十四章 命明
繰り返し思い出して今でもうなされて夜中、目が覚めることがあの日々を命明はこれからも一生、忘れることができないのだろうと思う。
命明の辻行が生まれたのは中央都市の周りに分布する八つの郷のうちの一つであった今はなき、陸郷である。
陸郷は十一年前にとある夫婦の手によって滅ぼされた。
その郷の唯一の生き残りが辻行であり、命明は郷を滅ぼした夫婦の愛娘である。
辻行が生まれる以前の時代を命明は生きていた。
そして病に倒れた命明は、やせ細ってやがて死んだ。
そこで途絶えていたはずの命と意識が再び呼び戻され目を覚ますと、血で描かれた魔法陣の上で命明は、一人寝そべっていたのだった。
「お母さん……お父さん……」
そこで両親が優しく抱いてくれることもなかった。
黒魔術に手を染めた両親も、自ら喉を掻っ切って絶命していた。
生前、命明は特別なにかに秀でた子供というわけでもなく、両親は娘に対して歪んだ愛情を向ける人たちでもなかった。
ただ、最愛の娘の死が両親を狂わせ、大罪を犯させた。
状況を教えてくれる人など生き残ってはいなかった。
広場に描かれた巨大な魔法陣の上で規則正しく並べられている死体を見て事を把握するしかなかった。
一人の人間を生き返す為に一人の人間を生贄にするなんて言うような魔術のレベルをはるかに超越していた。
両親は、愛娘一人を生き返す為に同じ郷に住んでいた隣人を一人残らず生贄にし、自分らも生贄になった。
その結果、蘇った命明は普通の人間としての域を超えていた。
自らの寿命の先すら見透かしてしまうほどの超人で化け物になり果てた。
「嫌……一人で生きていくのは嫌……置いて逝かないで」
その時、泣くこともできないまま顔を覆っていた両手の隙間で確かに捉えたのは微かに動いた少年の姿だった。
「生き残りが……いるっ」
走り出した命明は縋るように少年の小さな胸に体重をかけ、必死に呼びかけた。
「息をしてっ。助けなきゃ、何が何でも助けなきゃ。私を……一人にしないで!」
「……ごはっ……うっ」
息を吹き返し、咽び泣くその少年こそが八重辻行であった。
転がり上半身を起こそうとした少年の腕に刻まれた注射痕は彼の壮絶な過去を物語っていた。
そうでなくても傷に触れた瞬間に少年の全ての記憶が命明の脳裏に自分の記憶のように鮮明によぎった。
『お母さんやめて……やめて……』
父親のいない食卓で二人分以上の手料理の全てを何時間もかけて匙ですくい、口元に押し付ける頬のこけた母親の姿。
サイズの小さな椅子に座らせられている辻行の口の周りには吐物がこびりついている。
辻行自身がそれを異常だとは思っていないが、命明はそれが狂っていることは眩暈を起こしそうなぐらいにわかった。
母親は辻行を愛しているかいないかというと、愛していなかった。
栄養として必要としていた。
どういうわけか口から栄養を摂取できない母親は血液から栄養を取り入れていた。
自分の血液からでも、夫の血液からでもなく、十三歳の息子の腕に毎日、針を刺し血を抜き取って食した。
空腹に喘いでそのまま噛みついたことも、軽く切り傷をつけたこともあった。
十三歳にもなれば力づくで抵抗することもできるように思えるが、生まれた時からずっと同じ環境にいた辻行には日常であったし、何も考えないで日々を耐えしのぐことを選ぶほどに心身ともに弱っていた。
虚ろな目をした小柄にしか育っていない少年は慢性的な貧血を起こしていて、行く先々で頻繁に倒れた。
そのたびに血相を変えて迎えにくる母親を周囲は心配性のよき母だと思い、気付かないふりを通し、遠方にばかり行っている父親の事は、きっといい医者を探しているのだろうと決めつけた。
少し考えればわかるような異常の中で周囲に放置され続けた辻行は、両親を命明の両親に殺害されたことで救われることになった。
「どうして……泣いている……の? お腹……すいてるの?」
それから命明は辻行に、両親を殺害したのは自分のためであったこと、辻行の苦悩が当然のことではないのだと教えた。
一度、他人から言われたぐらいで納得できるような話ではなかった。
辛抱強く、何度も何度も何日かかっても同じような話を聞かせた。
陸郷の人々はすべて死んでいるので外部に事件が伝わったのは、郷の外の人間がきてからのことだった。
異変に気付いた外部の人間がくるまでの間、腐敗し始めている死体の山の隣で二人は話し合いを続けた。数日がかりで今までのことについて語りあい、これからのことについて考えた。
命明は謝罪も許しを請うこともしなかった。
辻行も決して命明を許さないと決めていた。
憎む対象であるべき命明の手をとった辻行とともに来訪者がきたのを見てから郷を出ることにした。
二人はまず魔術の郷、漆郷を目指した。
そこは両親に黒魔術を教えた者がいると考えられた。
まずそこで命明を人間に戻す術を聞き出すつもりであったが、漆郷につくなり命明は捕らえられてしまった。
漆郷の者たちは時には辻行を材料に脅し従わせ命明の力を利用した。
商売道具としても、人の弱みを握る為としても。
その日も辻行の首に刃物を突き付け、拒む命明に千里眼を使うように強制した。
いつもと違っていたのは、磔にされている辻行が笑っていることだった。
「くははは……」
「黙れ! なにがおかしいっ」
両手を十字の柱に縛り付けられたまま笑い出した辻行に対して、取り囲んでいる黒頭巾の大人たちは警戒した。
左右からのびている槍の先に力が加えられ、首元に傷をつけた。
辻行は目を閉じたまま、檻の中に捕えられている命明に向かって言った。
