがいたとすれば。
「家主の僕以外だと、ひとりだけ。……アイシャだ」
トーリさんも、あまり考えたくないという様子で答えました。
アイシャさんが、ガザンさんを殺した? そんなまさか。
「ガザンと、正面から戦っても勝てない。けどワーウルフになれば、人間の時より力が出る。大きな弓も、引ける」
「アイシャは、弓の腕はそれほどじゃないよ。けどあの装置なら、しっかり狙えば当てやすい」
「それに、大人の男が殺したように、偽装できる」
「そうだね。それが、装置を使った理由かな」
「だと思う」
「ま、待ってください! ふたりとも、アイシャさんが犯人だと思っているんですか!?」
そう尋ねられたふたりは顔を見合わせて、少しうつむきました。
わかっています。トーリさんを犯人扱いしたわたしに、怒る資格はありません。それにアイシャさんは、ふたりにとっても親族です。好きで悪く言っているわけではないんですよね。
改造された弓の登場によって、犯人が成人男性という推測も間違いの可能性が出てきましたし。
「アザンさんに毒を盛ったのもアイシャさんだと思いますか?」
「うん。僕たち、会合の時に毒を飲んだと思ってた。けど、必ずそうする必要は、ない」
そのとおりです。アイシャさんはナザンさんの未来のお嫁さんとして、今の時点で家に出入りしています。アザンさんに毒を盛る機会などいくらでもあるでしょう。
矢の長さから犯人像を偽装したのと同じように、会合に出席した他のワーウルフに疑いが向くようにタイミングを合わせたのでしょう。
「あとは、動機。アザンに毒を盛って、ガザンを殺す理由は、なに?」
「ナザンが家の勢力を引き継いで、首長になることかな。好きな男を出世させたいとか。けど、片方は弱らせるだけで片方は殺した意味がわからない」
「アザンは、息子が首長になるのを認めることを言ってた。けど、ガザンは違う。手下を使って勝っても、自分が首長になろうとする」
「なるほど……それに、ユーリが帰ってきたことで、謀殺が起こりそうな雰囲気になったのもあるかもね。首長の息子は、首長自身が死ぬよりは騒ぎになりにくいとかの魂胆もあるかも」
アザンさんとガザンさんの扱いの差については、なるほどと思います。けれど、アイシャさんがそんなことをする理由は、まだ見えません。




