八章 リンガベル(2)
養成所に入って間もなくして、ヴァン・レイの存在を知った。
二学年うえのヴァン・レイは才色兼備だと言われていて、いつも輪の中にいる存在だった。
叉瞳や浪勢といった職種の資格を取得し次第、卒業することが可能な養成所で学年の上下はそれほど意味を持たなかった。
製造年月日が近いミリアッドを何十人かまとめたものを学年と呼び、分けていた。
ミリアッドの養成所では入ったその日から自分で受けたい授業を選択し、スケジュールを自分でたてる。入学初日から自らの夢が決まっていてそれに必要な授業を選択することはいくらミリアッドでも困難である。
どの職種を選ぶのか、どんな授業を受けるべきなのか教員は一切を教えてはくれない。
そこに用意されているのが、姉妹制度である。
パロキロンの場合は、兄弟制度とも呼ぶ。
余力があり、ボランティア精神のある上級生が登録している。
そして、事務所にて参加を申し込んだ一年生とより馬が合いそうな上級生をコンピュータが導き出し、両者を紹介する。
その後、本人達の返答を聞いたのち、二人が出会う機会を作る。
こうして出会う上級生と下級生のペアのことを姉妹と呼ぶ。
姉役となった上級生は、下級生の面倒を見る。
途中で関係を終結することもできるが、大半の姉妹はどちらかが卒業するまでその関係を続ける。
後に、他より遅れて姉妹制度の妹として登録したレナベル・レイと同級生ではあるが姉として登録し直したリンガベルが出会うことになるが、それより以前に入学したてのリンガベルは姉妹制度を利用した。
そこで出会ったのがヴァン・レイだった。
ヴァン・レイの噂はよく耳にしていた。優等生として賞されても才能をひけらかしたりはしない下級生の憧れの的だった。
彼女目当てに姉妹制度に登録する生徒もいたぐらいに彼女の人気は高く、リンガベルは別世界に生きるミリアッドだと思っていた。
しかし、コンピュータはヴァン・レイを紹介した。
リンガベルは恐れをなして即、辞退した。
周囲から恨まれることも、羨まれることもリンガベルは望んでいなかった。
しかし、辞退したにも関わらずヴァン・レイは「そこにいなさい」とだけコンピュータを通して伝えてきた。
紹介されてから互いの返事を待って出会いの場が決まるまで数日を要する。
逃げてしまおうかと迷ったままその場で歩いてはもとの位置まで戻ることを繰り返していたリンガベルの元に息を切らせたヴァン・レイが現れた。
「私に追わせるなんて貴女が初めてよ。どこが気に食わなかったのか正直に仰い」
薄い水色の瞳をして、長い黒髪を揺らしながらヴァン・レイはそういったのだった。
説得されたリンガベルとヴァン・レイは姉妹として正式に登録した。
僻み、リンガベルを悪く言う者もいたがそれをヴァン・レイは許さなかった。
捕まえては相手を泣かせるまで論破した。
時々、見せる気性の荒い一面を含めてリンガベルはヴァン・レイを魅力的だと思い慕った。
ヴァン・レイは男勝りなぐらい気丈で、はっきりとした物言いを好み、プライドが高い性格であったが正義感が人一倍強く、情に弱かった。
浪勢を目指すヴァン・レイと叉瞳を目指すリンガベルは同じ授業を受けることが少なかった。その分、会った時は時間を忘れて色々な事を語り合った。
その中で恋愛について語ったこともあった。
「ミリアッドだからって恋愛を諦める理由にはならないと私は常々思うわ」
「しかし。ミリアッドは恋愛感情事態をそもそも抱かずに生涯を終えることがほとんどだと教授に教わりました。私も、同感です。好き、という気持ちを抱いたことはないですし、これから抱くような気がしません」
「それは人間に比べてミリアッドの情緒が部分的に欠けている事実があるからよ。ミリアッドが生きていくうえで愛情がそこまで必要ではないと判断されたんですって。けれど、私達が生きていく上でそういう感情が育まれる可能性も否定できないのよ」
ミリアッドの恋愛論についてリンガベルは否定的であり、ヴァン・レイは肯定的であった。
それが食い違う意見の一つでもあったが、それについて討論することを二人はそれなりに楽しんでいた。
「どうも陳腐でいまいち理解できないんですよ。利害の比率が平等に思えません。メリットがあるとは思えないですが」
「リンガベル・レイは随分とクールなのね。恋愛はきっと足し算や引き算じゃないわ。掛け算でもないし、割り算でもない。方程式にはできないのよ。あるいはそう考えるなんてナンセンスだわ。好きという気持ちは、かなわなくても素敵だと私は考えるわ」
