4. 神代との狭間での戦闘 4
キョトンとして、二人は笑い出した。壊れたようにケタケタと不揃いな笑い声だ。しかし繋いだ手を離すことはなく、けれどお腹を抱えたくて仕方がないと言わんばかりに身を捩って。
「アハハハハ! そっかそぉっかあ! そういえば僕たちってば、どうやって吸着の化身と連絡を取ろうと思ったんだっけ!」
「アハハハハ! ウフフフフフ! そうね、そうだったわ、ごめんなさい! 少し、手順を間違えてしまったかしら?」
化身とは、身勝手に手足が生えたような存在だ、と習う。
そして、仮に見かけたら普通は生きて戻れないから、ただ座して祈りつづけるしかない、とも習う。
それほどまでに凶悪な存在が、化身である。
絶望を体現するような存在に、しかし、ヴィヴィは靴を汚す粘り気のある土を嫌いつつ、フワリと浮いて慎重に近付く。
「……そう、だから、貴方がたがどのような用向きで、人智の及ぶ地域を神代の土地にしてしまいかけたのか教えてくださらないかしら?」
「うんうん、いいよー。」
「けれど吸着は固いですわ! ちょっと賑やかにやって来てみたら、すっかり追い返してしまうなんて!」
ヴィヴィたちは、闇雲に魔物たちを焼殺したのではない。あのまま魔物の群れを進ませれば、神代の土地が増えてしまっただろう。
その分だけ、人が安寧を享受し得る土地が減るのだから、当然、汚染は押し返さなければならない。
「それと、私はヴィヴィアンです。」
「ヴィヴィ――?」
「なにそれ? 吸着でしょう?」
化身の二人は無意識に、名前を刈り取ってくる。
これが、神代の土地から来訪するものたちの怖さである。物語のごとく運命が支配する地域では、役割が体を表す。そのような土地では、ヴィヴィという個性はすっかり殺されてしまう。
吸着の化身、という物語の役柄にされてしまう。
「……。もう一度訊ねるわ。本日はどのようなご用向きでいらしたのかしら?」
「ああ! そうそう、そうだ! 僕たちは、メッセンジャーだったんだ!」
「そうですのよ? 陛下がいらっしゃると仰ったの。ウフフ。」
陛下。
"閉じたる環"の片割れ、破壊と破滅の化身。
魔王陛下、その者のことだ。
何故、とヴィヴィは一瞬、疑問でいっぱいになったが、そもそも魔王陛下の行幸渡りそのものが大問題だ。
神代の土地で、神々を束ねる絶大なる神のひと柱。
以前の行幸渡りの際にヴィヴィがいなければ、王国は崩壊していただろう。
生ける絶望だ。
「な、、、に、ゆえの、ご来訪でしょうか?」
王族の意地があったため、表情を崩さずにいられた。
ヴィヴィが顔を顰めそうになる傍らで、嗜虐と被虐の化身は虚ろな眼差しを向けたまま、嬉しそうに答える。
タップリのフリルを配った、少女のドレスに身を包んで、男の子の仕種と口調の化身の片割れが答える。
そこに、ズボンの裾が半分の長さしかない男児の礼装を纏い、仕種は女の子である化身の片割れが言葉を続ける。
「正確には、殿下が吸着にお会いしたいそうなんだってさ。」
「そうなの。殿下が吸着に、っておっしゃっていたわ。」
新たな情報だった。
「循環の、化身さまが私に?」
殿下、と彼らに呼ばれる存在は、"閉じたる環"のもう片方である、循環の化身をおいて他は、すでに亡くなっているハズだったと、ヴィヴィは記憶している。破壊と破滅の化身の王妃にして、土地の豊饒を司る、水の女神。この、循環の化身を信仰の対象とする教会には、循環の化身が与えた偶像の、レプリカのレプリカくらいの偶像が置かれている。
その循環の化身の行幸渡り。
ヴィヴィとしても、久しぶりに循環の化身と会える可能性に、喜色を表した。しかし、かの豊饒の女神とて、一柱の化身であるから、その来訪が人智の届く領域を侵すことは避けられない。
やはり、気掛かりなのはその目的だった。
「そ。理由は、何だったかなー?」
「確か……吸着に、お話があるのではなかったかしら?」
「……そう。それで、いつ頃いらっしゃる、というのはお聞きになっていて?」
「あーっと、いつだっけ?」
「たぶん、すぐじゃないかしら?」
先触れとして、この下なく失格だった。結局のところ何も伝えられていない身勝手な化身に、ヴィヴィは頭を抱えたくなる。
