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痣印-アザイン-  作者: まいくーはん
十二章
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八葉紅葉

「おえぇぇ……げほっ、げほっ……無理だよ……気持ち悪い……」


「大丈夫よ。私だって貴女のお母さんだってこれを飲んで育ったのよ? 最初は飲み慣れないけど慣れれば気にならないわ」


「だって苦いし不味いしねばねばして喉に引っ掛かるんだもんコレ……変な臭いもするし……」


ヘドロのような飲み物を前にして泣き言を言う私に、祖母は容赦なく逃れられない現実を突きつける。

普段は優しい祖母の口調もこの時ばかりは付け入る隙がなくて嫌だった。


いつしか鼻を摘まんで一気に飲み込む方法を覚えてからは、次第にこのやり取りはなくなり、半年もすれば祖母の言っていた通り気にならなくなった。


この怪しい飲み物のお陰かは解らないが、苦手な食べ物はなく大抵のものは美味しく食べられるようになった。

なぜなら、この飲み物より不味いものなど無かったからだ。


「楓ちゃん。この間お話した巫女のお話だけど、そろそろきちんと準備を始めるわね?」


祖母の家に来てから一年程が経過したある日、ついに祖母は私に八葉(やつば)家の巫女としての修行を開始することを告げた。


「おばあちゃん。そもそもミコって良く解らないんだけど、何すれば良いの?」


「ミコは巫女と言って『人ならざるモノと人を繋ぐ役目』を持っている女の事よ」


そう言うと祖母は片目をつぶって何事か唱えると、こたつの上の蜜柑の山の一つにトンと人差し指を乗っけた。

何をしているの? と聞こうとした矢先、なんの前触れもなく蜜柑の山が四方に崩れて机上を転がり、落ちる! と思った瞬間四隅でピタリと止まった。


ありえない光景に四隅の蜜柑を凝視していると祖母がパン! と手を叩いた音が聞こえてハッと顔を上げる。

祖母は目が合うとニコリと微笑み蜜柑の山があった場所を指差す。

するとそこには先程四方に転がっていった蜜柑が行儀良く籠の中に収まっていた。


「え? あれ? なんで?」


訳がわからなくて蜜柑の山と祖母の顔を交互に見る。


「あら? 狐につままれた様な顔をしてどうしたの?」


祖母は悪戯っ子のように楽しそうに笑うとそう問いかける。


「今、蜜柑の山が崩れて、落ちると思ったら四隅でピタリと止まった様に見えたんだけど……」


私が不思議そうにそう応えると祖母は満足そうに頷いて続ける。


「今のが見えるのならこの一年間不味いアレを飲んだ成果は出ているみたいね」


「アレも巫女の修行なの?」


出来れば思い出したくないアレの姿を頭の片隅に思い浮かべてしかめっ面になる。

習慣になってしまったから飲み続けているだけで、出来ることなら飲みたくはないし想像もしたくない事には変わりはないのだ。


「そうね。修行と言うよりは下地作りかしらね。十六才になったらやめて良いわよ」


「本当に!? でも、後二年も飲み続けるのかぁ……」


止めて良いという喜びの後に残り二年と言う歳月に思い至り、十四年しか生きていない身にはとてつもなく長く感じられた。


「二年なんてあっという間よ? コレからは唄と踊りの練習だからそんなに難しく考えなくて良いわよ。踊りと言っても基本的な動きさえ覚えちゃえば後はあなたの好きに踊って良いんだから」


「踊りかぁリハビリでダンスもやったけど、その時センスあるって誉められたのよ私!」


そう言って得意気に胸を反らせる。


「なら最初から厳しくいっても大丈夫ね? これは楽しみだわ」


「えーちょっと待って! うそうそ! 優しくお願いします!」


祖母の反撃にあえなく白旗をあげて泣きつく私を見て、今度は祖母が胸を反らす。


二人の目が合うと自然と笑い声が漏れた。


「さてと、じゃぁここからは真面目な話よ?」


そう仕切り直して姿勢を正す祖母に正座をして頷きで応える。


八葉(やつば)の巫女の使命は【富士の火口に封じられた八岐大蛇(ヤマタノオロチ)(しず)めること】にあります。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の話は知っている?」


そこで区切って質問をする祖母。


「えっと……日本書紀だっけ? スサノオさんが退治してスッゴい強い剣を手に入れるんだよね? でも、実は洪水と治水の話とかなんとか……」


知っている情報を繋ぎあわせて応えると、祖母は苦笑いして続けた。


「随分はしょって混乱しているようだけどそのぐらい知っていれば良いわ。知識なんて後でいくらでも詰め込めるもの。まずは初めだし大まかな話をするわよ? 元々は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)というのは遥かな神話の昔、富士の火口から九方向に流れ出た溶岩……火砕流の事をさして言うの」


