十二章 辻行
「ヴァン・レイは鬼のような人ですっ。きっと命明は拷問の末に消し炭にされてしまうんですっ」
浮林檎の廊下を息を切らせながら疾走する辻行の隣で同じ速度で走る命明は、呼吸一つ乱れず、前方すら見ないでヴァン・レイの悪口を喚き散らしていた。
体格の差を感じさせないような圧巻の走りだった。
「お前が悪いぞ」
「なんですと。辻行までがあの四白眼娘にひれ伏すのですかっ。嘆かわしい、世も末ですっ」
命明の口から誕生歌の話が出たのは重なった偶然のことだった。
辻行も誕生歌の噂は以前から知ってはいたが、その話が今回、リンガベルと繋がっているとは思わなかったし、自力でそこまでたどり着くのも困難であった。
話の中でふいに出てきた誕生歌が話題になり、そういえばリンガベル・レイとその話をした気がするという曖昧に言った命明を問い詰めた結果、リンガベルが失踪する数日前に命明の元を訪れていたことが判明した。
そこで命明は誕生歌の在る場所はどこかと聞かれて、そのCDを取り扱っているレンタルショップの一つを教えたという。あまりに拍子抜けをするようなてん末であった。
恐ろしい抹消プログラムが入ったCDが誰も知らないグループ名でレンタルショップの商品に紛れて陳列棚におかれているということも意外であったが、それを教えたのが命明であることは意外を通り越して腹立たしかった。
もちろん、その怒りは命明ではなくその発想に行きつかなかった自分自身に対してのものだった。
命明に怒るのは畑違いである。
命明は最初からそういう奴なのだ。
彼女は人に教えを乞われれば答えてしまう。
自分にとってそれが損得どちらでも、世の中にとって善悪どちらでもそれを考えるほどの人間性は持ち合わせていない。そして当然のことをした事をいつまでも覚えてはいない。
この場合、辻行が悔いることは「リンガベルがいなくなった」という言い方ではなく、「リンガベルがこなかったか?」と最初から命明に聞いていたのならばこの誤解はもっと早くに解けていた。
言った相手が命明ではなかったのなら「いなくなった」と聞いた時に、失踪する前後の時間でどこかで見かけなかったかと機転を利かせて考えてくれる。
今回のように直前にリンガベルに不自然な質問をされたのならそれを教えてくれるだろう。
命明が同じように機転を利かせてくれていると辻行は勘違いをしていた。
思い込んでいた。
誕生歌の話まで行きついた先の道のりは長かったがヴァン・レイのところまでなんとか辿りつくことができた。聞いた時点で、ヴァン・レイとリンガベルが旧友であることを辻行は知らなかった。
養成所は何を聞いても黙秘を続けて卒業生の交友関係ですら教えてはくれなかった。
そこで辻行はここぞとばかりに命明の名前をチラつかせた。
すると途端に口が軽くなって聞くことは何でも答えてくれた。
ヴァン・レイはリンガベルの行先の詳細までは聞いてなかったが彼女の残した言葉が示す場所に辻行は心当たりがあった。
浮林檎の微塵切りのことが真っ先に頭に浮かんだのだ。
そのことを伝えるとヴァン・レイはすぐに動いた。
人を呼び、浪勢の応援を要請した。
至急連絡を取り、浮林檎の内部に入る許可をとってきた。
事は一刻を争うと、浪勢達と共に辻行と命明は浮林檎へ向かった。
「ちょっと! 君たち、とまりなさい!」
その時、廊下を走る辻行と命明の前に浮林檎の研究員の一人が両手を広げ、立ちはだかった。
組織の上の人間に入る許可を貰っていても、千人近くいる浮林檎の研究員、全員に情報が行き渡るわけではなく、突然の部外者に対して体を張ってでも止めに入る研究員も多くいた。
微塵切りまでの長い距離で足止めを食らうたびに、状況を理解させるためだけに貴重な浪勢の人数が削られた。あるいは、区間の防犯システムを停止させ、扉の解除を求める為にも浪勢達は向かった。
援軍がくるまでに集まった浪勢は片手で数えられるほどだった。
本部に常駐していた浪勢の多くは幹部であったり戦力外の訓練生で、外部に行っている浪勢をすぐに呼び戻すことできなかった。
明らかな人手不足で辻行達の後ろを走ってくる浪勢はもはや一人もいなかった。
騒ぎを聞きつけ、前方からも白衣の研究員が向かってくる姿を見て歯切りする辻行の顔の横で何かが高速で通過した。
研究員に向かって命明が華麗にドロップキックをキメた瞬間だった。
「ふんっ。ヒキコモリをなめてもらっちゃ困りますよ、命明はやらないだけで出来る子なんですよ。お見せしましょうっ!」
着地すると同時に両手をひいて構えた命明は、走ってきた研究員の元に滑り込み、小さい身体をごとねじりを加えて跳ね、アッパーをくらわせた。
失神した研究員が倒れた時には、命明は既に動いて、逃げ出した二人の研究員まで追いかけたうえで背後から蹴りを加えた。
二倍の背丈のある大の大人四人を負傷させた後に涼しい顔して辻行の元へ戻ってきた。
「八重辻行。あなたはこの命明に感謝するべきなのですよ。ヒキコモリの命明が図書館を出るなんて今回以外にありえません。異例中の異例です。命明は図書館から一歩も出ずに人生を終えるつもりだったのですから」
「……やり過ぎだ。後で謝れ。行くぞ!」
こうしてなんとか微塵切りのある解体場所まで行った先で辻行を待っていたのは衝撃の事実だった。
辻行は隅々まで見回ったのち、そこいた微塵切りの番人の話を聞いてようやっと事を理解した。
分かり合えず仲たがいした二人が再会したこの場所のことを辻行が大切な場所だと思っていたのと同じような気持ちでリンガベルも思っているのだと、そう考えたかったのかもしれない。
字名と二人で助けたつもりでいたが、それは自惚れであったと、辻行は微塵切りを見上げて笑った。
そこにリンガベル・レイの姿はなかった。