「本当はこの距離からでも俺を助けられるんじゃないか? いつまでも助けてくれないと……このまま目を開けちまおうかな。もしかしたら弾みで死んじゃうかもしれないけど……いいよな、命明ッ!」
この時には既に辻行は血を見ると暴走を起こすようになっていた。
それを辻行自身、自覚したうえで血を直視しないようにしていた。
漆郷に捕えられてから血を目にすることは何度もあったが、そのたび目を閉じた。
暴走すればこの状況から逃げることができるかもしれないが、武器を持っている大人に囲まれている状況でそんな楽観的な考え方はできなかった。
周囲の人間を殲滅するより、目の前の槍で一突きされて殺されるほうが早い。
その状況を掻い潜って檻の中の命明を助けるのは更にむつかしい。
もちろん、それは辻行の命が一つだった場合だ。
辻行が声を荒らげると同時に二つの槍が首を貫通した。
「……痛てぇえええええっ!」
命明の眼力で千切られた縄から逃れた辻行は、地面を転がった。
目を閉じたまま、檻のほうに向かって手を伸ばした。
「全力で助けろ、命明!」
向けられた槍の先を頭上に刺さる寸前で素手で握って止めた。
流れ出る血に物ともせず咆哮をあげた。
命明の寿命を分け不死身と化したうえで暴走し怪力を手に入れた辻行を阻止することなど普通の人間にできるわけがなく、逃げるだけで精いっぱいであった。
数分後、人という人がみんな逃げだしてしまって無人と化した漆郷で力尽きた辻行はようやっと自我を取り戻した。
獣を宥めるようにその頭を命明が撫でていた。
「なんて馬鹿なことをしたの。これで辻行まで化け物になってしまったじゃないの」
「……いいよ。一人で生きるのが……辛いんだったら一緒に生きてやるよ……東へ行こう。ずっと……東の誰も陸郷のことも、俺たちのことも知らないところへ行こう……。俺は、大学に行きたいな……命明、お前は?」
「……人間のように生きたい。許されるのなら、望めるのなら、沢山の本に囲まれる生活がいい。……無理かな」
悲しげに笑いながら撫で続ける命明の手を握った。
「できるさ。中央都市にはさ……大きな図書館があるんだって」
命明の話を聞いてもリンガベルは眉一つ動かさなかった。
時折、無表情のままベッドの上で眠る辻行の顔を見下ろすだけだった。
彼女は顔半分を失ってから表に現れる感情が薄くなった。
それは顔の表情筋を動かしづらくなったのか、残っている筋肉を動かすこと自体が億劫なのか。
恋人の身の上話をしてもここまで何の反応を見せないものかと、命明は少々驚いた。
「その話は……私が追々、辻行から直接聞く話ですよね。私に聞かせることで何を期待していますか?」
「期待……ね。命明が言いたいのは、リンガベル・レイが今していることは無駄だという忠告と……鬱陶しいからやめてくれないかというお願いですよ」
「成程」
最近のリンガベルの行動について命明は苛立っていた。
退院してから一日、二日経ってからリンガベルは図書館に通い、熱心に何かを調べ始めた。
読んだ後の書物を手に取るような真似はしないが、大方、予想はついていた。
陸郷の一件を調べているのだろう。
そこまでのことについて命明は特に何のお咎めも言うつもりはなかった。
気に食わなかったのはその他の調べものについてのことだった。
連日、リンガベルは病院に通い頼み込んでいるのか何人もの医者を次々に家に招き入れた。
一日で三人も四人もきたこともあり、よくそれだけの医者を呼ぶ伝手があるのかと感心することもあったが、命明は辻行の安眠を妨げるような行為を連日していると不快に思っていた。
だからこそ、昔の話をして手間を省いてやることにして二人の家を訪れたのだった。
「何をしても目覚めないと思うし、命明はそのままでもいいと思ってる。辻行が望んでいるのなら。辻行は生きたいとも死にたいとも思ってない。未来に希望を抱いてるわけじゃないし、かといって絶望してるわけでもない。ただ、満足してる。自分の成すべきことは全てやったと」
「きっと寿命を分け合っている命明さんが言うんでしたらそうなんでしょうね。真似田を彼の苦悩から導いて、私を解体する運命から救って、死別したホーリィさんと再会して……恐らく何かを解決したのだろうと思います。そんなことで人生に満足しているのなら尚更、私は辻行が目覚める方法を探さなくてはと今、決意しましたよ」
「聞き分けのないレイチャムだね」
大股で歩み寄るなり命明は、自分よりはるかに背の高いリンガベルの胸ぐらを跳ねた勢いで掴んで同じ高さまで手繰り寄せた。
リンガベルは背中を丸めて屈む姿勢にされたまま命明を睨み付けた。
「リンガベル・レイ。少しは物を考えてから発言することをお勧めするよ。自分の言った言葉の意味をもう一度考えてみて。
辻行は百年生きてここにいるんじゃない。これから百年、百年以上の時を生きる。
過去の命明が分ける配分の加減ができなかったせいで千里眼は命明に残った代わりに辻行には命明よりも多くの生命力を分けてしまった。命明は長く生きても辻行の不死身のようにいつまで経っても死なないわけじゃない。命明は、辻行よりも先に死ぬ。
リンガベル・レイが死んでも命明が死んでも、大切な人をホーリィのように殺しても。大切な人たち、愛する人たちが死んでいく姿を一人で見ていく。どんなに気が狂いそうになっても、気が狂っても命が途絶えることはない。
すぐ壊れてしまうミリアッドとは違う。微塵切りで終われるリンガベル・レイとは違うんだよ」
掴んでいた手をそうっと離した。
後ろに尻もちをつくリンガベルを見下ろした。
「それでも尚、生きろと言うのか」




