雪が溶け花が咲き始める頃
あれから一週間。雷鳴り響く豪雨の夜。
「クソッ‼︎」
城塞都市マザランの元執務室の壁を殴るゲード。その様子を感情の感じさせ無い瞳で見るノムルスはただ冷静にその行動を観察し、肩で息をする珍しい姿の悪魔に対して口を開いた。
「敗北か」
「最低限の目的は達している。敗北では無い。が、一気に国を滅ぼせるところまで手が届きかけただけだ。それを仕損じた」
「意外だな。お前がその程度でそこまで取り乱すとは」
ここに来て初めて軽く嘲笑するノムルス。掴みかけた物を手放しただけ、その通りだ。計画が遅れたわけでも致命的な敗北でも無い。むしろ結果だけ見れば未曾有の大勝利の部類に入る。
「…フン」
そう、ただ仕損じただけならここまで取り乱しはしない。問題はそれを成した者。そして、その反則的な能力。
「負けるなら早く、そして民のいない所で串刺しになって死ね。俺がお前に言えるのはそれだけだ」
「獅子身中の虫は威勢がいいな」
「獅子とは笑わせる、気分は悪魔の胃袋の中だ。気持ち悪い」
「………」
いかんな、ダメだ。本当にあの一戦以来、感情が上手く制御できない。
いつもなら笑いながら言い返していた言葉に反射的に殺しそうになった。
手に発動しかけた魔術を搔き消し、執務室から出て屋敷の廊下を歩くゲードの傍にいつの間に現れたクナイが二歩後ろを歩く。
「ハザクの傷はどうだ」
「完治していました」
クナイの報告にピタリと足を止め、振り返る。
「どういうことだ」
「……あの忌々しい女に負けた事に思うことがあったようで、魔物森の更に最奥にある主クラスの者達を狩っているようです。私も一度も見ましたが…むしろ傷は増えていましたけど一回りくらい大きく見えました」
「あの二人もか」
「はい…」
恐い顔をしていたので怒られると思ったのだろうか、クナイが顔を俯かせゲードの動き出した左手を見てビクリと身体を震わせる。
「わかった。報告ご苦労」
クシャリと髪が優しく潰れて頭が撫でられた、お叱りではなくてお褒めの言葉が来た事によりふにゃりと顔を弛緩させるクナイ。
「……クナイ」
しかし、優しげな声色はすぐに真面目な色に変わる。
「は、はい!」
「明日、俺もハザクとは違う魔の森に向かう。お前も付いて来い」
「わ、わかりました!どこまでもお供します!」
どこまでも、どこまでも。あの女ではなく、クナイである私が。笑う、笑う、それが堪らなく幸せだから。
「大聖戦だ!王国の全ての軍事力を総動員してアイツを討つ!ゲードだ!アイツが全ての元凶なんだ!クソが!殺せ!アイツを負かして!ここに連れて来て今度はキチンと殺してやる!辱め!屈辱!苦しみ!味わせろ!」
いつになく機嫌の悪い勇者。その怒声にノエルが感情を抑えた声色で諭そうと試みるが。
「……勇者様の深いお考え、流石でございます。しかし」
「しかしじゃない。やれ!」
この通り、駄々をこねるばかりだ。これはもしかして威厳を出しているつもりなのだろうか。それとも本気で怒っているのか。知らないが本当に害悪でしかない。
「ゆ、優太!」
愛人関係である女達の先頭にいた姫様が落ち着かせようとするが。
「煩い!女は戦に口を出すな!」
それを、一蹴。始まりは上機嫌でましてやその軍議の場に女を連れて来たのは自分だというのに。これを言ってはキリがないが、どの口が言うのだろう。
「…わ、わかりました。私達はお邪魔のようですし、下がらせて頂きます。お騒がせして申し訳ありません」
「フン……、おいノエル。できるな」
「……私は良いのですね。まぁ、出来るか出来ないかで言えば出来ます。ただ、その場合来年には王国は無くなっているでしょう」
「何故だ‼︎」
「勇者様は王国の収支に目を通されたことがありますか?」
「…ない」
「一から説明する時間も無いので今回は飛ばしますが、今度お時間あるときに目を通しておいてください。そうですね、簡単に言えば…今年の残りの金銭を次の戦に使えば、来年の収穫期までに王国民のほとんどは餓死している…と言ったところでしょうか」
「…どうにかしろ!それがお前の仕事だろうが!」