「アレ? 洪水の事じゃないの?」


自分の知っている知識はたかが知れているが、いきなり誤回答では少々決まりが悪い。


「一般的にはそう言うことになっているわ。でもまぁ真実と言うのは伝える人の立場によって都合の言いように変わるの。大衆向けの情報なんかは特に、ね。覚えておきなさい」


テストに出るわよと言いこそしなかったが、学校の先生の様に告げる祖母は少し楽しそうだった。


「日本の中心である富士の山から火を吐き何もかもを飲み込む火砕流は当時の人達には恐ろしい龍のように見えたでしょうね。その後も噴火を続ける富士に対する尊敬と畏怖の念が具現化したのが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)よ」


「具現化? じゃぁ八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は本当にいるの?」


祖母の話に信じられないという思いを隠さず質問する。


「答えはイエスでもありノーでもあるわ。少なくとも私は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を見たことがないけど、その存在は確かに感じるの。あなたが飲んでいるアレは神話の時代に富士の火口から流れ出た溶岩を削ったモノなの。言ってしまえば八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の素みたいなモノよ?」


後二年も飲まなければいけない私の気持ちなどお構いなしに衝撃の事実をサラッと告げる祖母。


「うえぇぇぇぇ! アレ溶岩だったの!? だから硫黄臭かったのか……八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の素なんて飲んで大丈夫……なの?」


知らずに一年。知ってから更に二年飲み続けるものの正体を知ってしまい、流石に動揺を隠せない。


「私も貴女のお母さんも飲んで育ったって言ったでしょ? 私のおばあちゃんも、そのまたおばあちゃんも飲んでたのよ?なんの問題もないわ……たぶん」


最後にボソッと目を逸らして言った台詞を追求する勇気はなかった。


「貴女には遺伝としての八葉(やつば)の血と、(まじな)いとしてのお母さんの血が混ざっているの。潜在的な力は歴代のどの八葉(やつば)の巫女よりも優れていると思うわ」


優しく微笑む祖母の顔は、しかし少し悲しそうだった。


「私ってもしかして凄いの?」


そんな祖母の顔を見て少しおどけて見せると、フッと息を吐いていつもの優しい笑顔に戻った。


「そうね。それが貴女にとって良いことなのか今は判らないけれど、貴女はいずれ八海(はっかい)を渡り八葉(はちよう)を廻り深淵の八社(やしろ)に至る巫女なのでしょう……」


「?? それってどういう……?」


「いずれ解るわ。八葉(やつば)に産まれた者以外に八葉(やつば)の巫女は務まらないの。あの子が亡くなって貴女が生きている以上、貴女が八葉(やつば)の意志を紡ぐのよ」


真剣な眼差しの祖母の目を見てごくりと唾を飲み込む。

大地震が起こる前はただの小学生だった自分が、神話の時代から続く巫女の一族だなんて(にわか)には信じられなかったが、祖母の語る事実を否定できるものは何もなかった。

何より祖母が私を孫としてではなく一人の人間として見て話してくれている事が嬉しかった。


「うん。正直まだ良く解らない事の方が多いけど、おばあちゃんがふざけてるんじゃないってことは私にも解る。やるだけやってみるわ」


まっすぐと祖母の目を見て率直な気持ちを伝える。

胸の奥で何かがトクンと脈打ったような気がした。


「今はそれで良いわ。さて、貴女のお母さんが好きだったアレは覚えている?」


「お母さんが好きだったア……レ? 一杯ありすぎて解らないよ。なんのこと?」


「ん。そうね。それが最後には貴女の力になるわ。お母さんにちゃんと毎日ありがとうって言うのよ?」


謎は解かれないまま祖母との会話は終わった。


***


その後、唄と踊りの修行と言うか練習を始めた私は難なくその修行を終え、十八になる歳に田舎の高校を卒業した。

陸上でそこそこの成績を残しており、定期的に通っていた病院で世話をしてくれていたインストラクターさんの紹介をもらって、東京のスポーツジムに就職した。


就職後も修行と早朝ランニングは続いており、(まもる)とはそのランニングで良く会う顔見知りだった。

年の差ははっきりとわかったが妙に気になる人でいつしかそれは恋心になっていた。

(まもる)もまんざらではなさそうで私が誘えば色々と付き合ってくれていた。


「母の好きなアレ」が未だにどれを指すかは解らないが、祖母が明言を避けたのはこの話だけなのだからそこに何かがあるのは確かだ。


今は少しでも体力をつけて己の闘いに備える時だ。

そう自分を鼓舞して敵の用意した食事を余すことなく平らげた。

楓さん回というか、前回に引き続き説明回ですね。

次は本編いきたいですなぁ

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