百六拾八
6月23日(土)13時48分
「はぁ…はぁ…」
いきなりのことに心の準備ができていなかった杉山は、舞霞に名前を呼ばれた直後、全力でその場から走り去ってしまっていた。
¨欠片¨によって強化されている脚力をフルに使い、杉山は舞霞の声を振り切り数百メートルを突っ走る。
さすがに多少息が乱れているが、それ以上に杉山は混乱している。
まさか着いた直後に舞霞と鉢合わせるなんて想像もしていなかった杉山は、軽いパニックを起こし思考が追いついていない。
「…はぁ」
角を曲がり、塀に背を預けて息の整えた杉山は今度は大きなため息をつく。
「やっぱり、忘れてるよな…」
先ほどの舞霞は杉山のことを「杉山君」と呼んだ。
共に闘っていた時、杉山と舞霞は互いを名前(舞霞と裕司、後に裕ちゃん)で呼び合っていた。
杉山が転校してからメールのやり取りすらしていない。
杉山自身【シュールバルタ】の試練で失った過去の記憶を見なければ思い出すこともなかった。
「…っ!」
不意に胸の奥の辺りに鈍い痛みが走った。
それはぽっかりと空いていた穴に再び収まった記憶のズレからくるものだろうか。
杉山は失った時以上の喪失感に苛まれた。
(こんなことなら、思い出さないほうがずっと…!)
杉山の頬を一筋の滴が流れていく。
すると杉山の目の前にスッとハンカチが差し出された。
「使うかい?」
「あ、どうも」
自然な流れでハンカチを受け取り、杉山は溢れようとする涙を拭った。
「時として涙は心の整理をしてくれる。今は泣くがいいさ」
「はい…、ん?」
杉山が顔を上げると、フルフェイスのヘルメットのパイザーを上げ、わざとらしい渋めな表情を作った宮崎がドヤ顔で腕を組んでいた。
「うええぇぇぇ!!!??」
予想外過ぎる展開に大声を上げる杉山。
電車で半日近くかかる杉山の母校付近で、何故か杉山は宮崎とも再会(?)を果たした。
6月23日(土)13時56分
「何で宮崎君がここにいるの!?」
先ほどとは違った意味でパニックを起こす杉山。
宮崎は親指で自らの後方を指差し、
「ちょっとドライブでね(笑)」
「えー…」
宮崎の後方の塀には大型のバイクが停められており、黒いライダースーツに身を包んだ青年が腰掛けていた。
「あいつはレオン。レオンハート。…俺の昔馴染みでね。今日はあいつに送ってきてもらったんだ」
「……。」
レオンと呼ばれた青年は長い前髪に隠された両目で静かにこちらを眺めている。
「無愛想なやつでね。知らない奴の前だとほとんど喋らない。でもバイクの運転だけでなく、大型車や特殊免許の乗り物、はたまた銃器の扱いの腕前は一級品だよ(笑)おれでもストリートファイトくらいしか勝てないかな( ̄∀ ̄)」
「……。」
「そ、そうなんだ…」
レオンハートは説明の最中も瞬き一つせず無言。
杉山はめちゃくちゃな紹介内容には半信半疑ながら、(確かにすごそうではあるな)とも思っていた。
レオンハートはただ腰掛けているだけなのに全くと言っていいほど隙がなかった。
「ってそんなことより!なんで宮崎君がここにいるの!?さすがにただドライブ来ただなんてことないでしょ!」
「まあ確かに(笑)」
「……。」
「あ、あっさり認めちゃうんだ…」
宮崎はあっけらかんと答えて、杉山が先ほど走ってきた方向を向いた。
「昨日ジミー経由でぎやまが今日ここに来るって聞いてね」
「!」
「たぶん心に傷を負うであろうぎやまを慰めにきたのさ(ドヤ)」
「宮崎君…」
宮崎は口調とは裏腹に真顔で杉山のことを見ていた。
「…人に忘れられる苦しみは、僕も知っているからね」
何故か唐突に声の質と口調、一人称が変わった。
普段の宮崎からは想像もできない、おそらくこちらが本来の宮崎であろうことを杉山は直感した。
そしてそこまで自分のことを心配してくれていた宮崎に、今度こそ杉山は涙を溢れさせた。
「一つ、賭けをしようじゃないか、ぎやま」
6月23日(土)14時04分