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サイ・リンリ  作者: 天宮蓮
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五章 辻行

「なんだ……これは」




 目覚めて見上げた天井がリンガベルと暮らした積み木の家のものでも、無風診療所のものでもなかった。

 気が滅入るほどの黒。

 汚れているのかわからない黒一色の天井。

 太陽の匂いなどするはずがないシーツ一枚ひかれただけの箱の寝台。

 見回した先にある鉄格子。



 ここは間違いなく、少しの狂いもなく、辻行が地獄のような十年を過ごした斜要壁の牢獄だった。


 途切れ途切れの記憶を繋ぎ合わせ、順をおって回想する。


 真似田と話をしたあの日。


 廊下でリンガベルが見せた感情。

 唇から流れる血。

 鼓動の音。

 殴った感触。


 血まみれの廊下で何の抵抗もしないリンガベル。

 何度も、何度も叩いたこと。

 骨の砕ける音。

 笑い続ける自分。

 床に叩きつけられ押さえこまれたこと。

 駆け付ける浪勢。

 手錠をかけられる音。

 窓のない車。





 そ……うか。


 俺は、また罪を犯したのか。


 リンガベル……死んでないといいな。

 最後にリンガベルが言った言葉を思い出す。


「『出会わなければよかった』か」


 その通りだと思う。

 出会わなければよかった。


 リンガベルに出会わなければ、今なら幸福だと思えるあの日々のことを失って悔いることもなかったのだ。

 リンガベルが微笑んでくれることで安心していた。

 リンガベルが淹れる紅茶も焦げたものだけを避けたクッキーもおいしかった。

 

 どこにでもついてくるリンガベルを鬱陶しいと思いながらもどこまでついてくるつもりなのか試してみたりして楽しんでいた。

 いつでも傍にいて、ずっと支えてくれていたリンガベルがいつの間にかかけがえのない存在になっていた。




 それなのに、彼女の優しさに甘え続けてしまった。


 リンガベルが夜な夜などこかに出かけていくのも知っていた。

 知っていて知らないふりをし続けた。


 酷い言葉で何度も傷つけて、そうでないときは蔑ろにした。

 いつでもリンガベルのことは後回しにして尻拭いばかりさせた。

 それなのにずっと笑って後をついてきてくれた。


 そんな彼女を最後には殴った。


 リンガベルが、血を見ると発狂して暴走する自分の特性を知りながら血を見せたことを、信頼を裏切ったことを責める気にはなれなかった。


 裏切り続けたのは俺だ。


 俺と出会わなければ、リンガベルは辛い思いをすることも、殴られることを知りながら暴走した俺に殴られることもなかった。

 リンガベルは、自分の身をなげうってでも、自分の気持ちに気付いてほしかったんだ。








 寝台に座り、ただただ頭を抱えていると鉄格子を叩く音がした。



「帰還を祝福するぞ、八重辻行。

 所詮はただの人殺しだ。普通の人間にはなれるわけがなかろうよ」


 鉄格子の向こうで腕を組んで仁王立ちするヴァン・レイは嘲笑った。

 憎らしいとは思わなかった。

 ヴァン・レイはそういう奴だ。



「良い知らせと悪い知らせを持ってきた。お前の大好きなリンガベル・レイのことだ」


「リンガベルは生きてるのかっ?」


「黙れ。

 私が話しているのだ。口を利いていいなんて言った覚えはないぞ。

 静かに聞いていろ」


「リンガベル・レイはお前が叩き砕いた右手を切断したが命は取り留めた。

 だが、お前の再犯を防ぐことができなかった叉瞳は能無しだと上は判断を下した。

 リンガベル・レイは解体されることになった。三日後だ」


「解体だとっ、リンガベルが解体、そんな馬鹿な話があるか!

 リンガベルは被害者だぞ!」



 大きくため息をついてヴァン・レイは吐き捨てた。


「お前が政府にたてつくのか?

 いいか。いつでも人間として扱われると思うな。ここでは違う。お前のような犯罪者に人権などあるか。命を軽んじたお前などに。朽ちて詫びろ」


 最後に鼻を鳴らし、ヴァン・レイは去って行った。


 


 その背中に罵声を浴びせたかったがヴァン・レイの言っていることは極論ではあるが、間違ってはいない。

 返す言葉など見つからなかった。




 それでも叩きつけられる現実。

 リンガベルが解体される。能無しとして。


 レスモンド・ロンの四つある腕を思い出す。

 能無しとして解体されるリンガベルはその先でわけのわからない改造をされて作業用ミリアッドとして作り変えられることを知らない。


 あの馬鹿真面目は、能無しとして解体されても新しいミリアッドになって新しい人生があると思っている。


 ヴァン・レイは三日と言った。

 三日後にリンガベルは解体される。

 解体するための微塵(クラッ)切り(シャー)があるのは唯一、浮林檎だけだ。

 何が何でもリンガベルの解体をとめなければ。






 辻行は、牢の中に備付られている壁にかけられている受話器を手に取った。


『氏名』


 数回コールのあと、受話器先から監守の男の低い声がした。


「八重辻行。刑の執行を」


『五分で迎えが行く』


 気が遠のきそうな自分を奮い立たせた。

 自分の牢の壁の電光掲示板に表示されている数字は、二十四戒。



 待ってろ、リンガベル……!







