回想
ホーホーホー……ホケッキョ!
夜勤を終えて家に帰る途中、いつもの調子外れなウグイスの鳴き声が聞こえる。
ウグイスの鳴き声がホーホケキョだというのは勝手な思い込みで、この調子外れの鳴き声の方がウグイスの中では正しいのかもしれない。等ととりとめのないことをぼーっとする頭で考えながら家の鍵を開ける。
「あ、お帰りなさい。夜勤お疲れ様でした」
ちょうど楓が家を出るところだった。
「ただいま。楓はこれからか?頑張ってな」
軽くキスをしていつもの挨拶を返し見送る。洗濯物は後でまとめてやるので出しておいてと言い、手をブンブン振って元気に出勤していく。
元気な楓を見ると夜勤の疲れも吹っ飛ぶが、もう若くはないので休むときはきっちりと休む。
働き盛りとはいえ不規則な生活リズムになると、自分でも気付かないうちに疲れがたまっていくものだ。
特に、昨晩のような非日常的な出来事があった後などは。
一休みする前に昨晩の事を振り返ってみた。
【シロ】との話を終えて守衛室に戻ると、いつの間にか二時間も過ぎていた。
戻るなり草薙から何があったか聞かれたが「水漏れの修理で周っていくうちに、他の箇所のガタが気になったりして手直しを加えていたら時間がかかった」と言い訳をしておいた。
不承不承といった感じではあったがそれ以上聞かれても答える気はなかったので、時間がかかった事を詫びて先に草薙を仮眠室に押し込んだ。
館内の監視カメラの映像が映し出されているモニター群の前に座り、支給された手袋をはずして右手の甲に浮かぶ【水】の印を見つめる。
「字の持つ意味ね……」
草薙に初めてあったときも同じようなことを言われた気がするが、
【シロ】の話ぶりからすると誰でも良いと言うわけではなく、俺である必要がありそうだった。
「曾爺さんや爺さんの名前を聞くことになるとはね……」
それも人ではなく大蛇からだ。
日本の神話では蛇は神の使いであったり、悪神であったりと様々だが、基本的には何かの象徴であることが多い。
有名なヤマタノオロチなんかは、河川の氾濫を治水技術で抑えた事を物語風に伝承したものだといった話を何かで読んだ気がする。
河川の氾濫や水害というのはやはりこの【水】の印に繋がってくるのか。
そんなことを考えながら水漏れの修理依頼書に修理内容を書き込み、処理済の印を押してサインをする。
そうこうしているうちに草薙が仮眠室から出て来たので、入れ替わりで仮眠をとることにした。
***
コーヒーの良い臭いで目を覚ますと、ちょうど仮眠時間の終わるところだった。草薙が仮眠あけに合わせてコーヒーの準備をしてくれていたようだ。
ナントカと言う豆を使っているから云々と言っていたが、豆の種類まで聞いてもよくわからないので、うまけりゃいいと言っていつも頂いているが実際に旨い。
苦いだけではなく、鼻の奥に香りが広がっていくと言えばいいのか、インスタントには出せない風味が感じられる。
「相変わらず草薙の淹れるコーヒーは旨いな」
そう言ってからしまったと思う。
「そうでしょう! この豆は南米のチリが原産の……」
「オーケー! 大丈夫だ! 俺はうまけりゃいいんだ! うんちくはまた今度にしてくれ! 」
慌てて止めにはいる。悪いやつではないんだが、恐ろしく長い蘊蓄を聞きながら飲んだのでは、この旨いコーヒーが勿体ない。
「そうですか。ではまた今度ゆっくりと……」
さして気にした様子も見せずにくるりと回ると給湯室に入っていく。
「ふぅ……」
ため息をついてコーヒーを一口飲む。今のやり取りですっかり目は覚めた。
その後は特に何事もなく過ぎて、次の交代が来たので引き継ぎを行い退勤した。
一通り振り返ったところで、ぐーっと腹が鳴った。
なにか食べてから一眠りする事にしてキッチンへ向かった。