29.トーリの話
ところで、森から里を見てみますと、一昨日初めて訪れた時より、人の数が少ない気がしました。
もちろん、農作業をサボるわけにはいきませんから、仕事をしている人はしっかりといます。けど、最少人数という印象を受けました。
「里に、人殺しがいるのは確実。次は自分かもって、みんな警戒してる」
「なるほど。ガザンさんが殺されたのも、ライバルを消したいのが動機でしょうし」
「犯人がわからないなら、警戒するしかない」
警戒しているのは、外で働いている人も同じです。仕事はきっちりやりながらも、時々周りを見ています。
「どうしましょう。外にいる人の数が少なくても、隠れながらトーリさんの家まで行くのは難しそうですよ」
まだ、ユーリくんを疑っている人は多いでしょう。見つかってしまったら、大勢から避難されて吊るしあげられてしまいます。万が一にでも、見つかってはいけません。
そんな状況なのに、ユーリくんは相変わらず冷静です。さすがです。
「派閥に属していないワーウルフは、さすがに自分が狙われるとは思ってないはず」
「な、なるほど……」
そういう人は、仕事に集中しています。そういう人の背後を縫って歩けばいいんですね。
あとは、そもそも首長決めの戦力にならない老人なんかもいます。そういう人も、自分が狙われるはずがないので、日々の仕事をきっちりこなしています。
里がどんな状況であっても、こうやって日々の生業をちゃんとこなしている人がいるんです。世界というのは、こうやって回るものなんですね。
「こっち」
「はい!」
ワーウルフの皆さんがそれぞれどんな派閥にいて、誰か狙われない人間なのかは、わたしにはわかりません。
ユーリくんに手を引かれるままに、わたしは小走りで森から出ます。
建物や家畜の陰に隠れながら歩くことで、視界の開けている農地でも人に見つかることなく進むことができました。
思ったより苦労することなく、家につくことができました。
「お父さんとは、僕が話す」
「はい。お願いします」
ユーリくんの方が、この手の会話は得意です。ユーリくんは会話自体得意じゃないって気もしますけど、実の父親なら問題ないですし。
相変わらず鍵のかかっていない扉から、中に入ります。
「お父さん、ただいま」
「やあ。ゾーラちゃんから、すぐに戻るとは聞いていたけど、思ったより早かったね」
トーリさんは仕事中だったようで、里の誰かの物らしい農具を直しているところでした。これは鍬ですね。
その気になれば、凶器にできる道具です。
ガザンさん殺しの疑いを持ってしまった今、このお仕事さえも怪しく思えてしまいます。
「なにか手がかりは見つかったかい?」
「うん。ねえお父さん。三年前に、大きな弓を買った?」
「弓?」
「お父さんには、ちょっと扱えないサイズ」
「ああ。買ったとも」
鍬を研いで、鋭さを取り戻す作業でしょうか。砥石を前後させながら、トーリさんはあっさりと認めました。
「なんのため?」
「ユーリが旅に出て少ししてから、大きな猪が森に出てくるようになったんだよ。どこでこんなに育ったのかというくらい、大きい猪だ」
巨大猪なら、わたしも旅の中で見たことがあります。
時々、とんでもない大きさになる個体もいるそうです。
「大食らいのそいつが、里に迷い込んで農地の作物の味をしめた。だから退治しなきゃいけないとなった。ただし、相手が強すぎた」
「ワーウルフが、全員で襲いかかっても、倒せない?」
「倒せなくはない。が、向こうも逃げ足が素早い。こちらの気配を察知すれば、一目散に逃げる」
わたしも村で、農家さんの苦労を見てきました。
人のいない隙をついて作物を食い荒らし、人が来るとすぐに森に逃げる。そんな卑怯者です。
農家さんも常に見張ることはできません。他の用事もありますし、夜中に荒らしに来ることもあります。だから、見つけたら森まで追いかけて殺す必要があります。こういう時に、わたしのような狩人の出番なんです。
どうやらワーウルフの狩りは人間のとは少し違うらしいです。狼になって獲物を追いかけて、食い殺せればそれでいい、みたいな考え方があるそうです。
昨日、トーリさんが捕まえてきた獲物もそうやって獲ったのでしょう。けど、その大猪は違いました。
図体の割に逃げ足が早く、狼化したワーウルフでは追いつけなかったそうです。
森の中で長く生きてきて、ワーウルフよりも森を知っていたのでしょう。となれば、人間の狩人の方法を取るしかありません。
「狼化すれば、猪の方も気配を察知しやすくなるんだ。だから人の姿で、離れた所から矢を射て弱らせてから、改めて狼化して殺す方針になる」
「ええ。もちろん、矢を射かけるのは大勢で、ですよね?」
人が増えれば猪が気づく可能性も上がるので、あまり大人数ではいけません。けど、大きな獲物に数人だけで矢を射掛けても、そこまで大きな傷にはならないでしょう。
視界の悪い森の中です。必ず当たるとは限りません。
まあ、わたしなら一回で目を射抜いて見せますけどね。
わたしの指摘を、トーリさんもよく理解していました。少人数でも大人数でも、仕留め損ないかねない状況。
「だから僕は、一撃で大怪我を負わせることにしたんだ」
「そのための、大きい弓と長い矢?」
「そういうことだよ」




