四章 辻行
次に登校した日、午前中の自習がはじまり古雅が席を外したのを見計らって辻行は、リンガベルに声をかけた。
「リンガベル。悪いが席を外してくれないか?」
「でも……」
「頼む。しばらく廊下にいてくれ」
学校で吐いてからというもの、リンガベルのガードは今まで以上に徹底したものとなった。
家にいる時も自室ではなくリビングでずっと過ごし、学校でも辻行の傍を離れず、さすがにトイレまでついてこようとした時はとめた。
責任を感じているらしいがどこでもついてくるので辻行は少々困っていた。
そんなリンガベルは予想通りに拒否してきたが、辻行の「頼む」という言葉には負けたらしくしぶしぶ廊下に出た。
椅子ごと百八十度まわると、後ろの席の真似田は何事かと目を丸くしていた。
「話をしよう、真似田」
真似田はややあって小さく頷いた。
「お前、真似しかできないんだろ。真似して、真似して、自分がわからなくなったんだろ」
「違いますよ、辻行」
「真似田っていうのも本名じゃなくて誰かがつけたんだ。
これは俺が勝手に考えた話だ。
クラスに馴染めない奴がいた。ふと思いつきで誰かの物真似をしてみた。そしたらクラスで大ウケ。
嬉しくてまた人の真似をした。これもウケた。
どんどん真似した。どんどん真似したら飽きられてもう誰も笑ってくれなくなった。また笑ってほしくて構ってほしくてどんどん歯止めがきかなくなった。
そのうち、真似しかできなくなった。自分はどんな奴でどんな喋り方をしていたのかわからなくなって自分自身を見失った。
お前、そんな奴じゃなかった?」
「おかしなことを言わないでください、辻行」
「……おかしなことを言わないでください、辻行」
辻行は、リンガベルの真似をする真似田を真似した。
「やめてください」
「やめてください」
「いい加減にしないと怒るよ、八重君」
「いい加減にしないと怒るよ、八重君」
真似田は椅子を倒し、立ち上がった。
困惑していた真似田は次第に震えて怒りをあらわにしてきた。
「う……あ……」
「う、あ」
そんな真似田を小ばかにするように笑みを浮かべながら辻行は真似をし続けた。
やりとりを繰り返すうち、真似田が崩壊した。
「僕……俺、私、先生我々私達自分……っ!」
頭を抱え、その目からぽろぽろと涙をこぼした。
真似田は。
真似田と呼ばれる少年は、自分の真似をするな、と言いたかったのだろう。
自らの呼び方を個性を忘れるほど、真似田は自分自身をとうの昔に見失っていた。
「あ……ああ、ああああっ!」
辻行は、席を立ち歩み寄った。
「真似田来いよ。いい子いい子してやる」
「ああ、あああ……」
ゆがんだ顔で涙を流す真似田を少々、粗っぽく撫でた。
真似田はこれからも誰かの真似をしていくのだろう。
辻行が諭しても、見透かしても、事実を突き付けても、突然、真似をしなくなることはない。
今までそうやって生きてきたのだろう。その生き方を変えることは難しい。
あるいは変えなくてもいい。
今まで通り、明日も明後日も誰かの真似をし続けることが真似田の個性であり、自分自身であると真似田が思うのなら。
それは決してほめられたことではないが、責められることでもない。
辻行が真似田の心に踏み入ったことで真似田は泣いた。
真似田の中の何かがそれを引き起こした。
だからといって結果、真似田がどう思うのか、変わるのか変わらないのかそれは彼自身が決めることである。
辻行は、真似田がいつか他人の真似をしなくても、真似をしていたとしても自分自身を見つけることができたらいいな、と思った。
真似田を自習が終わるまでだとしても一人の時間を作ろうと、辻行は廊下で待たせていたリンガベルに校内を歩こうと誘った。
リンガベルの聴覚が優れていることは知っていたし、ドア一枚隔てたぐらいで話声を完全に遮断することはできない。
リンガベルは教室であったことを大方、理解していたようだった。
「俺……少しは人の気持ちを考えられるようになったのかな。いつかは変われるのかな」
