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サイ・リンリ  作者: 天宮蓮
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三章 辻行

廊下を先導して歩くリンガベルが三度振り返ったところで辻行に声をかけた。



「辻行、大丈夫ですか?」


「最高に悪い気分だよ。なんだかすごくイライラする」


 そう言うと、リンガベルは困ったような顔をした。


治療を始めると決めたのは辻行だが、やはりその治療の過程にはそれなりの苦しみがあった。




今朝は、無風診療所に行って、その足で学校へと向かった。

精神訓練は、あくまで訓練であり、遮要壁の刑罰である精神攻撃とは、くらべものにならないほど、容易いものであった。



 精神攻撃は、主に受ける人物の記憶を辿り、辛い記憶、悲しい出来事を鮮明に蘇らせ、思い出させることに重点を置く。


そこで蘇らすほどの嫌な記憶がないということはまずあり得ない。

どんな環境下であろうと生きてきた以上、思い出したくない記憶は存在する。

かつては幸せであった時の記憶でさえ考え方を変えてしまえば悲しい気持ちに変わってしまったり、記憶をすくった時に零れ落ちるような些細な恥じをかいた記憶であったり、ああすればよかったのだと思った後悔の一つ一つを、あいつは見逃したりはしない。



首まで丸ごと覆う、鉄製のヘルメットを被らせられた中で記憶に入り込み、虫のように飛び回って遡るあいつらのことを壁の中の受刑者は、網羅拾(もうらしゅう)と呼んでいた。

もちろん、それは感覚的にいるように思えるというだけで、実際に網羅拾という生命体はいない。

執行者でさえ、その名は知らない。



一方、精神訓練には網羅拾を生み出すような装置は用いらない。


正しく言うならば処刑に使うものを無風先生と言えども、一庶民の民家においていいものではない。

仮に使用許可が下りたとしても、訓練として網羅拾を使うのは、あまりに危険すぎる。

精神攻撃は、治癒処置とセットで行わなければ舌切って死にかねない。


不死身の辻行の場合は、舌を抜いても生きてしまうのだが。

何百年生きようと、人の心が存在する以上、精神攻撃を単体で使用し続ければ、いともたやすく精神崩壊を起こす。

取り返しのつかない状態に陥ったまま、生き続けろというのは、あまりに残酷な仕打ちである。



実際に、精神訓練で行うのは、精神に少々の負荷をかけることである。

用いられるのは、人工的に造り出した無夢(むむ)という仮想少女だ。

彼女は、用意されたレベルに沿っただけの精神負荷を言葉にして与える。

彼女はお喋りであり、余計なことも話したりするが。

精神訓練は、仮想世界で無夢と対話することで成り立つ。






今朝の精神訓練でも同様であった。診療所の奥のそのまた奥のベッドで横になって、目をあけた先で辻行を待っていたのは、十年前の精神訓練の時と同じ世界に生き続ける仮想少女であった。


「またしても俺のところに来るということは、十年経っても何の成長もしていないのか? あきれ返ってものも言えないな馬鹿垂れが。馬鹿がうつりそうだ。近寄らないでくれ八重辻行」


濃いピンク色のおかっぱ頭が印象的な黒い袴姿の少女が胡坐をかいていた。

頭を揺らす度にかんざしの鈴がちりちりと音を立てる。



「酷い言われようだ。お前を見ていると、無風先生の悪趣味さを感じざるを得ない」


「聞き捨てならないな。人に害を与えることしか能がない八重辻行が恩師を罵倒していいと思っているのか?」


 口が悪い、奇妙な風貌をした少女を生み出したのは、無風先生なのだが、二人が顔を合わせることはない。

発明の一つを特別可愛がることを無風先生はしない。

しかし、一度ぐらいその様を見る必要があるのではと辻行は思う。

無夢の言動は目に余るものがある。


そんな彼女だが無風先生に対する忠誠心だけは確かなものである。

どんな命令をされても彼女はやり遂げる。

しかし、そのことを無風先生に褒めてもらえることはない。

彼女がコンピュータの一部である限り、できて当たり前なのだ。

無夢と長年話してきた辻行は、彼女が一途に無風先生を想い続けていることも、その想いが報われることはこの先もないであろうことも知っていた。



「あのお方から今回はお手柔らかにしろとの命だ。俺は、罵倒したくて仕方ない。物足りない。が、いいだろう。どれどれ。手を出してみろ。俺の元にやってきて今更、怖気づいたなんて言って失望させるなよ」


辻行の差し出した手を握ると、無夢はしばらく目をつむってそれからカッと見開いた。

無夢はこうすることで相手の考えを見透かす。

見透かされたほうには何か電流のようなものが走っただとかいう感覚はない。

自分が考えていることのどの部分を見透かされたのか見当がつかないこの状況のほうが辻行は嫌っていた。




「ふむ。お前は……優しくなりたいと思っているのか」


「離せっ」


 辻行は全力で繋いでいた手を振り払った。


全身の毛が逆立つような気持ち悪さを感じた。

誰にも言わないでいた秘め事が晒される。


「強くなりたいと周りには言っているが違うだろう? 本当は優しくなりたいと思っている。他人が苦しんでいる姿に心痛むような、他人が傷付いた時に一緒に泣けるような心優しい人間に憧れている。俺はそうできないから。鼻で笑ってしまいそうになるのを堪えているような人間だから」