 きっかり5分後に迎えにきた二人の監守によって、牢から出された。

 長い廊下を歩き、その先の一室に通された。




 黒い壁で統一された遮要壁の中で唯一、白いタイルでできた病室のような部屋の中央にある鉄製の椅子に座らせられてから、一度手錠が外され、すぐに椅子の肘掛けに黒いベルトで固定されて、同様に足も固定された。


 これは、逃げることを防止するためというより、精神攻撃に耐える間、暴れる受刑者が下手に動いて怪我をすることや、爪等で自傷に走ることを防止するためであり、いわば受刑者を守るためである。

 舌を噛み切らないように、さるぐつわを噛ませて、その上から首まで覆う椅子と同じ鉄製のヘルメットがかぶせられた。




 何度、この恐怖を味わったか。

 このあとにやってくる苦しみと辛さを考えると、それだけで手足が震える。

 怖くて仕方がない。


 できることなら逃げ出したいが、もうこうなってしまっては、部屋の外から操作している執行者がとめるまでとまらない。



 受刑者の誰かに聞いた。

 マジックミラーのような仕組みで、白い部屋を外から監視する部屋がある。


 そこには三人の人間がいて、受刑者の様子を見る者、機器を操作する者、精神鑑定装置の動きを監視する者。

 その実態は知る由もないが、その三人目が止めるか続けるかを判断するらしい。

 一歩間違えれば、受刑者を殺してしまうその役割を担っているのは、実は人間ではなくミリアッドだとか、三人目はいなくて精神鑑定装置自体がその存在であるという説もある。

 結局は、見ることができないのだから知る人もいない。




 ヘルメットの中では、目を閉じることも開くこともできるが、どちらも同じことだ。

 閉じても記憶から目は背けられないし、目を開けていてもヘルメットの中が見えるわけではない。

 ヘルメットで覆われると同時に、目を開く閉じるという動作を自身で行う感覚は遮断される。


 実際はどうなのか知らないが、目を開けているつもりでいる辻行の目の前に広がるのは、灰色一色の世界である。

 何に似ているかというと、無夢といる世界の感覚に似ている。

 その世界と違うのは、辻行が物体として存在でき、自分の意思である程度動けることである。ここでは、動くことはできない。話すこともできない。





 灰色一色の世界に男女どちらとも判断しがたい機械音声が流れる。


『八重辻行。一戒を三秒後に開始。一、二』




 二秒のカウントと同時に電流が走るように、足のつま先から頭のてっぺんまでを無数の生き物が駆け回った。

 これが網羅拾と呼ばれる。



『三』






 その瞬間に、世界が開けた。


 目の色が失われた瞳と目が合った。

 頭から血飛沫をあげて倒れる母さんを見て走り出した。


 逃げなきゃ。

 逃げなきゃ殺される。


 斧を振り上げ、女が追いかけてくる。

 泣く暇などなかった。

 廊下の先で既に息絶えている父さんのわきをすり抜けた。

 廊下の壁に寄りかかったまま死んだ父さんの死体にけつまずいてよろける女の姿を横目で見て、目の前に塞がるドアを力いっぱい開けた。



 その先に広がる光景をみて足をとめた。


 もう助からない。


 家の前にある広場には、敷地いっぱいに敷き詰められ、それでも多くて上に積まれている死体。

 死体。

 死体死体死体の山。


 あの女は、郷のみんなを殺していた。


 風を切る音がして、横を向くと斧を振り下ろす男の姿。


 そうか、犯人は二人いたのか。

 郷を滅ぼした男女の正体が、命明の両親だと知るのはもう少し後の出来事だった。









 次に映し出されたのは、浮林檎の家。ホーリィと暮らした家。


「さようなら」


 去ろうとするホーリィの手を引いて、その体を本棚に押し飛ばした。

 揺れ、倒れる本棚を間一髪避けるホーリィは、本棚から落ちた本を拾い上げ、俺めがけて投げた。

 一冊、二冊、両手に持って投げた。

 最後に投げた六冊目は、俺をかすめて部屋の天井の隅にある監視カメラに当たった。

 落ちた監視カメラを、すかさず俺は踏みつけた。

 何度も繰り返し、踏みつけ、踏みにじった。


 振り向くと、キッチンから持ってきた茶筒を差し出すホーリィが立っていた。



「ありがとう、辻行」



 茶筒の蓋をあけ捨て、その中身を頭からかぶった。

 目の前のホーリィも同じように茶筒をあけ、中身の液体をかぶった。


 二人は赤に染まった。

 残り、四つの茶筒を手分けして、あたりに撒いた。

 本棚からばらまかれ、床に散らばる紙の切れ端の一つ一つが赤く染まり、そこに書いてあった文字を消した。



 卓上の鋏を掴もうと背を向けたホーリィの脳天めがけて、棚の上の花瓶を振りかぶった。



 とっさに振り返ったホーリィは目を見開いた。

 最後の言葉を言う暇も与えず、ホーリィを殺した。



 紙切れに書いた計画の中でホーリィはここで死ぬはずではなかった。


 最後の最後で俺はホーリィを裏切った。







 それ以上、見せるな。


 俺に思い出させるな。








「おなかが空いたわ、辻行」


「八重君がまた倒れました!」


「目を覚まして! 私を一人にしないでっ」


「あの子を愛しているなんて冗談じゃない。必要としているの」


「朽ちて詫びろぉ!」


「ずっとそばにいるのよ。どこにも行かないで私の大切な辻行」


「こんなに浅く自分を傷付けて償っているつもりか?」







 嫌だ。

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。




「お母さんやめてぇええええっっ!」


 頭を抱え、泣き叫ぶ顔色の悪い子供。

 あれは、俺だ。









 強制終了を鳴らすサイレンが聞こえて、世界は閉ざされた。


 ヘルメットがあげられ、手足の拘束がとかれた辻行を白衣を着た人が引きずり下ろす。


 充血した目を見開いて、涎を垂らし、痙攣を起こしている辻行を数人がかりで、担架に乗せ治癒処置室に向かって運び出した。


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