一章 辻行(2)
辻行の生まれは中央都市ではない。
住んでいたところも厳密にいうなら中央都市ではない。
しかし、中央都市にある中学校に通っていたころ、毎日、通学路として親しんでいたし、買い物があればきていたここは、懐かしい場所であった。
中央都市は名の通り、国の地図の中心に街を広げている。
中央都市を中心に、栄えている街がぐるりと四方を取り巻いて、その向こうに、八つの郷がある。
円型の国の地図を上から眺めると、時計の文字盤に似ていることから、人々はよく国を時計に例える。
中央都市から、北方はミリアッドに与えられた地区であり、ミリアッド養成学校とミリアッド研究所、浮林檎がある。
真反対の南方には、遮要壁。
東方には、政府組織。
西方には、二つの大きな病院。人間が専門の第一種国立総合病院と、ミリアッドが専門の第二種国立総合病院がある。
その全ては、中央都市を支える為に存在する。
四方の施設から郷に行くには距離があり、中央都市に比べて郷は発展していない。
国は郷を捨てたという噂は絶えず流れている。
辻行も郷を捨て、中央都市にやってきた人間であった。
しかし、都市で暮らすことはなく、辻行が暮らしていたのは北方にある浮林檎の一角であった。
そこでミリアッドに関する実験の被験者になることと引き換えに住居を貰い、学校に通うことができていた。
しかし、十年ぶりに見たというのに、驚くほど中央都市は進歩していなかった。
どうやら進化したのは、ミリアッドに関してだけらしく、街の景色はあまり変わっているようには見えなかった。
十年もあったら、空中を移動する機械が開発されて空中を高速移動したり、なんならミリアッドが空中を舞っていたりする世界を期待していたのだが、見上げた空は何の活用もされず、ただ雲がのんびりと流れていた。
地上も同じであった。満開の花が咲いているにぎやかな花壇。
陽だまりの中で遊びまわる子供と、それを見守って井戸端会議をする母親。
街中を巡っている水路の脇には桜の木が並んでいる。
建物の外装は相変わらずカラフルな積み木で出来ているし、その建屋に圧倒的に服屋が多いことも十年前とまるで変わってはいなかった。
リンガベルは、中央都市の数多くある門から入り、市場ではなく住宅街を通りながら目的地を目指しているらしく、市場は見ることができなかったが、これだけ何の変化もないのだ。
市場だけが著しい変化を遂げているとは考え難い。
その原因は、変化を好まない国民性によるものだということも薄々勘付いていた。
花と服を愛し、平和を愛する国民性。
一週間で季節が異なるが、月曜日は梅雨で雨。
火曜日は夏で晴れ。
水曜日は秋。
木曜日は同じ秋でも紅葉が見られる秋。
金曜日は冬で雪。
土曜日は桜が満開になる春先。
日曜日は春。
このように、秋と春だけ花に二日間あり、どちらとも花を見るために一日分多く存在する。
ウォークインクローゼットがどこの家にも家族分ある。
家族が一人増える時は、壁をぶち抜いたり、増築してでもその子のウォークインクローゼットを作る。
一日ごとに変わる季節に対応するには、衣替えなどをしている場合ではない。
一週間、どの日にも対応できる服の全てを収納するためには小さなクローゼットではとても足りない。
国民は、その環境を少しも不便だと思ってはいない。
合った服を選んだり、街に多くある服屋で買い物することを楽しんでいる。
「着きました」
均等に小さな積み木の家が並ぶ住宅街の一角で、リンガベルは足をとめた。
そして、アタッシュケースを少し開いて探り、カードキーを見つけて、チョコレート色のドアの脇の隙間に差し込んだ。
「ここで辻行はこれから暮らします」
「浮林檎じゃないのか?」
辻行は驚きを隠せなかった。
なんのために中央都市に連れてこられたのかもわからないままただ案内されてついてきたが、出所してから暮らす場所は浮林檎だと思っていた。
壁に入る前は、そこで暮らしていたのだから。
「犯罪者を被験者として利用することはできないという政府の判断です」
「よう……するにクビか」
「はい」
リンガベルは無情に言い切り、家に入って行った。
落胆を隠せないまま、そのあとをついていくしかなかった。
言っているリンガベルに罪はないし、政府の考えも間違ってはいない。
壁に入る前と同じ暮らしができるなんて甘えた考えを捨てきれていなかった自分が恥ずかしく思えた。
家の作りはシンプルだった。
玄関から入って一段上がったところにまあまあ広いリビングとキッチンを兼ねた部屋があり、右に二つドアがあって、左に同じように二つドアがあった。
「いい家ですね」
そういいながらリンガベルは端からドアを開けて行った。
「右は、二つとも部屋ですね。それから……左は奥がトイレ。手前が、脱衣所兼、浴室でしょうか」
一通り見て回ると満足したらしく、リンガベルはリビングの机にアタッシュケースを置き、辻行に振り返った。
「辻行、部屋決めをしましょう。奥の部屋のほうが日当たりは抜群でした。手前の部屋はクローゼットが二つありますよ。私は、どちらにしたらいいでしょうか?」
「……聞き間違えをしたらしい。もう一度言ってくれるか?」
「そうですか。どちらの部屋を私の部屋にしたらいいと思いますか?」
頭痛をおこしそうになり、重い頭を右手で支えて辻行はもう一度、状況を整理した。
叉瞳は、いかなる時も傍を離れず……。
「そんな馬鹿な。お前とここで暮らせと言うのか」
「もちろんです。それが私に与えられた任務ですから。遂行するまでです」
「色々と問題が……」
「何の問題があるのですか?」
リンガベルの不思議そうな顔に、邪心や下心があるのは自分だと思い知らされ、口を噤む。
何を考えているんだ、俺は。
相手は女子の姿をしていても人工知能に過ぎない。
何も起こらない。
ないものがなく、あるものがある……あるものって!
「心なしか、顔が赤らんでいるように思えるのですが。何をお考えですか? ところで私の身体はミリアッドにしてはよく出来ているほうだと自負しています。実に細部まで……」
そう言ってリンガベルは、ワンピースの胸元を軽くつまんだ。
「俺は、奥の部屋にする。お前は、手前のクローゼットの多い部屋にすればいい」
足早に去る辻行の背中にリンガベルは言葉を付け足した。
「十五分後に市場に出かけましょう。今日の夜ご飯から明日着る洋服までこの家にはあるように思えませんので」
部屋に入り、閉めたドアに寄りかかって辻行は深く深くため息をついた。
「……悪夢だ」
「寝ている時と希望を見つけた時にしか夢は見ませんよ!」
と、ドアの向こうから声。
筒抜けか!




