辰巳守
西暦二〇三七年十二月
『クリスマスケーキのご予約承り中で~す! 』
『よろしくおねがいしま~す! 』
二〇三七年も残すところ一ヶ月。赤と緑のイルミネーションが眩しい程に溢れ返っている街中で、サンタクロースの格好をした若い女性がクリスマスケーキの街頭販売イベントを行っている。
「この光景だけは何十年経っても変わらないんだな……」
白い息と共に辰巳守が呟く
「なにオジサンくさい事言っているんですか……辰巳さんまだ三十五でしょ? 」
隣にいた八葉楓がすかさずツッコミを入れる。
世間的には三十五歳は立派なオジサンだ。
どんなに鍛えていようと外見的にも体力的にも十代、二十代の頃には適わない。
「私に言わせれば三十五なんてまだ子供です! 大人というのは……ほら! あぁ言った方を言うんです! 」
目線の先を追うと、そこには仕事帰りであろう頭は禿げ上がり腹も出てスーツもくたびれた感じの五十代と思しきサラリーマンの姿を認めてかぶりを振って答える
「……お前の趣味に口を出すつもりはないが、世間的には三十五歳は立派なオジサンだよ」
「べ、べつに禿げ上がって疲れきったオジサンを私が抱きしめてよしよししてあげた~い なんて一言も! 」
人ごみの中でなんてことを口走っているんだこいつは。禿げ上がって疲れきったオジサン達が嬉々としてこっちを見ているぞ。
「……今のは聞かなかった事にしておこうか」
徐々に彼女から遠ざかりながら言う
「あ、あの! なんでジリジリ下がりながら言うんですか! ちょっと! 辰巳さ~ん! 」
顔を真っ赤にしながらまってくださいよーと走ってくる。
「タツミ? 人違いじゃないですかね? では! 」
右手をビシッと上げてその場を立ち去ろうとする。いや、本気で帰ろう。それがいい。
冷蔵庫にはまだ叉焼と煮卵が残っていたはずだ。よーし今日はラーメンに全部のせて食べちゃおうかな。
などと夢を膨らましながら数歩ダッシュしたところで右手の甲に妙な違和感があり足を止める。
――ん?
「辰巳さ~んってあれ? どうしたんですか? 」
小走りで追いつく楓に問われた時には違和感の正体が顔を出した。
いや、正確には浮かび上がっていた。
「あれ? それってもしかして、いn――」
最後まで言い切る前に楓の口を手で塞ぐと、そのまま路地に入り自分の右手の甲を見る。
途中おまわりさんこの人です等と言われたが気にしない。
【水】
そういえば十二月一日、今日は俺の三十五歳歳の誕生日だった。
「むぐむむーむぐっ! むむーむーむー! 」
手の甲に浮かんだ【水】の文字を見ながら思考をめぐらす。
二〇二〇年の南海トラフ沖大地震の余震も収まらない中、報道はされなかったがネット上で一つの噂が駆け巡った。
その噂というのが「身体の一部に字が浮かび上がってきた人がいる」というよく分からないものだった。
最初こそ地震のニュースや話題などにかき消されて相手にされなかったその噂も、日本全国で同時多発的に同じような症状の人間が出るにつれ、徐々に真実味を帯びて囁かれるようになった。
しかし、誰も彼もに起こったわけではない。現在までに大まかに分っているのは四つ。
一つ、三十五歳以上六十歳以下の男女問わず発現が確認されている(内閣府の発表では現在五千人弱)
一つ、非喫煙者(過去に一度も自らの意思で喫煙をした事のないもの)以外の発現は確認されていない
一つ、文字は自らの意思では選べない 変わらない
一つ、健康状態に異常は見られない
要するに、発現した奴らの年齢、性別、喫煙歴以外は殆ど判っていないってことだ。
なんで喫煙歴が関係あるのか不明だが、更に言うと――
「むぐぐぐっ! ぷはっ! ……ぜぇぜぇぜぇ……ちょっと、辰巳さん! 街中でいきなり『口むぐ』とかなに考えてんですか! ? 」
「『口むぐ』ってなんだよ? 街中で非常識な発言しようとしたのはお前だからおあいこだ」
「だって、まさか目の前でいn……ソレを目にするとは思いませんでしたからつい……すいません」
最後は聞こえるかどうかの声で謝る楓。事の重大さにようやく気付いたらしい。
そう、街中でソレを言おうものなら、あっという間に情報は全国をめぐり個人が特定されてしまう。
初期の頃に何も考えずに情報を発信したやつらの中には、まともな社会生活を送れなくなった者も少なくないと何かの記事で読んだ。
こういったものは無い奴らからすれば羨望と共に嫉妬、恐怖、排斥といった感情をもたらす。
中世の魔女狩りなどがいい(悪い)例だ。
さて、どうしたものかと思案していると
「そうだ辰巳さん! 誕生日プレゼントに手袋買ってあげますよ! 選びに行きましょう! 」
と楓が強引に腕を取り大通りに進もうとする。
「ちょ、ちょっと待て! 」
慌てて止めるが、一度こうと決めたこいつの考えを変えるのは中々に骨が折れる。
振り返って無邪気に笑う楓が早くと急き立てる。
誕生日プレゼントなどもう何年も貰っていないので気恥ずかしさがこみ上げてくる。
現実問題として人目に触れないようにする必要もあるので、せっかくの申し出をありがたく頂戴することにして言う
「オジサンに似合う奴にしてくれよな」
楓が噴出しながら言う
「ぷぷっ! だから35歳はまだ若者ですって! 異論は認めません! 」
反論しようとするも手をビシっと目の前に突き出して先回りされて止められる。やれやれ。自分の身に起きてしまった事は仕方がない。
手の甲に浮かぶ【印】をちらりと見て切り替える。
この先どうするかは一晩寝てから考えるとしよう。この時はその程度の認識しか持っていなかった。