「やめろっ、黙れ! 聞きたくない、そんな話は聞きたくないっ」


 耳を塞ごうとする手をおおよそ少女一人分の力とは思えない怪力で掴みあげられた辻行は項垂れた。



「やめてやると思うか? 聞け。お前が優しくなるだなんて無理に決まってる。この、人殺しが」



「うう、うぐぅっ……」


ようやっと手が離されて、辻行はその場にうずくまった。

そんな辻行を冷やかな目で見下ろしたまま、無夢の体は透け、空間に溶けるように消えた。


無夢を憎むのはお門違いだ。

あの少女は、自分の映し出す鏡なのだから。

彼女の言葉がいつも的を射ているのはそれが本当のことだから。

彼女の言葉が痛いと感じるのは、辻行自身がそう思っているからだから。

優しくなりたいと思っている自分のことを無理だと思っているのは辻行自身であり、そんな自分を罵りたいと思っている。無夢は、少女の姿をしているだけの辻行だ。






そのあと、現実世界で目をさました辻行は注射一本打たれて、診療所を後にした。


朝からそんな出来事があったことに加えて、外は雨が降っていて傘の鬱陶しさと、湿った空気はさらに苛立ちを悪化させた。



「約束をすっぽかされてるとは思わなかったよ」


「先生にも色々、事情があるのですよ。急に決まったことでもありますし」


特別学級に登校する初日、新しい先生は二人を教室に案内する約束をキャンセルした。

朝、職員室に行ってからそのことを知った二人だったが、リンガベルが教室の場所はわかっていると案内を買った。

買わなくともリンガベルは教室まで一緒についてくるだろうし、もっと言えば、先生の案内はリンガベルがいる以上、そもそも必要ではなかった。


「よっぽど歓迎されてないんだな」


それにも関わらず、辻行はずっと不機嫌なままだった。

無夢とのやりとりは無風先生でも知らない。

つまり、リンガベルが知っているわけがない。


どんなことがあったのか、どれくらい嫌だったのか、リンガベルに話したらきっと彼女は頷いて労ってくれて慰めてくれるだろう。

しかし、無夢に明かされた本音を自分で他人にもう一度、晒すような真似できるはずがなかった。





「辻行。ここです」


 リンガベルが足をとめたのは、一年生の教室の廊下の奥にあるついたてに隠されている空間の中にあるドアの前だった。


ついたてに隠されている空間には、小エビの泳ぐ水槽があったり、絶えず滑車を回しているハムスターの小屋があった。

あまり中学校とは思えない空間だった。


これらで心を癒せと言うのか、辻行は不快感を露わにした。


人の痛みを和らげようとする努力が真反対の結果を生むことを辻行は知っていた。

辻行の今までの経験上、そういう類のことをされることはたまにあった。

そういう空気がここには流れている気がした。



 辻行はゆっくりドアをあけて、一歩も入らずドアを閉めた。



「あの馬鹿がいた……」



 今度は、内側から勢いをつけてドアが開き、そこにはいつか保健室に鞄を届けにきてひと悶着あった真似田が立っていた。


「お入りなさい。私はあなたに絶望しました」


 突然、誰か知らない口調で話され、戸惑っている辻行の後ろでリンガベルがひらめいたらしく手を打った。


「生徒を叱る時の、校長先生の真似ですね。真似田」


 満足げに頷いて真似田は辻行の手を引いて教室に連れ込んだ。


「わかるわけないっ。そんな細かい真似わかるわけないっ。どうしてお前がここにいるんだ、リンガベルいつの間に校長先生なんか知ってるんだよっ」


必死に抵抗しながら辻行は喚いた。

何がもう一度もらったチャンスだ。

やり直すチャンスだ。

馬鹿なオウムのような真似田とうまくやれっこない。




「真似田君は、元々あっちのクラスの生徒でね。普段はこっちで勉強してるけど、調子のいい日はあっちのクラスで過ごすんだよ」


リンガベルのものではない、真似田を説明する声に振り向くと、そこにはスーツ姿の女教師がいた。

第一ボタンどころが首元のボタンまでしっかり留め、黒いスーツにも白いワイシャツにも皺ひとつない。高くないヒールのパンプスを履いて、長い髪は乱れなく、一つに結わえている。

