四拾六
5月22日(火)0時18分
鎖が首に巻き付き、宙に吊られてもがく相手を、オレは呆然と眺めることしかできなかった。
いや、本当にオレが目を奪われたのはそんなものじゃない。
オレから少し離れた位置にある多節棍の傍らに、ぼんやりとした影のようなものが見える。
それはなんとなくだがオレと同い年くらいの少女に見えた。
不意に懐かしい感情が胸に沸き上がってくる。
無意識に手を伸ばしかけたその時、
『裕ちゃん…!早く逃げて…¨欠片¨が…長くは保たない…!』
耳元で舞霞の焦った声が聞こえて、やっと今の状況を理解する。
さっきまで頭を占めていた記憶は片隅に追いやって、ゆっくりと上体を起こす。
(今はそれどころじゃない。)
今度はどうにか起き上がることができた。多少ふらつきながらも両足で床を踏みしめる。
『裕ちゃん、早く!』
見るとさっきまでピンと張っていた鎖が緩んでいた。段々と元の長さに戻ろうとしている。
傍らの影はもう見えない。もしかして幻覚でも見えていたんだろうか?
オレは素早く落ちていた多節棍を元に戻した。
途端に支えを失って落ちてくるクマ仮面。突然のことに咳き込みながらパニックを起こしているようだ。
オレはクマ仮面の意識がはっきりとするまえに扉から外に出る。
そして南京錠をかけて開けなくした。すぐに壊されてしまうだろうが、少しは時間稼ぎになるだろう。
慌てているためか異常に体が重く、思ったように動いてくれない。
それでも何とか近くの階段を上がり、真っ直ぐに走り出す。
とにかく今は少しでも距離を取らないと…
このままじゃクマ仮面に倒されてしまう。ふらつく体を無理やり動かして、俺はハウス方面に向かって走っていった。
5月22日(火)0時25分
オレは2ハウスの三階に位置する外国語棟の大会議室で体を休めていた。
扉は内側から鍵をかけて、さらに机や椅子でバリケードを築いたからそう簡単には侵入してこれないだろう。
オレはさっきの出来事について舞霞に事情を聞いていた。
『舞霞って自力で動けたの?最後のあれはオレが操ったわけじゃないよね』
オレの質問に舞霞は間を置いてから答えた。
『…ええ。と言っても限界があるんだけどね。一定量以上の¨欠片¨があれば自力で動くことはできるの。けど、これって結構燃費が悪いのよ。さっきから体がだるく感じてたりしない?それって私が軽く実体化してしまったからなのよ』
舞霞の言う通り、ここに至るまでの道のりはもちろん、今も現在進行形で体がだるい。
オレは軽く持ち上げるだけでプルプル震える右腕を下ろすと、ため息をついた。
「聞きたいことはたくさんあるけど、今はとりあえず生き残ることだけ考えよう。説明は後でいいや」
オレはそう言って横になった。消費した¨欠片¨は体力と同じで時間が経てば自然と回復するらしい。
残り時間はだいたい30分。少しでも回復しないと…
5月22日(火)0時50分
横になってしばらくすると、不意に微かな足音が聞こえてきた。
『…裕ちゃん』
「分かってる」
…カラカラ…バタン
…カラカラ…バタン
音はどんどん近づいてくる。どうやら手当たり次第にオレを捜しているようだ。
このままだと遅かれ早かれここにも来るだろう。
少しでも休めたおかげでだいぶ楽になった。
オレは立ち上がって舞霞を構えると、いつでも対応できるように部屋の中央に移動した。
大会議室にあった長机や椅子はバリケードに使ったやつ以外はすべて端に寄せてある。
細長く伸ばした鎖は見えにくいように部屋中に配置した。
長期戦は体が保たないだろうし、ここで一気に片を付けるしかない。
足音はとうとう大会議室の扉の前で止まった。
ガタッ…ガタッ…ガンガンッ!
鍵が閉まっているのに気づいたのか、扉を強く音が室内に響き渡る。
そして数秒
ガシャン!ガゴンッ!
扉の窓が割られ、小さな覆いが室内に飛び込み、バリケードに当たる。
そして割れた窓から錘が侵入し、机や椅子を砕く。
人一人が通れる位の道が開くと、用心深く室内を覗き込んできたクマ仮面と目が合った。
終了まで残り10分。時計の針は静かに、だが着実に時を刻んでいた。
5月22日(火)0時21分




