二章 辻行(2)
目をあけると、無機質な灰色の天井が広がっていた。
辻行が横を見ると、心電図のモニター画面の上に小さな包みが置かれていた。
なんだろう。
手を伸ばして掴もうとしたが、もう少しのところでとまって届かなかった。
体の節々が痛くて重だるくて起き上がる気にはなれなかった。
ため息をついて引っ込めようとした手にのびてきた別の手が包みを握らせた。
「あけてごらん」
手の先を辿ると、無風先生がベッドから少し離れたところに立っていた。
「先生……」
「横になったままじゃあけられないか。よし、貸しなさい」
そう言ってベッドの端に腰かけ、一方的に包みを奪うと、結んでいる紐をほどいて、カサカサと音を立てながらペーパーナプキンをひらいた。
中央に赤いゼリーが乗せられているクッキーが五、六個入っていた。
「リンガベル・レイが作って持ってきてくれたんだよ。辻行君が目をさましたら淹れてくださいって言って茶葉の入った袋も一緒に。律儀な子だね。あの子は」
「リンガベルは……?」
「さっきここに向かうと連絡があったから、そろそろ着くんじゃないかな。どうやら学校に用事があったみたいだよ」
「……そうだろうな」
「調子はどうかな? 飲めるようなら紅茶も淹れようか」
「身体のどこも痛くて仕方ないですよ。先生の淹れる紅茶はぬるいからいいです。それより、先生」
すくっと立って、部屋を去ろうとする無風先生の腕を掴んでとめた。
「随分ひどいことを言うねぇ、君は。ん? 先生が力になれることかな?」
「俺は……強くなりたいです。大切にしたい人を傷つけたくない。血を見て狂ってしまうような自分を変えたいです」
首だけでこちらを見ていた先生は、振り返って屈みこんで、辻行の両手をとって両手を合わせるように握った。
「君がそう望むなら先生は協力できるよ。
壁に入る前にここでやっていた訓練と投薬治療を覚えているかな?
あの時は、中断してしまったけど、あれを続けることで暴走する症状は緩和されるはずなんだ。
でも、覚えていてくれ。
精神訓練をやったからといってそれだけでは、強くはなれない。あくまで材料の一つだ。変わるのは、君の努力次第だ。
大丈夫、君は変われるよ」
「お願いします」
辻行は頷いた。
かつて罪を犯す前、辻行は学校に通いながら毎朝、診療所に寄って治療と訓練を受けていた。
発狂しないための注射と、精神に少しずつ負荷を与え、抗力をつける治療。
それが苦しくないわけはなかった。
注射は気分が悪くなるし、精神訓練はなおのことだった。
しかし、それで状況が少しでも変わるなら努力をしたいと望んだ。
その後、リンガベルが診療所に戻ってきて、辻行は肩を借りながら重い体を引きずって家に帰った。
無理をするなと止められたが、辻行は頑なだった。
これからお世話になる先生におんぶにだっこではいけないと思った。
今後は、さらに迷惑をかけてしまう、だからこそかける迷惑は最小限に留めたかった。
家に帰ったら、一刻もはやく元気になって訓練に挑もうと思っていた。
よく晴れた日曜日の空を見上げてふと思った。
リンガベルと出会って、一週間が経ったのか。
あっという間とも思える日々の中で、リンガベルを傷付けてしまったこともあった。それでも辻行にとって変化のある一週間で、辛いこともあったが、なんだか楽しかったような気もした。
「学校は退学だろうな……。リンガベル、世話かけて悪かったな」
重さを人間ほどは感じないのか、単に辻行の体が大柄ではないからなのか、辻行の体重が肩にかかっても、少しも重いような素振りを見せずに歩いた。
「……そのことについて学校に呼ばれていました。
どうやら話によると私達は退学にはならないらしいです。問題を抱えていたりして、学校に行っても教室に入ることができない生徒が通う学級があるそうで。月曜日からはそこに通うことになりそうです」
「なんでまたそんな面倒なことになったんだか。てっきり、退学して余生を家でのんびり暮らせると思ったのにな。残念だな。はは」
「そんな事を言わないでください、辻行。その特別学級の先生が他の先生を説得してくれたそうなんですよ。その先生に感謝するべきです」
「ふうん……。物好きな教師がいたもんだな」
学校には戻れないと思っていた辻行にとってもう一度、学校に通うチャンスを与えられたことは意外ではあったけれど、感謝まではしなかった。
正義感が強い教師なのか、慈悲深い教師なのか、辻行の凶行とあの惨事を知ったうえで、自分の教室に引き取りたいなんて随分とお人よしな人物ではあるとは思ったが、どうせいつかは手のひらをかえして追いだすのだろう。
素直には喜べなかった。
人に過剰な期待はしない。




