二章 リンガベル(2)
そのあと、二人は教室に戻り残りの授業を受けた。
二日目も、三日目も辻行は、問題も起こさず、かといってクラスに溶け込むこともなく過ごした。
午前、2時。
ドアに耳を近づけ、人間よりはいい聴覚で辻行の寝息を聞き取ると、ほっと胸をなでおろしてからリンガベルは自室に戻り、クローゼットから厚手のコートを出し、羽織った。
編上げのブーツを履き、鍵を閉めた事をよく確認してから、寝静まった夜の街に繰り出した。
道に散らばる枯葉を踏みながらどこまでも歩く。
夜な夜なひたすら街を徘徊することが癖になってしまったのは、ここ数日のことだった。
辻行を罵倒した学校生活初日の夜。
リンガベルは堪らず家を飛び出した。
その日も辻行が眠ったことを確認してからだった。
こんな姿を見せて辻行を煩わせたくなかった。
徘徊癖のことも、辻行に言った言葉に重い責任を感じていることも知られたくはなかった。
何に耐えられなかったのか、最初からわかっていた。
自分が発した言葉の一つ一つが頭から離れなかった。
ミリアッドは格差社会であり、階級こそが全てである。
五段階に分けられる階級が存在し、全てのミリアッドは学力や技術、能力によってランク分けされる。
一級は、医術者等、人間の身体を治療することや、教師、指揮官として人間の上位に立つことができる。
二級は、人間と同等だとみなされ、意見が尊重され、単独で行動を許される。
三級は、人間に対しより特別なサポートをするができる。
犯罪者監視特別枠の叉瞳であるリンガベルはここに値する。
四級は、人間の通常サポートができる。五級は、雑用しか与えられない。
尚、養成所の学生は四級からスタートする。
その下が、能無しである。
ミリアッドとして欠陥品であり、人間の役に立てなかったと判断され、能無しは解体される。
リンガベルを悩ませているのは、辻行に能無しだと上層部に報告されることや、そのせいで役職を失うことではなかった。
たかが三級のミリアッドが人間に説教するなんてことはあり得ない。
出しゃばった真似だったのだ。辻行が許してくれたとしても、リンガベルは無礼をはたらいた自分の行為が許せなかった。
リンガベルは、秋の夜空を見上げた。
ごめんなさい。辻行。
事件が起こったのは、四日目、雪降る金曜日のことだった。
今まで、遠くから差別するかのような目で見ていただけのクラスメイトの一人が辻行の元にやってきて、その机に何の躊躇もなく座り込んだ。
「お前、人殺しなんだろ」
いたずらをする子供みたいな顔で金髪の男子生徒は笑った。
「辻行」
リンガベルは、嫌な予感がして隣の席から辻行に声かけたが、辻行はどちらの言葉にも振り向かなかった。
「しかとかよ」
「……聞いてる」
舌打ちする男子生徒に対して顔は読書中の本から離さないまま答えた。
復学して何日か経って辻行は初日のような、まともに話すことができない状態からは脱した。
相変わらず向けられる好奇の目にも慣れたのか、初日は突然のことで動揺していただけなのか。
彼は冷静さを取り戻していた。
「教えてくれよ。興味あんだよ。人ぶっ殺すってどういう気持ち? なあ、壁って治癒とかなんとか言って好きなことしておいしい飯もくれるんだろ、楽しそうじゃん。楽しかった?」
「……お前に教えると思うか?」
男子生徒は、机から飛び降り、その机を蹴っ飛ばした。
「犯罪者のくせに調子のんなよっ」
ようやっと本を閉じ、重い腰を上げて辻行は立った。
そして男子生徒のむなぐらを掴んで笑った。
「そんなに、教えてほしいか?」
「本性出しやがったな。お前さ、むかつくんだよ。いつもすかしてる顔して、俺たちを馬鹿にした顔してさ。人殺しのくせに。なんで犯罪者が学校なんかきてんだよ。壁の中で一生、引っ込んでろよ」
「……言いたいことはそれだけか? なら」
「辻行」
リンガベルに制されても辻行はとまらなかった。
「ならもういいか? 歯、食いしばれ」
拳を振りかぶる辻行、むなぐらを掴まれたまま目をつむる男子生徒。
悲鳴を上げる野次馬。
リンガベルは、男子生徒を横から突き飛ばした。
庇った相手が床に倒れるのを確認して振り返ったリンガベルの顔面に拳が迫った。
痛い。
脈を打って痛む鼻を押さえて見上げた先で辻行は凍り付いていた。
「なぜ……」
「つ……じゆき。駄目です。殴っては駄目……あ」
殴られた勢いで、先に床に伏していた男子生徒に重なるように倒れたリンガベルは鼻を押さえていた右手の上から左手で覆った。
