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サイ・リンリ  作者: 天宮蓮
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九章 辻行

 指し直したかんざしを揺らしながらピンク色の髪の少女は厭味ったらしくはにかんだ。


「くっひひ。よく腰抜けの八重辻行が懲りずに俺に会いにきたもんだ。てっきりもう来ないと思っていたぜ。聞かせてくれよ。友達を売って手に入れた平和の心地はどうだ?」


「最悪な気分だ。叫んで、喚いて、泣き出したいよ」


「そりゃあいい」


 辻行は無夢に再び会いに来た。

 会いにきたというよりは、訓練の一環である以上、接触は避けられなかった。



 わかっていた。無夢の正体が自分を映し出す鏡であることを。

 だからといって無夢に同調して寄り添うことも、否定し論破することも望まなかった。自分自身であるのならば、無夢と意思を通わすこともできたはずだ。

 自らを卑下する否定的な考えを認めたら無夢は姿を消し、訓練は完了するのかもしれない。



 でも、そうできるほど、辻行は成長しているわけではなかった。

 嫌な事を言われば、腹は立つ。


 それでも無夢と言い争う気分にならなかったのは、無夢も自分もそのままでもいいのではないかと思えたからだった。自分を否定する自分も、つまり無夢はそのまま何もせずそこにいてもいいのでは、と。

 弱さに真っ向から向き合うことができなくても、弱さを否定して力を手に入れなくとも、無夢が確かにそこにいる、と知ることが重要だというのが辻行の導き出した答えの一つだった。


「ふん。随分と不愉快な答えだ。俺が罵ろうと何しようと相手にしてもくれないわけか。なるほど」


 心の全てを見透かした無夢は珍しく頭を垂らして落ち込んでいる様子だった。


「俺を黙らせた気になるな。俺のデータが消えても俺がいなくなるわけじゃない。いつも近くにいて絶えず囁いてやる。お前は駄目な奴だ。お前はいないほうがいい。それじゃ駄目だ。その判断は本当に正しいか?と」


「知ってる。ずっと知っていた」


 無夢が少女の姿になって現れなくても、彼女はずっと心の中にいた。

 絶えず、嫌な事をささやき、時には判断を鈍らせた。

 誰の心もそうであるように。悪魔の囁きだとか、魔が差したとか人は時にそれらのことをそう呼ぶのだ。




 辻行にとって海里を失ったこと。正しくは自らが裏切り、差し出したことは立ち直りがたい出来事で深い傷として刻まれた。

 その夜は眠れず、時折、大声を上げた。

 しかし、寝れずに考えても海里を取り戻すことは到底できなさそうであった。

 だとしたら、乗り越えるしかない。


 身勝手な話ではあるが、その他に考え付かなかった。

 ずっとその痛みを引き摺っても悔やんでも海里は帰ってこない。だからといって綺麗さっぱり諦めて納得することなどできなかった。どうすることもできないなら、痛みを伴って痛みを乗り越えるしかない。