しゃれっ気がなく、清楚であくまで真面目な就職面接にきたかのような恰好をした新米の教師だった。


「さあ、ドアの前でとまらず、入った入った」


この中学校の教師の全員が毎日スーツを着ている規則も必要もない。


体育の先生はジャージ姿だったり、理科の先生は白衣であったり、基本的にモラルのない服装でなければ何を着ても許される。

服好きなのは、教師も同じなのだ。

その点においては、服好きにも関わらず、制服を着ることを義務化されている生徒よりずっと自由である。


それなのに、自分がこうだ、と思ったルールは突き通す。



あの少女もそうだった。

いつも教師に挙手を求められると、真っ先に手を挙げ、委員長を決める時だって変わらず真っ先に手を挙げた。提出物は期限のとうの前に出して、給食は苦手な牛乳をいつも無理して飲んでいた。


そんな少女はいつか辻行に夢を語ってくれたことがあった。



 私、学校の先生になりたいの。





古雅(こが)小町(こまち)……」


「驚いたわ。君が私のことを覚えていてくれたなんて。久しぶりだね。八重辻行君。……はい。着席。ホームルームを始めるよ」


小さな教室には机が四つしかなかった。

真似田の席は窓際の奥の席だと決まっているらしく、空いている席である最前席の二つにリンガベルと辻行は座ることにした。辻行が奥で、リンガベルがドアのすぐそば。



古雅はだいぶ慣れていようで手際よく、おそらく順序よくホームルームをすすめた。




壁に入る以前の辻行の知り合いはあまり多くなかった。

ドライアドの命明は歳をとらないし、無風先生は知り合った時点で大人であった。

大人の成長というのは、成長期の子供と比べれば、あまり変化のないものだ。内面は異なるが。

無夢は、仮想少女であるから成長はしない。

ホーリィ・レイは自らが殺したから生きてはいない。

辻行と親しくしていた人物で著しい変化を遂げたのは、かつて同級生だった古雅小町だけだと気付かされた。




問題を起こした辻行の引き取り手を古雅が請け負った理由もわかった。


古雅は辻行に面会する為に遮要壁に毎月、第一土曜日にきまって訪れた。

毎月、一年間で十二回。十年間で百二十回ぴったり、一回も欠かすことなく、遮要壁に足を運んだ。

しかし、古雅の成長を辻行は何一つ知らなかった。


辻行は、全ての面会を断っていた。


古雅が罪を責めたてる言葉も、必死に正当化する方法を考えて慰めようとしてくれる優しさもいらなかった。

どちらも欲しくなかった。

放っておいてほしかった。

一人でいたかった。

古雅が、そこまで辻行に固執する理由を非行に走った同級生の世話焼きだとしたら行き過ぎている。





 鼻をつまんで牛乳を飲んでいる頃の古雅は、辻行が好きだった。


「今日は、新しいクラスメイトがきたのでこの学級ですることについて軽く説明します。午前中は、自習。給食の時間があって、午後は、私ともう一人の先生がきて曜日ごとに交互で国語、数学、英語、理科、社会を教えます。そのあと、清掃をして下校です」


 辻行は頭を抱えた。

 自由すぎる……。






 ホームルームを終え、教室から出た古雅を廊下で辻行はとめた。


「古雅。何のつもりだ」


「何のつもり……とはどういうことかな。八重君」


「俺に会いにくるなと壁にいた時、何度も伝言で言っただろう。なのに毎月毎月きやがって。今度は、俺を自分のクラスにまで引き込んでお前の狙いは何だ。何がしたいんだ。世話焼いてやって俺が感謝すると思ってるのか? 俺は……俺はお前みたいないつでも正しい奴は、嫌いなんだよ」


 そう吐き捨てて、茫然とする古雅を置き去りにして辻行は走り去った。



「辻行っ」


 怒鳴る声を聞きつけて教室から飛び出してきたリンガベルは、古雅に一礼すると、辻行を追いかけ廊下を走った。

一年生の教室の廊下を抜け、非常口の前で外に出ようとする辻行の手を掴んだ。



「辻行! 辻行なぜあんな酷い事を言ったのですかっ、古雅先生は辻行のことを」


「……わかってる」


「わかってないですよ! 古雅先生は辻行が出所するまでの間、ずっと想い続けていたんですよ。十年の月日も。それは計り知れない苦しみを伴ったかと。そんな、彼女をあんな風に言っていいわけがないです」


「わかってるって言ってるだろ!」


振り向こうとしない辻行の背中にリンガベルは言葉を投げ続けた。

辻行が声を荒らげると、リンガベルはその手を離し、たじろいだ。


リンガベルはどうやら事の詳細をどこからか聞いているらしかった。

古雅が打ち明けたのか、第三者が吹き込んだのか。



「……無意味に優しくするよりはいい。ああやって否定したほうが俺がただのクズ野郎だったと思って割り切れる。クズ野郎に騙された十年だと思えば、十年を悔いることがあった時、自分を責めなくて済む」





「それが……辻行の優しさですか?」


その言葉に振り向くと、まっすぐこちらを見つめているリンガベルが立っていた。

握った拳の力が抜けた。



 返す言葉がなかった。


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