案件としては、この国の王に伝える必要があることなのに、肝心の内容が空っぽだ。
確かに、神代から渡って来るとなると、時間という概念の壁を捩曲げる必要がある。
その所為で、行って帰ってくるだけで、自分の子孫と対面する羽目になる、などということもザラであり、時の流れを揃えるために、時の化身の眷属が時折、気まぐれに齎すといわれる魔道具による祝福が必須である。
そのため、あちらで10日後と決めたところで、暦すら異なるのだから、いつになるか、というのは愚問かもしれない。
しかし、ヴィヴィが頭を抱えたくなったのは、それが理由ではなかった。
そういった不便があるから、王城には"共鳴する水鏡"という魔道具が齎され、これによって魔王陛下の側近である宰相と連絡が取れるようになっていた。
今回、その連絡が、まだ無かった。
つまり、目の前の化身は、かなりのメチャクチャを働いて、最速で神代を脱してここまで来たことになる。
ヴィヴィは目眩さえ感じた。
初めは、魔王城の水鏡に異変が起きたか、もしくは別の何かしらの理由で目の前の化身が来たのだと考えていた。
しかし、実態は違った。来訪の理由も時期も、何も覚えておらず、しかも親書の類も持っていそうにない。
つまり目の前の一対の化身は、自身の楽しみのためだけに、弱き存在を死に追いやった、ということだ。
それでも、確認を取るまでは、希望がある。
「何か、お手紙のようなものは預かっていて?」
訊き方は、まるで幼子に向けるそれ、そのものだ。
「無いよ?」
「そんなものが必要なのかしら?」
「ああっ。」
終に嘆息を漏らす。確認を取るまでは、希望があったのに。
「まあ、そういうわけで、僕たちはちゃんと伝えたからね!」
「ええ、そう。大して面白くなかったけれど、吸着にも会えたし、こんな田舎まで来た甲斐があったわ。」
ヴィヴィは、何も言えなかった。
「じゃあ、また今度。」
「お会いできるのを楽しみにしていますわ。」
パシッ、と空間が鳴り、静電気のような小さな雷が走ったため、ヴィヴィは光の強さに目を背けた。その一瞬で、目の前の化身は忽然と姿を消していた。
「…………っっ!!」
ヴィヴィは、怒りの表し方が下手くそである。
それは、貴族の令嬢として怒り方を教えられていない所為であった。
歯噛みすることや、手が白くなるまで握りしめること、手近な物に当たってしまうことなど、悔しさを怒りに乗せる術を知らない。
だから怒りに震え、そして涙を流すことしか、出来なかった。
ハラハラと、溜めに溜めた大粒の涙が、いくつか頬を伝う。
この草原に降り立った際の、周りの皆を慮って着けた仮面の表情は無い。
貴族の令嬢が人前で涙を流す失態を犯すことは、基本的に許されていない。しかしこういうときに、気合いで涙を引っ込める術は、教えられている。
ウィリアムが親衛隊2番隊を連れて巨壁を押してくるまでに、涙の跡を隠す。
やがて、逃げる魔獣もいなくなった頃に、ウィリアムが追い付いた。
「……ウィリアム様。」
「ヴィヴィ。」
振り返ったヴィヴィの表情は硬く、その心中を即時に見抜いたウィリアムは、足早にヴィヴィに近づいた。
そして、抱きしめる。
「ウィリアム様……私は、やはり怖いのです。」
「ああ。」
「慈悲をかけるなら、凄惨に見えても一度で終わらせるべき、と教わって、そのようにしております。……けれど、それは強者の弁で、弱者に救済はありません。」
ウィリアム麾下2番隊の面々は、王族のラブロマンスを目撃しないように背を向けて、一応、周囲を警戒している体を取っている。
それはヴィヴィの率いる突撃魔導大隊も同じであった。
単純に、王族ほどの身分になると、その特別な交遊関係を市民などは目撃してはならないことになっている場合もある。
それは、その王族の気分にもよるだろう。けれど、見てしまったら、殺される覚悟を持たなければならない。
特に、ヴィヴィのような特殊な王族に対しては、神経質になって、なりすぎることはない。
誰が目撃した事実を悪用するかわかったものではない。
二重にも三重にも気まずい時間を経て、そろそろウィリアムやヴィヴィに指示を仰ごうと、どう声をかけたら良いものかと、両副官同士が醜い争いをし始めそうになったとき、王都から一羽の小鳥が遣ってきた。