「ええ。きっと」
リンガベルは微笑んだ。
他の教室ではいつも通り、生徒が授業を受けている。
授業中の廊下は静かで別の空間にいるような気がして、二人分しか響かない足音は授業を抜け出してきた背徳感のようなものも感じさせた。
最近、関係がギクシャクしているリンガベルと二人だけの静かな廊下では腹を割って話せる気がした。本音を言えて、本当の意味で分かり合える気がした。
リンガベルもきっと同じ気持ちだと思い込んでいた辻行は、リンガベルの心の中で日々、溜めこんでしまっている不安、不満、怒り、悲しみの渦が決壊を迫ったところにいたことを知ることになる。
二人で腹を割ってしまった為に。
「ホーリィはどう思うかな」
辻行が何の気なしにこぼしたその言葉がリンガベルのひびが入り続けた壁が崩れるのに十分すぎる衝撃を与えた。
リンガベルが取り繕っていた笑顔が壊れた。
「いつも思い出すのは、ホーリィのことばかりなんだ。こういう時、ホーリィは何ていうか、とか何をしたか、とか。……リンガベル?」
「私のことは……私のことは辻行の心に少しもないんですか?」
「リンガベル……?」
「私と話していても辻行の目に私なんか映ってないんです。
いつも本音はどこかに隠して私には見せてくれない。辻行の中にいるのはいつもどんな時もどこにいてもホーリィで。
ホーリィは……ホーリィは辻行が殺したんじゃないんですか!」
決壊してしまったリンガベルの心からは渦巻いていた本音がとめどなく流れ出した。
自分ではとめることもできず、言葉をぶつけ続けた。
「ホーリィとは誰ですかっ。
辻行の何なんですかっ。
わかってます。たかがミリアッドの分際でこんなことを言っていいわけがないんです。私は黙ってただお傍で補助すればいいだけの存在なんです。
だからホーリィとは違う、ホーリィをうらやんでなんかいけないんです」
「リンガベル! 落ち着け! なぁ、しっかりしろ!」
「私はもうどうしていいかわからない!
任務は遂行します。しますとも。
でも時々、嫌な気持ちになるんです。心の中に汚いような黒い気持ちが渦巻いて気が狂いそうなんです。
私はミリアッドです。見返りなんて求めてはいけないんです。必要以上の干渉なんかをしてはいけないんです。それなのに感謝されたいとか、ホーリィではなく私を見てほしいと思ってしまう私が嫌なんです。
でもそれが辛くて苦しくてならないんです」
がくっと頭を垂らして、リンガベルはその場に座り込んだ。
辻行は、はじめて目にする取り乱したリンガベルの姿にも、その口から浴びせられる数々の本音にも困惑した。
その中には、普段の辻行であれば激怒して掴みかかるような罵声も含まれていたが、それもこの剣幕の中では、驚くことで精いっぱいで、怒りは湧いてこなかった。
それより、今は錯乱しているリンガベルをとにかく落ち着かせないと。
「辻行と……出会わなければよかったです」
そういって静かにリンガベルは顔を上げた。
その悲愴感漂う、全てを投げ出しても構わないとさえ言いたそうな投げやりな顔をしたリンガベルの唇から血が滲んで流れていた。
自分で自分の唇を出血するまで噛んだのだった。
これがどういうことを意味するかリンガベルにはわかってたはずだ。
「血……お前……」
辻行は、目を両手で覆って身をかがめて必死で衝動を抑えつけた。
心臓が高鳴り、全身の血液が沸騰しているように全身が火照る。
脈が速くなるドクドクドクという音がはっきりと聞こえた。
駄目だ。
駄目だこんなところじゃ。
耐えろ、耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ……理性が…………とぶ。
「ひぃぃいいいいいいいいいいいいいやぁははははははあははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははぁあああああああああああああああああああああああ!」
何故、裏切った?
リンガベル……。




