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サイ・リンリ  作者: 天宮蓮
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二章 リンガベル

 一人分の傘から見える、二人分の足。

 傘は、住宅街を市場を抜けて、街のはずれにきた。




「雨。やんだな」


 空を見上げ、うれしそうにつぶやいた辻行は傘をたたんだ。


リンガベルは、惜しそうにちいさくなった傘を見つめた。

同じ傘の下にいた時間は何も話さなくても二人の距離を二重の意味で近づけたように思えていたのに。


雨なんかやまなければ……。




傘がないことに気が付いたのは、支度を整え、いざ出かけようと玄関に立った時だった。

リンガベルは、自分が持ってきた荷物の中に折りたたみ傘が一本あり、それをさしてもう一本を市場で買ってくると提案したのだが、辻行はその必要はないと、傘を広げた。








傘をたたんで広くなった視界の中に、白い建物の大きな看板の前に立っている白衣の女性が見えた。

知り合いかどうか尋ねようとしたときには、もう隣に辻行はいなかった。


「せん、せいっ!」


 駆け出した辻行は、その女性に抱擁すると、その華奢な腰に手を回し、抱きかかえ、ぐるぐると二、三回転した。


「わっわわっ。おろしてくれよ」


「先生! お久しぶりです!」


初めて見せた彼の愛情に、行き過ぎた愛情表現にリンガベルは驚いた。

彼はあんなに嬉しそうな顔もするのだ、と。

投げ出された傘を拾いながら息苦しさを感じて、右手を胸に当てた。


また、この感覚だ。

命明と辻行が話している時と同じ感じ。自分に嫌気がさしてしまいそうなどす黒く渦巻くものが心を支配する。




「リンガベル」


名を呼ばれ、ハッとして顔を上げると辻行が女性の隣で手招きしていた。

向かうと、辻行の隣に立っている女性が微笑みかけてきた。


「リンガベル。紹介するよ。僕の主治医で恩師の無風(むかぜ)先生」


リンガベルの心を覆っていた雲の隙間から日がさした気がした。

命明と時とは違った。

辻行は、大事な人を自分に紹介してくれた。

その事実がリンガベルを救ってくれた気がした。


「叉瞳のリンガベル・レイと申します」


「辻行君には勿体ない美人さんだね。私は、無風(むかぜ)(はるか)()。浮林檎の研究員でもあるんだが、普段はここで医者をやっているよ」


「浮林檎の……?」


「私は客人をもてなしたいと思うんだが、中でお茶でもどうだい?」


無風先生の後ろの看板には、一週間の診察時間の一覧が書かれていた。

それによると今日は、休診らしい。遠慮は無縁かと後をついていった。






 切りそろえられた茶髪のボブヘアと、しわ一つもない白衣からは想像できないほど、診察室から、奥に入った研究室は散らかっていた。

診察室がごく普通に綺麗に保っている反面、隠していた地の姿が出たような汚さだった。


診療所は、玄関を入ってすぐに狭い待合室があって、その先により狭い診察室があって、先生が普段座っているであろう黒い椅子の後ろに、もう一つドアがある。

その向こうに研究所兼、自宅があった。

とはいえども、自宅の部分はさすがにプライベートであり、口頭で存在を教えられたぐらいで、案内はされていない。

研究所がこれだけ散らかっていて、突然、自宅の部分だけが清潔に保たれているとも思えないので、この場合、知らないままにしてくれたほうがよかったと、リンガベルは思った。



ミリアッド達は、部屋が散らかってしまうという事態に陥ることがない。

清掃用のミリアッドでなくても、塵の一つも許さない。

人間の補助をするうえで、それは必要であった。


担当の人間より、ミリアッドのテリトリーが汚いなんて事態はありえない。ただ、担当の人間にまで自身の主義は押し通せない。

担当の人間の部屋が汚く、さらに掃除や整頓をするなと言われたミリアッドは、塵に苦悩するしかない。




「相変わらず部屋きったないですね、先生」


 そう言って、容赦なく足元の書類を拾っては端に投げて歩く辻行の後ろにできた道をリンガベルは躊躇いながら歩いた。


「ははっ。言うねぇ。さあて、戻ってきて早々だが、辻行君には軽く今の状態を診させてくれ。先生は気が気でないよ。なあに、診察台で横になってもらう簡単なお仕事さ」


「えええ……」


口を尖らせる辻行の背を押して、二人は研究所のさらに奥の部屋に消えた。







一分もしないうちに、無風先生だけが戻ってきて、散らかった部屋の真ん中にあるややこしそうな部品でできた正方形の台の上の書類を床に落とし、パイプ椅子を二つ広げて脇に置いた。