ウィリアムに耳元で囁かれながら、顔を赤くして慰められていたヴィヴィの下に、小鳥が舞い降りる。
「あ、あら、これは――シルヴィア伯母様からだわ。」
「ククル=カン東方女公爵から?」
「ええ、やはり神代にいらっしゃる、知謀の化身様から、循環の化身様の行幸渡りが打診されたと、囁いております。」
マダム・シルヴィア・ククル=カン東方女公爵。ヴィヴィの伯母にして、『妙齢の魔女』と呼ばれる伝説と伴に生きる存在。
千年以上も昔の神話から存在し、風化寸前の洞窟の、壁画にも登場するという、年齢不詳の魔女。現代でも生き続ける理由を知るものは少なく、ただ、幼子からハイティーン、三十路に至るまでの、女性の妙齢期の姿として現れ、寿命と生死を超越した存在として知られる。
王国の歴史よりも長く生き、歴代の国王がすべて、その顔色を窺うほどである。
本人は、そんなことを気にもかけず、自由奔放に生きている。
そしてもう一度記しておくと、ヴィヴィの伯母である。
「ウィリアム様。」
「ああ、ヴィヴィ。早く、王城に戻らなければならないんだね?」
「はい。私どもには、その責任がございますから。」
「なんとまあ。こうして私たちの逢瀬はフイにされていくのだろうね。」
「まあ! 私、ウィリアム様がお呼びであればどちらへも向かいますのよ?」
「……こら、淑女がはしたないよ。どこへでも向かうなんて口にしてはいけないと習わなかったかな? それに、淑女から出向くなんて、私たち紳士からヒザを折って出迎えに参る楽しみを残してくださらないと?」
その、芝居がかったウィリアムの声音にヴィヴィも乗っかる。
「私は、皇女でしてよ?」
「それなら、尚更でしょう?」
「ふふ。」
「――大丈夫かい? ヴィヴィ。」
「ええ、ええ。もう、大丈夫です、ウィリアム様。」
「よかった。」
これから、王城で国王に報告し、そのまま対応のための会議が始まるだろう。会議は国王の他、文官からは各大臣が臨席し、武官からは元帥以下、上級将官が出席する予定である。
つまり、親衛隊の隊長は当然として、筆頭宮廷魔導師も臨席しなければならない。ちなみに、ヴィヴィは将軍の号を持つ。
化身が王都に近づく、という事態はそれほどの状況だった。
「私は、一足先に王宮のサロンに向かいます。」
「ああ、社交界の蝶々が、噂という蜜を好むのは、仕方ないことか。ヴィヴィが直接出向いた方がいいのは、間違いないね。」
「はいっ。」
ヴィヴィの武装『純潔の乙女』は、あらゆる汚れを寄せ付けない。これは、肌を焼く日の光さえ寄せ付けず、そして、如何なるデザインのドレスにも変化する。しかし、色は変わらない。ゆえに、ヴィヴィは『純白の皇女』とも呼ばれる。
そのヴィヴィが、ウィリアムに対し優雅に一礼し、そしてフワリと浮いた。
「ヴォータさん。帰りはお任せいたしますね。」
「はっ、委細承知いたしました。」
「それでは、また。」
そして、ヴィヴィは霞んで消えた。
その後ろ姿と言うべきか、空に溶けるように消えゆくヴィヴィを、ウィリアムは見続けていた。
口元には、微かな笑みが浮かんでいる。
ヴィヴィが、ウィリアムに恋しているのは有名だが、同時に、そもそも、ヴィヴィを掴まえたウィリアムの話も有名だった。
相思相愛の関係として、王都でも劇や歌として、そのストーリーが広まっている。
吸着の魔導師プリンセス・ヴィヴィアン・マリーゴールドは、王国親衛隊2番隊長ロード・ウィリアム・ヴァン・ハイランド次期伯爵に恋している。
そしてその結末がハッピーエンドであることは確定している。
この物語は、ハッピーエンドまでの始まりから終わりまで、ヴィヴィアンに主に焦点を当て、いかにして筆頭宮廷魔導師に昇りつめたか、そして如何なる人生を歩んだのか、記した物語である。
~to be continued~
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次章、『落ちこぼれの魔女』をお待ちください。
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