1. 神代との狭間での戦闘 1
吸着の筆頭宮廷魔導師プリンセス・ヴィヴィアン・マリーゴールド(推定17歳)は、王国親衛隊2番隊長ロード・ウィリアム・アマデウス・ドラクル・ミッドラルゴ・ヴァン・ハイランド次期伯爵(22歳)に恋している。
それは、あまりにも有名な話だ。
天気は、快晴。
風が草原を撫でる。
気持ち良く、過ごしやすい気温。
「うう~んっ!」
ヴィヴィは肩を上げて大きくひとつ、伸びをする。
美の女神がいて、その祝福を一身に受けたのだろう。
大粒の瞳はヘーゼルで色彩豊か、くりくりとした眼差しと、たっぷりの睫、スッと通った鼻梁と小さな鼻、少し上気した頬、ぷるんとした唇が、徹底して日差しから守られてきたことを窺わせる白磁の肌の上で魅力たっぷりに並ぶという、華の顔。
緩くウェーブのかかったシルバーブロンド。透き通った肌に浮かぶ青い静脈、華奢な体付きなのに、起伏は豊か。
貴族の令嬢を想像して、そのすべてを体現する容姿。ドレスは純白で豪奢。スリーブは極めて短いものの、飾り立てた長手袋で肌は隠されている。
コルセットで体型を強調する、バストからウエストにかけてのラインの艶っぽさ。そこから伸びるスカートは足元が見えるほど短く、ボリュームはたっぷりで、段々のフリルが幾重にも連なる。そして足元は動き難そうな、編み上げのブーツだった。
「はぁ。」
悩ましげな吐息。それを隠す扇。
すべてが性別を問わず魅了する魔性。
その目の前に、魔物の軍勢が迫っていた。
後ろに遠く霞むは王都。
ここは人智の及ぶ西の果て。
ここより先は神代の領域。
その境目、穀倉地帯の村外れ。
人と人外の領域の狭間に、ヴィヴィに続くように降り立った一団があった。
宮廷魔導院が擁する、突撃魔導大隊が28名。
王国親衛隊が擁する、2番隊『王国の盾』が96名。
その、混成部隊だった。
ヴィヴィの髪の毛を乱す風は、空から降りるドラゴンの羽ばたきで生まれていた。
地響きと共に、地面に減り込む着陸。
「ヴィー! 敵の規模はわかるか? どうにも神代の狭間付近では、私の索敵も届かないらしい。」
いかにも鈍重なフルプレートメイルに身を包む、2番隊長ウィリアム。
『鋼の聖騎士』。
騎乗するドラゴンから降り、「クルルルル。」と甘えてくる頬を撫で、そして下がらせながら、前を行くヴィヴィに大声で訊ねる。
同時に2番隊の銘々が続々と着陸し、騎乗していたドラゴンや天馬を後方へ下げる。それぞれが屈強で大柄であり、そして鈍重な鎧を纏っていた。
「ウィリアム様、私の目には、一日ほどの間を埋め尽くす軍勢が見えますわ。……けれど、ご安心なさって。悉く私の魔導が通じるようですから。」
ウィリアムの周辺に、不思議な声が届く。まるで耳元で囁かれているような声音で、しかし、そこにいた皆が同じ感想を抱く。
どこから聞こえてきたか、わからない残響のような、それだと。
「なるほど! それは良い話ですね! ならば隊長殿は、筆頭殿と後方でピクニック、と洒落込んでいて、いただけるのでしょうか?」
戯けた口調で 会話に割り込んだのは2番隊第3中隊長のヘリアンだった。
2番隊96名の中で、最速の飛翔速度を誇るウィリアムのドラゴンに並ぶ速度を出す天馬に乗り、共に死線をくぐり抜けてきた戦友。ウィリアムが信頼を置く部下の一人であり、『脱兎のヘリアン』として有名であった。
「ヘリアンッ!」
「――ハッ、第3中隊は配置に着きましたッ!」
「よし。他の中隊は――、」
「第1中隊、配置完了。」
「同じく第2中隊!」
「第4中隊も配置完了しました。ヘリアンのバカは、足ばかり速くて困りますね。」
柔らかな草原に、沈み込むほど鈍重な鎧をまとった一団を纏る中隊長諸君の顔ぶれは、極めて実戦的な軍事演習と称された、この魔物の暴走という状況すら楽しむ余裕さえあるベテランのそれ、そのもののだった。
当然であった。彼ら王国親衛隊は一人一人が、有事の際に王国軍騎兵隊の24人隊長として指揮する権限を持つ。中隊長は、その上に立つ存在だ。
百戦錬磨の、精鋭中の精鋭。
その一団は、96名で一個の生き物のように整然と並び、眼前に迫る敵に盾を向ける。
恐れを抱く腰抜けは、一人もいなかった。
「よし。皆は、そのままの配置で待機! いつもの通りだ! ……そしてヘリアン。後方でピクニックとは良い提案だ。私もヴィヴィを誘って、まったり過ごしたいと思う。」
「でしょう?」
「しかし、ヴィヴィがここ最近、机仕事ばかりで運動不足だと嘆いて――、」
「もぉ! ウィリアム様? 聞こえていますのよ?」
「――と、そういうわけだ。私のヴィヴィは野苺狩りに、精を出したいらしい!」
まるで皆に聞かせるためだというように、淑女にはしたない大きな声のヴィヴィに、負けじと大声で返答するウィリアム。
この一連のやり取りに慣れ親しんだ2番隊の皆は、鈍重なフルプレートメイルを震わせて笑いを噛み殺す。
「――さて、2番隊の紳士諸君! 私の姫が存分に野苺を刈り取れるように、ここより後ろを死守するぞ!」
『ハッ!!』
統率の取れた掛け声は、空気を揺らすほどだった。