どうやらこれがテーブルの代用品らしい。


「安心していいよ。十分ぐらい彼の脳波をとったら終わるから。痛くはないし、ベッドでちょっと寝ているだけだからね。リンガベル・レイ、ここからは二人で大人の話をしようか」


「……はい」


 頷いて、無風先生の手のひらで指示された向かいのパイプ椅子に浅く腰かけた。


「君は、辻行君のことについてどれくらい聞いてるかな?」


「いいえ。何も。昨日、刑期が十年だったことと、ドライアドが知人であることを知りました」


「それは命明だね。そうか……何も知らない、か。上層部が何を考えているか、研究員に過ぎない私にはわからないが、私は君が何も知らなくていいなんて思わないね。危険すぎる」


「危険……とは」


「私が浮林檎の人間だと言うことはさっき話したね。もともと辻行君は浮林檎の被験者として政府と契約を結んでいたんだ。両親を失い、生きる術がない彼は生活を保障してもらう代わりに、実験体として身を売った。

 政府が、犯罪者になった今でも彼を完全には手放さず、支給金や君を派遣して生活を支援しているのは、彼が不老不死であるからなんだよ」




 その事実に驚いたが、ようやく納得できた。十年前も辻行は十四歳のままだったんだ。


「この話は決して忘れないでほしい。

辻行君には血を見せないよう細心の注意を払ってくれ。切り傷でも、なんでもとにかく血は駄目だ。

血のように見えても絵具や赤色は考えなくていい。

彼は、血を見ると自我を失ってしまうんだ。破壊的衝動に駆られる、平たく言うと暴走してしまう。その原因の全てを私は知っているわけではないし、安易に口にすることもしたくない。


ただ、歯止めのきかなくなった彼をとめる術を私は持っている。

しかし、どういうわけか私以外が同じことをしても彼は止まらなかったよ。気を悪くしないでほしい。私が特別なわけではなく、私の何かが彼と共鳴するようなんだ。


 君に頼みたいのは、彼を暴走させないこと。それと、彼が暴走してしまったら私に連絡してくれ、ということだ。

 ……さて。そろそろ私は彼を起こしてくるよ。そうしたら、遅くなってしまったがお茶にしよう」





 その言葉の通り、無風先生は眠そうに目をこする辻行を連れて戻ってきて、先生に出されたお茶を飲みながら、三人で他愛のない話をした。

そのほとんどは、先生と辻行の募る昔話であったが。その間、リンガベルが話に集中できなかったのは言うまでもない。




 多くの学者や野望を抱く先人が『不老不死』について考え、研究し、求めてきた。

しかし、人工知能の研究がすすんだ今現在でも、不老不死を手にできた人間はいなかった。


ミリアッドを不老不死の分類に入れる者もいるが、ミリアッドは老いることはないし、ましてや死ぬこともない。

しかし、朽ちるのだ。彼らは生まれた時から、人間に望まれた姿をしている。

それが生涯、変わることはない。


ミリアッドの容姿は基本的に造った研究員の趣向とセンスである。

その理由を添えた書類を提出して、政府に承認さえされれば、どんな姿のミリアッドを造ることも可能ではある。

獣の耳を生やした少女型のミリアッドや、グラマラスな女性のミリアッドも正当な理由さえあれば可能であるが、過去にそういった例もなく、猫耳の必要性を書類に書いて提出するような研究員は一人もいたことがない。


かように造られるミリアッドの容姿は多種多様である。

個性を尊重する研究員に作られればピンクの髪色だってありえる。

この国では、人間の容姿についての規則は少ない。

基本的に、他人を不快にしないレベルであればどんな髪色をしてようが、どんな服を着ていようがお構いなしなのである。

一人一つのウォークインクローゼットを持つことからわかるように、服装にこだわり、服を大事にする国民性なのである。服装に合わせて、髪色までこだわりたい人も多いのだ。

それは研究員の趣向にも反映される。


リンガベル・レイを作り出した研究員も例外ではなく、彼女に個性を求めた。

自慢の艶やかな白銀の髪の先をリンガベルはくるくると人差し指に巻いて弄んだ。



しかし、目の前にいる彼はどうも不老不死らしい。

彼を殺したことはないのでこの手で確かめることはできないが、十四歳の姿のまま十年を壁で過ごし、出てきた彼の存在自体がその事実に疑う余地のないことを示している。


なぜ、人類が古くから求めてきた力を彼が手にしているのか。

それは、生まれた時からそうであったのか、生きている内に彼の元に力が宿ったのか。

疑問は次々に浮かんできて、一つも解決しない。




 八重辻行の身に何が起こったのか。

 リンガベルには知る由もなかった。


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