 そう考えた時、不思議と穏やかな気分にすらなった。


 あんな酷い仕打ちを友達にしたというのに穏やかな気分になった自分を責めた。

 けれど、いつまでも責めて塞ぎ込むことをしなかったのは、リンガベルの存在があったからだった。


 半身を失った彼女の目の前ではなるべく、微笑みかけたかった。

 彼女ほうが辛いはずだ、とも思っていた。

 しかし、それが全てであるほどできた人間でもなかった。彼女がいることで、心なしか強くなれる気がしていた。強くなりたいと、優しくなりたいと再び望んだ。

 訓練を再開することを決意した。

 そうすることでリンガベルを守れる力が欲しかった。







 ベッドから起き上がると、見計らったように注射器と駆血帯を持った無風先生がドアの向こうから現れた。

 その背後にリンガベルの姿が見えた。部屋にこそ入ってはこないが心配そうにこちらを見ていた。

 といってもリンガベルの顔の半分は鉄板ゆえに表情筋など存在しない。右半分の動きで判断するしかできない。

 辻行が半身を起しているベッドに寝たきりだったリンガベルは立ち上がれるようになった。

 ゆっくり動くことには支障がないが、以前のように俊敏に立ち回れるようになるにはもう少しリハビリが必要だと無風先生は言っている。


 リハビリはなるべく体に負担をかけないように行っているが、痛みが伴わないはずがない。

 それでもリンガベルは我慢強く、弱音を吐かなかった。

 しかし、日常の動作で失った部位の作用を思い知る時、特に左目が見えない事で起こる不自由の壁に当たった時、リンガベルは何とも言い表せないような微妙な顔をする。

 その顔を見ると、辻行は心が痛むのを感じた。

 その度に奮起した。




「楽にして」


 無風先生は、そう言って慣れた手つきで服の袖をまくって、駆血帯を巻き、針を血管に沿わせた。

 お見事なものだと思う。

 そこら辺の医者よりずっと素早く上手い。


 訓練とその後のケアをしている間、リンガベルが部屋に入らないのは誰かがそうしろと言ったわけではないが、辻行が嫌がるのを勘のいいリンガベルは察しているのだろう。

 そのことを辻行は情けないがありがたく思っていた。


 そこら辺の医者の多くが袖をまくったところで躊躇う。

 辻行の両腕の傷跡を見たからだ。

 素人が打った下手くそな注射痕、様々な形をした切り傷の痕がはっきりと見て取れる。

 それは何も両腕に限ったことではない。その傷は肩や腹部や、太ももにも至る。

 服を軽くめくって見える部位の全てに及ぶ。



 無風先生は初めてその傷跡を見た時もたいして驚かなかった。

 似通った患者や知人がいるのか理由は定かではないが、それによって辻行がどれほど救われたことか。







「今日は天気がいい。リンガベル・レイを連れてリハビリも兼ねてお使いに行ってくれるといいよ」


「はい。先生」


 先生に勧められ、身支度を整え、リンガベルにもコートを羽織らせて二人は久しぶりに外の世界に出た。



 リンガベルは支えがなくても歩けるほどに自立できていたが、段差に気付きにくいので横でその存在を知らせる為に辻行は寄り添うように並んで歩いた。



 気持ちのいい秋晴れの空を見て、リンガベルのコートが冬物であることに気付いた。


 海里が捕まって無罪放免になってから一度、家に戻ってスーツケースに入るだけ持ってきた服の中でコートはその一着しか持ってきていなかった。


 あれからというもの、二人は診療所で先生と暮らしている。それはリンガベルの回復を待つためでもあり、精神的にまいっていた辻行を先生が心配してのことだったが、今となってはそのどちらの心配もいらなくなりつつある。

 リンガベルは、生活に必要な動作の一通りはできるぐらいに回復している。そこに何の心配もないわけではないが、ゆっくりと行うならあまり問題はなさそうだ。リハビリについても何も住み込みで行うほどではない。自宅から診療所に通えばいい。辻行についての心配はほぼ問題ないだろう。




 つまり、もう無風診療所で暮らす理由がなくなってしまったのだ。


 診療所で暮らす毎日はそれなりに楽しいものであった。しかし、診療所は家ではない。

 居候する理由がない以上、いつまでも居座るわけにはいかない。


「近々、診療所を出て家に帰ろう。無風先生ほどはできないけど、俺も君をサポートするよ」


「……叉瞳が人間に補助されるなんておかしな話ですね」


 彼女は笑ってそう言った。

 叉瞳は人間をサポートする為に作られ、補助する為に勉強をし、手に入れた夢だ。

 それが反転してしまったというこの状況がひそかに彼女のプライドを傷付けていないか少し心配になった。




 天を眺めて歩いていて、突然、眩暈に襲われた。

 地面も太陽も揺れるようで目を閉じて、立ち止まった。


 次に目を開けると、辻行の顔をリンガベルが黙って覗き込んでいた。


「うわ。びっくりした」


 辻行が仰け反っても彼女は目を逸らさなかった。


「体調が悪いんですか?」


「ただの眩暈だ。すぐによくなる」


「そうやっている様子を時折、見かけます」


 たいした洞察力だと思った。


 身支度にかかった時間は十分前後。そこから歩いて、診療所はまだ後方に小さく見える。

 そろそろ来てもおかしくはなかったわけか、と一人で納得する。




「精神訓練の後はいつもこうなんだ。少しだけ眩暈がしたり、気分が悪かったり」


 リンガベルは何も言わなかった。

 驚いていたのか、何とも思っていない顔をしていたのかよくわからなかった。



 先生のお使いはもっと重いものを買わされたり、なかなか見かけないものを見つけてこいというような無茶なことを要求されると思っていたが、いたって良心的なものだった。

 市場の紅茶専門店で明日の朝に飲みたい紅茶を買ってきて、と言われたのだった。





 市場に向かって歩き、道行く人が増えていくと、リンガベルを目で追ったり、何度見かする人も出てきた。

 先生が市場、だと指名したのはただ単に専門店がそこにしかないせいでもないように思えた。市場を二人で歩くということは、リンガベルは否が応でも好奇の目に晒されることになる。