両手の隙間から、血がたらぁり、と垂れた。
「辻行っ、見ては……っ」
制服の腕で零れ落ちた血を拭こうとしたが、もう遅かった。
鼻血はとまることなく覆う両手の隙間に滲んだ。
「血……っ」
辻行は、衝動を抑え込むように両腕で自らの体を抱いて、背中を丸めた。
その肩はしゃくり上げるように大きく上下に動いた。
静まりかえった教室の真ん中で辻行は歯ぎしりをした。
「ぎぎぎぎぃ……ひっひっひっひっひっ……ひゃぁああああああああああああああはっっはああああははははははははははっ!」
そして発狂した。
机をなぎ倒し、倒れた椅子を逃げ惑う生徒達に投げつけた。
「辻行っ!」
止めにはいったリンガベルの手を引っ叩いて、その右足をすくあげ、ぶんっと半回転させた勢いのまま宙に放った。
壁に叩きつけられたリンガベルは、呻いた。投げられる前の一瞬で目があった辻行は歯をむき出しにして、血走っている眼はギョロリとしていた。
辻行をとめなければ。
「ああああああああああああああああはははははぁぁああっ!」
悲鳴が飛び交う教室で動物のように四足歩行になった辻行は、次々にクラスメイトに飛び掛かり、殴り、引っ掻き、噛み付き、床に叩きつけ、宙に放って、見境なく暴れている。
外の野次馬をかき分けやってきた教師も手を出そうものなら、次の瞬間には同様に床に転がっていた。
リンガベルは、震える中指にはめたリングの電源ボタンを押した。
半透明な液晶がひらいた。液晶画面の下方にあるダイヤルを押した。
『ハロー。無風です』
ややあって画面に陽気な無風先生の顔が浮かび上がった。
教えてもらった連絡手段をこんなに早く使うことになるなんて思ってなかったな、と心の中で笑うしかなかった。
『状況は理解しました。リンガベル・レイ。そのままゲート開いてくれる?』
「……はい」
テレビ電話を切って、リンガベルが血で汚れた指で画面の操作をすると、リングから逆三角錐のテレポートゲートがひらいた。
その中から、這い上がるように白衣の袖が縁を掴み、懸垂の要領で無風先生が登場した。
「テレポートは苦手なんだよね。白衣によるし」
折れた白衣の裾を払って、ため息をついてから無風先生は辻行と対峙した。
「ハロー。ビースト辻行君。また派手にやってるね。さあて。そろそろ終いにしようか」
白衣の内側のポケットから医療用のメスを取り出し、華麗に回転させ、無風先生は自分の右手の平を掻き切った。
そして、飛び掛かってきた辻行の顔面に押し付けた。
顔をわしづかみにして持ち上げた。
「がああああああああああっ! ああああっ!」
辻行がどれだけもがいても、その手を離そうとはしなかった。
「おお、よしよし」
その言葉こそ優しいものだが、無風先生は無表情だった。
「があああぁ……ぁ」
やがて獣のような鳴き声も小さくなり、両手はだらんと垂れ下がった。
宙ぶらりんになり、何の抵抗もできなくなったことを確認してから無風先生はその手を離して、虫の息の少年を抱きかかえて廊下に立ち尽くす非力な教師たちに言い放った。
「私は、浮林檎の研究員、無風遥瀬です。うちの被験体は一時、回収させて頂きます。このことの始末と、怪我人の手当にはうちの人員を派遣させます。では」
無風診療所に運びこまれた辻行は、何本か注射を打たれたあと、生きているのか不安になるほど衰弱した様子のまま、眠り続けた。
その間、無風先生は何件かに電話をかけ、リンガベルは用意してもらった椅子に座って見守ることしかできなかった。
診療所の奥の散らかった部屋のまた奥の空間。
前回、訪れた時にリンガベルが入れてはもらえなかった部屋には、壁一面に電子機器が埋め込まれ、そこからのびたコード達が中央の金属枠で作られたベッドに集合していた。
床に汚れも塵の一つもなかった。
そのベッドに辻行は寝かされた。辻行の顔も体も血がついていたが、無風先生はこの部屋は辻行の為に作られたものだから構わないと言った。
辻行が目をさましたのは、十五時間後、事件のあった日から日付が変わった夜の二時のことだった。
いつもだったらリンガベルが家を抜け出し、徘徊する時間であった。
静かに目をあけた辻行は、気怠そうにリンガベルのほうを向いた。
「俺が……怖いか?」
否定することも肯定することもできなかった。
「……俺は、何をするかわからない。お前にも……何をしてしまうか自分でもわからない。抑えられないんだ」
そう言うと、再び目を閉じて辻行は眠った。




