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サイ・リンリ  作者: 天宮蓮
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八章 辻行

 物が散乱する部屋の中、ようやっと見つけ出した折り畳み式の椅子を広げて、そこに座ると無風先生はため息をついて、コーヒーをすすった。


「まったく辻行君にはいつも驚かされるよ。脱獄者になって、殺人鬼君を連れて帰ってくるうえに、リンガベル・レイはこの状態とは、ね。体の六割を失っても絶命しないなんてミリアッドは頑丈だ」


「巻き込んですみません」


 無風先生が淹れてくれた何杯目かの濃すぎるコーヒーで両手を温めながら辻行は小さく頭を下げた。


「最初からそのつもりだったんだろう。まあ、いいさ。辻行君の判断にしては賢明だと思うよ。素人に治せるような損傷じゃないからね。それにこの部屋の存在は浮林檎の同僚か私ぐらいしか知らないから、浪勢の目ぐらいは誤魔化せる。私の建前は、小さな診療所の医者に過ぎない。同僚が口を割るまでここにいるといいよ。外出は遠慮してくれ」


「はい。ありがとうございます」





 昨晩、三人は無風診療所のドアを叩いた。

辻行に背負われていた上着をめくってリンガベルの姿を見ると、無風先生は黙って頷いてドアをあけた。


そこからリンガベルの治療が始まった。

その途中で海里は壁にもたれたまま、ずるずると床に滑ったまま眠った。

その間、決しておいしいとは言えないコーヒーを繰り返しおかわりして辻行はその姿を見届けて夜が明けた。





リンガベルは、診療所の一番奥の部屋、辻行が無夢と会う時に使うベッドの上で今は眠っている。

徹夜明けの二人は、そこから一つ手前の部屋で一息ついた。長夜を共にした不味いコーヒーも最後の一杯だと思うとほっとするような味わいに少しぐらいは感じる気がする。


「元通りには……ならないからね」


無風先生が浮林檎の研究員であり、優秀な医者であることを思い知らされるのにはこの一晩で十分であった。


リンガベルの失った部品を浮林檎に取り寄せることはできなかったが、他の金属や部品を散らかった部屋から掘り出しては、それらで繋ぎ合わせた。


両手を無駄なく動かしながら先生は何度も辻行に言った。

歩くこと、動くこと、話すこと、それら日常生活やコミュニケーションにおいて支障をきたすことはないだろうが、リンガベルの美しかった容姿は補えないと。

失った人工皮膚は浮林檎が開発したもので代用できるものはない。

浮林檎から取ってこられない以上、リンガベルの身体のほぼ、半分の表皮は鉄板のままにするしかなかった。


その中でも特に痛々しく思えたのは、同様に失われた顔の左半分も鉄板がむき出しで、その左目もあまり役には立たないらしい。

無風先生は顔半分に包帯を巻いたが、気休めにしかならないと言った。


女の子が顔を失って傷付かないはずがないと、悲しげにつぶやいた。




「辻行君も眠るといい。私はシャワーでも浴びてこよう。いくらお盛んな年頃で覗いても期待には応えられないからね」


「聞き捨てなりませんが。覗きません。ごゆっくり」


「ああ、はい、はい」


 そう言って、無風先生は部屋と隣接したバスルームに消えて行った。





ため息をついて、寝る場所を探そうと振り向いた先に海里が立っていた。


「驚かせるなよ。起きてたのか」


 治療中に寝てしまった海里は、起こすのを憚ってそのままリンガベルがいる部屋においてきたのだが、どうも今起きたような顔はしていなかった。


「医者は?」


「今、入浴中。覗くか?」


 おそらく、だいぶ前に目覚めていて、無風先生が部屋を去るのを待っていたらしかった。

辻行に向けるような笑顔を海里は無風先生には見せなかった。

眉間に皺を寄せて、服の袖で鼻と口を覆った。


「あの医者、嫌な臭いがする。不愉快だ」


「それ失礼だぞ。薬品とか? ……それとも部屋が汚いのは苦手か?」


「違う。以前、どこかで嗅いだ懐かしいような、ほっとする」


「なんだそれ。初対面だろ?」


その質問にはあっさりと頷いた。

無風先生は浮林檎に勤めていたあとはずっと中央都市のここに住んでいると聞いたことがある。浮林檎と人間である海里の接点は浮かばない。



「辻行。それ、僕にも頂戴。その飲みかけでいい」


 右手から奪ったマグカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、ふぅっと息を吐いてようやっと海里は笑った。



「これ不味いね。……医者に匿ってもらったからといって安心はしないほうがいいと思うよ。辻行の主治医が信用できないわけじゃないけど、脱獄者は……逃げ切れない運命だから。浪勢はそれほど愚かじゃない。ここも近々、見つける。そしたらどうする?」


「そうだな……。リンガベルは峠を越えた。あとは回復を待つだけらしい。自首する気はないが、降服することは考えている」


「いい覚悟だ。僕もそのつもりでいることにするよ。少し、昔話をしてもいいかな?」




そう言って、足元の書類を蹴って場所を作って腰を下ろした海里の隣に辻行も胡坐をかいて座った。


折り畳んだ脚を前後に揺らしながら海里は天井を見上げた。



「辻行は、僕に何故、人を殺して戻ってくるのかって聞いたね。多少、ニュアンスは違うけど、そんなことを」


「ああ。大体、合ってる」


「人を……殺している時に伝わってくる感触が、僕は生きてるって感じる。わからない、とは思うけど。

殺されるって時の人はさ、もう必死に抵抗するんだよ。まあ、死ぬか生きるかの危機だからね。返り討ちにされるかもしれない緊張感とか、生死を争う命の駆け引きをしているその時の感覚が時々欲しくなる。

人殺しをしてあまり心は痛まない。何とも思わないし、思えない自分が昔は嫌だなったな。

……父さんは正義感が強くて、母さんは涙もろかったかな。

同じものを見てきたのに僕だけ違うことを隠していた。

それを知られた時、父さんは僕を化け物だと罵って、母さんは恐れをなして避けるようになった」


 膝を抱える手を離して、斜め上に伸ばして空中の何かを掴むような仕草をして、力なく下した。




「だから殺した。

母さんは生死の境を彷徨って生き延びたらしいけど、出所しても迎えにきてはくれなかった。

繕って生きていた僕には友達はいたけど、友達だなんて本当は思ってなかった。

寂しいとは思ったけど、仕方ないと思った」



「そっか……」


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