「無理です。少なくとももうすぐ来る冬を越えない事には。どうしてもと言うのであればこの場で私を斬り捨てて貰っても結構です」
その言葉に強く反応したのはノエルでもなければ、勇者でもない。周りの将軍と周りにいた副官達だ。まるで、睨みつけるような強い瞳で勇者を見る。中には小さく手が剣の方に向いている者もいた。
それは、紛れもなく敵意が勇者へ向いている証拠。それはいくら鈍い勇者でもわかった。わからされた、それはそうだろう。軍議が始まった瞬間から誰も勇者など見向きもせずただノエルを見、そして褒め称える。
それは劣等感まみれの勇者が何より嫌いで、何より許容できないもの。だから、吠えた。だから、威厳を見せたかった。それなのに、返って来るのは冷たい、冷たい瞳。
「グッ!クソが!クソがァッ‼︎テメェもアイツと同じだよ‼︎ゲードと!流石元アイツの奴隷‼︎トコトン似てやがる‼︎気にくわねぇ!少し出来るからって調子に乗ってんじゃねぇぇ!」
「……私が…ゲードの奴隷?なんの話ですか……ッ!」
「大丈夫ですか!ノエル様!」
「す、すみません。軽い目眩です。問題ありません」
フラつくノエルを支える近臣と、肩で息をする勇者。その発言に冷たい目から明確な敵意が宿るのを見てさらに逆上しようとした瞬間。
「勇者様‼︎」
機先を制するように思わず耳を塞ぎたくなるような声で場を止めるノエルは剣を床に丁寧に置いて。
「斬るなら、私から。こればかりは譲れません」
「……勇者様。こればかりは申し上げておきます。私達は貴方様を蔑ろにする気は毛頭ありませぬ。ただ、ここでノエル殿をお斬りになるのならば……来年と言わず、明日には王国が滅びているでしょう」
将軍の中でも古参の初老の男が勇者に向かってそう言う。そしてこれは事実だ。次の日には大規模なクーデターが起きるだろう。
「この場はどうか、その怒り鎮めてはくださらぬか?」
「……そんなに俺が邪魔かジジイ」
「いえ、とんでもありません。しかし、人には得手と不得手があります。勇者様には勇者様の得手があるはずです。その時我々が勇者様のお力をお借りに行くので今は傷を癒し、力を蓄えまた我々をお救いください」
顔は立てた、ここで退け。似たような意味は勇者にも伝わる。
「………フン。どうせ、君達には俺の言っていることが高次元すぎて理解できていないんだろう。もういい、もう救いようがない馬鹿達だ」
そう吐き捨て出て行く勇者。その背中は何処から力なくいつもの無駄に過剰な自信は鳴りを潜めていた。現実からどれだけ目を背けようと現実は常に回り込んで来る。
「……神から授かったと言う力は本物なのだがな。それを扱う器ではない」
「…わかっていた事です。しかし、我が国はそんな彼を召喚し…そして私も勇者に救われた…らしいです。なら、神の何かしらのお考えがあるのでしょう。今出来る事をやる、それだけ。負けはしませんよ、私がさせません。ゲードへの憎しみはあの勇者同様、私も強い」
「おぉ、勇者の功績はノエル殿をゲードという極悪な奴から引き離した事ですな!」
そう言って笑うが、笑っている者達のほとんどは本気でそう思っている。武力だけでなく軍略の才があるなどそれはもう軍神に愛されていると言っても過言ではない。
「では、本格的に軍議といきましょう。結論から言うと勇者が言っていた大聖戦。急速に勢力を伸ばしているゲードとの決戦は必要不可欠」
「しかし、国庫がもう」
「わかっています。なので来年、雪が溶け花が咲き始める頃」
あぁ、軍略の才か。私にそんなものがあるのか?剣のように感覚的なものではない。あるのは遠い昔、机で誰かに教えて貰いながら勉強した記憶。それと同時に数式のように頭に呼び起こされる。これは才能ではなく勉学の結果ではないか?
では、誰に教えてもらった?
この天才的な軍略は?
「ゲード様。なんで森に行くんですか?」
森を歩む二人、古びた本を持ち歩くゲードはブツブツと呟きながらクナイの問いに答える。
「準備だ。来年、雪が溶け花が咲き始める頃」
攻めるなら雪が溶けてから。準備を充分にし、一気呵成に叩き潰す。その基本骨子の考え方は記憶がなくなっても変わらず。
「「全てが決まる大戦を」」