「解せませんね。ミリアッド同士の恋愛は両者がもともと恋愛の概念をもっている人間のようにうまくいきませんし、人間との恋愛はタブーです」
「それは勿論よ。人間とミリアッドが恋仲になることはあり得ないわ。でも、惹かれた時には、立ち止まれず動き出している自分に気付く日がリンガベル・レイにもくるかもしれないわよ」
「もしかするとヴァン・レイにはそんな人がいるのですか?」
ヴァン・レイは唇に人差し指を突き立てて、光を浴びて輝く氷のように綺麗に揺れる瞳を歪ませた。
「それは秘密、だわ」
リンガベルは、右目をゆっくり開いた。
視力も感覚も失った左目はもう使い物にならなかった。
「起きたか。随分とゆっくり寝てたな、リンガベル」
「辻行……」
見えない左目の死角に立っている存在に気付いてリンガベルは首を左に傾けた。
この前、目覚めた時に首が回らなかったのは、サポーターで固定されていたためだと今になって知った。
そこにはパイプ椅子に座ってこちらを見つめている辻行の姿があった。
その顔は一見、穏やかそうに見えるがその瞳の奥に悲愴感が漂っていた。
「あの」
「謝るような白けた真似はしないでくれよ。俺も謝らなきゃならなくなるだろ。あの時の事を恨んでいるなら助けになんてこない。……痛むか?」
どちらか迷って首を縦に振った。
どうやら正解だったようで辻行はかすかに口元を緩めた。
久々に再会した辻行は以前よりずっと優しく思えた。
リンガベルがそう思うようになったのか、辻行が変わったのか、あるいはどちらの要因もあるのかもしれない。
しかし、出会った時の虚ろな目をした辻行はきっとこんな顔を自分に向けてはくれなかった。
あの時の彼には他人を気遣うほどの余裕はなかった。
「お前の身体は無風先生の力ではそれ以上の回復は望めない。浮林檎に頼み込んでも部品は分けてくれるかはわからない。頼む価値はあるかもしれないが」
「……平気です。この通り、話もできます。確かにショックですが、慣れればそれほど絶望的ではないかもしれません」
その言葉の半分は嘘でできでいた。
生みの親である研究員がくれた容姿にリンガベルは自信と誇りを持っていた。艶やかな銀髪が失われなかったことは感謝するべきだが、与えられた身体の半分は鉄板になってしまった。
浮林檎に行って部品を貰ったとしてもそれはもう生みの親が作ってくれたものではない。
懸命になおそうとしてくれた無風先生の愛と熱意を感じる一方で別の愛が薄れていったと感じた。研究員にとって大量につくったミリアッドの一人でしかないことも充分自覚していた。
「リンガベル。これからはもっと傷つけ合おう。黙って耐えて、勝手に消えるような真似はしないでくれ」
「……はい。心がけます」
その言葉に救われた気がした。
辛い事、悲しい事が少し楽になれた気がした。
辻行に少しでも必要とされていること、辻行が自分の目だけを見て自分に語りかけてくれたことがこんなに嬉しいということを以前の私はきっと知らなかった。
「浮林檎に還れ」と言われて泣いたあの日の私はこんな日がくることを想像していなかっただろう。
「あの時、私の手を掴んだあの人は……?」
微塵切りに飲まれた自分の手を掴んだ少年の姿がここにないことにリンガベルは薄々気づいていた。
眠りと眠りの間の微睡みの中では確かに楽しげな三人の声が聞こえていた。
無風先生と辻行と、もう一人の声が。
そして辻行の瞳の奥の悲愴感の正体は恐らく、彼の存在なのだろうということも察した。
「字名……海里は俺が裏切ったんだ。友達だった」
そして静かにリンガベルの元に現れるまでの数日の出来事を辻行は語った。
殺人鬼の字名海里という少年に出会い、共に脱獄し、浪勢に囲まれた時にクーレントに救われたこと、診療所で過ごした日々、そして政府の取引に応じて海里を裏切ったことも嘘偽りなく、事実を包み隠すこともせず話した。
リンガベルは驚きながらも全ての話を聞いた。
「クーレントに助けられたことに何か心当たりはありますか?」
「ない。存在は勿論知ってるが、顔を見たこともない」
話の中で最も気にかかることはやはりクーレントの行為であった。
「クーレントのした事は国への反逆であり、ミリアッドへの裏切り行為と思われても仕方がない事態です。クーレントが何故、ミリアッドを使ってまで二人を助けたのか私にもわかりませんが……どのみち、クーレントは無事では済みません。
クーレントは私たちの大脳ですから、クーレントを罰することはできませんが、黙っているような政府でもないです。きっと、これからよくないことが起こりますよ」




