十章 リンガベル
リンガベルが毛布を蹴飛ばし、飛び起きると辺りは静寂に包まれていた。
鈍っている頭をふるって懸命に記憶を辿った。
無風先生と口論になり、何か強力な薬を注射された。
そして意識が遠のいて。
次に目覚めた時は、去る辻行の背中が見えた。
全身が重く、思うように動かない口で必死に言葉を絞り出した。
それを聞いた辻行は笑った。そして再び意識を失った。
診療所の奥に作られた部屋には窓が一つもない。
日中でも灯りをつけないと暗いと感じる。
今が昼なのか夜なのか狂ってしまった体内時計ではわからない。
しかし、広がる静寂は不気味なものであった。
何故、人の気配がしない?
無風先生は、辻行はどこに?
「辻行……」
勢い余ってベッドから転げ落ちたリンガベルは這いつくばって進んだ。
わずかに空いているドアを殴るように押し開けた。眠っていた部屋と同様、散らかる部屋にも電気はついていなかった。
その時、鼻をさす悪臭を感じた。
そして部屋の隣に備え付けられている三点ユニットバスから微かに物音がした。
リンガベルは壁に摺りつくように立ち上がって駆け出した。
バスルームのドアを開けた先に飛び込んできた光景に青ざめた。
吐瀉物の詰まった便器にしがみ付くように青白い顔の辻行がもたれかかっていた。
「辻行ッ! 辻行、辻行ッ」
呼びかけても彼は返事をしなかった。
背中から腹部に両手を回して便器から引きはがすように抱きかかえた。
全てが暴かれた無風は、辻行におそらく普段の何倍もの濃度の毒を注射したのだろう。
そして嘔吐した辻行を放置し、どこかへ行ってしまった。
一体、何時間前の出来事なのだろう。
いつから辻行はこんな状態で……。
口元を汚している吐瀉物が乾いていることに気付き、涙を拭いながら辻行を横向き床に寝かせ、背中を叩いた。
応急処置をするには手遅れだったと思ってもその手をとめなかった。
叩きながら中指にはめたリングに叫び続けた。
「SOS! SOS!」
すると自動的にリングの電源が入り、開けた液晶の中でオペレーターのミリアッドが現れた。
『こちら緊急センター。どうしましたか?』
「救急車を! 担当が嘔吐して倒れてます。数時間経過。意識なし。早くッ!」
『応急処置をやめないでください。直ちに救急隊員を向かわせます』
その言葉を残し、通信は途絶えた。