「……もぅ、ウィリアム様ったら。」
ヴィヴィは、またひとつ悩ましげな吐息を漏らす。
そして、振り返る。
土煙を上げて迫り来る軍勢を、睨む。
彼我の間は、四半日のもう半分ほどか。
一日の間、つまり、身軽な旅人が一日で移動する距離。
それほどの間を埋め尽くす暴走した魔物の群れ。
この魔物の塊を、扇動した存在が、後方に控えているハズ、と、ヴィヴィは当たりをつけて探っている。
「さて、皆さま。おもてなしのお時間です。」
96名が一個の生き物のように纏まっている、ウィリアムの親衛隊2番隊とは異なり、ヴィヴィの突撃魔導大隊は、一見すると烏合の衆であった。
27名の魔導士が、それぞれヴィヴィの声の届く範囲に屯しているだけのように見える。装束を見るに、魔法使い然とした揃いのローブを羽織っているものの、その下はそれぞれで異なっている。
しかし、それは個々の魔法、魔術、魔女魔法を最大効率で運用し、かつお互いがお互いを巻き込まない距離を保つためで、つまり、臨戦体制そのものだった。
「本日、私はウィリアム様と午後を過ごせる予定でした。」
そして誰にも聞かれないよう、小声で「だからお仕事を頑張っていましたのに。」と、呟く。
そして、先ほどの言葉に繋がるよう意識して、続ける。
「……今朝、あのような方々の来訪を聞くまでは。」
「なるほど。では、そのようなお邪魔虫には、早々に退散してもらわなければ、なりませんな。」
突撃魔導大隊副隊長、ロード・バルト・ヴァン・ウォーターゲーツ男爵。ヴィヴィの下に着いて3年になる、優秀な部下だ。
「ええ、ヴォータさんが言うように、私どもの敵を、追い払わなければ、なりません。」
ですから。
「私は、ひと足先にもてなしてきますわ。皆さま、私がひと息の間、彼らを足止めいたします。それを交戦の合図といたしましょう。」
それではご機嫌よう。
振り返って、軽く腰を落とす。スカートの裾を、地面に触れさせないよう広げるそれは、小さく、そして見事なカーテシーの披露であり、直後、ヴィヴィは一人、フワリと風を纏い、目と鼻の距離迫った魔物の軍勢の真っ只中へと飛び去る。
突撃魔導大隊の面々は、いつものことながら、そうなるだろうと身構えていて、なお虚を突かれたように身動き一つ出来ずに見送った。このヴィヴィの戯た一面は、貴族の当主や子女が多い魔導大隊の面々には際どい冗談だった。カーテシーは、目下の者が目上に対して行う礼であるからだ。
そして、時が動き出す。
「……やれやれ、我らが筆頭殿は相も変わらずご無理をなさる。」
ヴォータ、と呼ばれたバルトは呟いて、苦笑を漏らす。そして、魔物の軍勢に背を向けて、魔導大隊の面々を見渡した。
そんな魔導大隊の面々は、ヴィヴィがいなくなってようやく、そうだそうだと笑い声を上げる。
「筆頭殿の目に、我々がどのように映っているか、、、知っての通り、我々は臆病で腰抜けだ。何せ、我々は宮廷魔導士の落ちこぼれだからな。」
などと口にするものの、そこに卑屈の色はない。
それは突撃魔導大隊の面々の含み笑いを見れば明らかだ。
「だからこそ! 我々は、最も安全圏である、筆頭殿の側まで行かねばなるまい!」
そうだそうだ、と頷く声が大きくなる。
「……さて紳士淑女の諸君。いつものように確認を済ませよう。我々の目標は、筆頭殿に縋って、死なないように立ち回ることだ。」
バルトは、表情を固くして、魔導大隊の面々の表情を確認する。
「一日の間を埋め尽くす軍勢。……どう考えても今ここにいる我々だけの手に収まる相手ではない! しかし、筆頭殿の周辺という安全圏では、代わる代わる広域魔法を撃ち込む余裕が持てるかもしれない!」
地響きが、声を小さくする。
それに負けじとバルトは声を上げる。
「諸君! 密集戦闘隊形だ! 鏃の如く鋭角に、我々は筆頭殿の下へ突っ込むぞ!」
その言葉に『おおっ!』と気炎を揚げる。
その時だ。
――ズンッ。
バルトは後方から、空間が歪んで上げた悲鳴のような音を聞いた。
その音に、ニヤリと笑い、振り返る。
まるで大気が落ちてきて、支えきれなかったとでもいうのか、魔物の軍勢が潰れた光景があった。
それを合図に突撃魔導大隊は、状況を開始する。
「突撃魔導大隊ッ! 前へッ!」
刹那、彗星の尾のような光線を残して、突撃魔導大隊は音速を突破して飛翔する。
27名が一糸乱れない様子は、まるで一本の槍のようでさえある。
それは、眼下に広がる弱い魔物の血溜まりと、纏わり付くものを煩わしいと藻掻く群れを越え、放物線を描いて落ちてゆく。
その先で、筆頭宮廷魔導師が待っている。
『鮮血の爆炎』『魔装魔導師』『深淵に近き魔導師』などと呼ばれる、当代最高戦力の『吸着の魔導師』が。
戦場に、場違いな衣装で臨む気高く誇り高くも、可憐な少女が。
突撃魔導大隊は過たず、ヴィヴィの背後の空間にピタリと停止した。
「突撃魔導大隊、到着いたしましたッ!」
「――ええ、存じております。」
にっこりと、花が咲くような笑顔に皆、口元が綻んだ。
「それでは皆さん、参りましょうか。」
~to be continued~