 先生はそれに慣れろ、と言っているのだ。




 ピンクの髪色や緑の髪色が個性として認められている世界で個性の為に眼帯をつける人も稀だが、いないわけではない。探せば、包帯で顔半分を覆っている人だっていくらでもいるだろう。


 それでも、彼女が目立ってしまうのは事実だ。包帯をとったところでそれは悪化する一方だ。

 浮林檎から部品を送ってもらう目途がたっていない今、リンガベルの容姿はどうすることもできない。

 だからこそ、辻行は他人からの視線に早く慣れる必要があると無風先生は考えたのだ。


 そして、隣にいるリンガベルも。彼女がそれを恐れて家の中に閉じこもってしまうことだけは絶対に避けたかった。

 心当たりはないが、いつかそんな気持ちになったことがあったような気がして辻行は、リンガベルの右手を掴んだ。


 出会って初めて掴んだリンガベルの手は、思ったより小さくて骨が細かった。

 自分より少しだけ温度の低いその手は、人間の手と変わりなかった。




「いらっしゃい」


 紅茶専門店の通りより三歩奥まった店内に入り、声をかけられて咄嗟に手を離した。

 離された右手は行き場を失い宙を彷徨ったあと、引っ込んだ。

 心臓の鼓動が早くなっているのを誤魔化す為に、陳列棚に並ぶ試供品の茶葉の香りを嗅ぐふりをして、いつもより饒舌に話した。


「いい香りだ。これもいいな。リンガベルはどれがいいと思う?」


「……紅茶を選びのセンスは辻行の方がいい、かと。お任せします」


 あっさりと投げ出されてしまった。

 その後も、いつもと口数の変わらないリンガベルに一方的に辻行が話しかけ続け、二種類の茶葉を購入することにした。

 会計をしていると、店員の男が話しかけてきた。


「お客さん、ごひいきに、いつもありがとう。これ、うちの新作なんだ。よかったら飲んでいってよ」


「ありがとうございます。リンガベル。くれるって」


 店員が差し出した紙コップを受け取りながら、辻行は、店の隅に立っていたリンガベルを呼んだ。紙コップに注がれた紅茶からは濃厚なバニラの香りがした。


「御嬢さんもどうぞ。御嬢さんの名前、リンガベルっていうのかい? いい名前だ。苗字は?」


 何気ない会話の一つだった。この国では、苗字と名前はどちらか片方ではなく、両方尋ね、両方答えるのが礼儀である。

 そうしないと相手がミリアッドなのか人間なのか識別できないからだ。




「リンガベル……。リンガベルです」


「ごちそうさま。おいしかったです。飲んだら、行くぞ」


 空になった紙コップを渡して辻行は踵を返した。

 リンガベルがついてきていることを確認しながら市場から外れた路地に入った。

 リンガベルがくるのを待ってから問い詰めた。



「何を企んでいる? 自分が何をしたのかわかってるか?」


 辻行は、リンガベルが犯した行為についてなあなあにしたり、見過そうとはしなかった。

 レイチャムがレイを名乗らないことは、禁忌にさえ触れることだった。



 ミリアッドは人に名を名乗る時、レイかロンを相手に伝えるのが義務である。

 呼ばれる時も、どちらもつけずに名前だけを呼ぶことができるのは担当になった人間のみに許されることである。

 それ忠誠と信頼の証であるからだ。

 ミリアッドであるリンガベルが担当である辻行以外に名乗ったにも関わらず、レイを添えなかったことは自らが人間であると偽りを公言したこととそう変わらない。レイチャムが人間のふりをしようとしたのだ。

 何の目的があろうと、どんな意図だろうとそれはしてはいけない事の一つであった。


「何故、何故レイを名乗らなかった? 何をするつもりだ、お前」


 多くを学んできたリンガベルが善悪の分別がつかないわけがなく、リンガベル自身もその罪の重さに気付いているようだった。

 しかし、リンガベルは気付いても認めようとはしなかった。


「レイチャムとして生まれたことは誇りですが、それを呪いたくなることだってありますよ。何故、人として生まれなかったのだと……。人として……人として生まれたかった」





「何を……言ってるんだ」


 辻行が驚いた顔を見てリンガベルは口を噤んだ。

 そして再び開こうとしなかった。



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