6:酪陽の果実亭
「ただいまー」
俺とリーアはウルズの北街区にある、酪陽の果実亭という酒場に来ていた。
ここがリーアの家であり、かつ酒場兼宿屋という事らしい。
人の集まる場となれば、情報収集には持って来いだと判断し連れてきてもらった。
ついでに言うなら、先一昨日から何も食べていない胃に何か入れたかったという理由もある。
平静を装っているものの、正直な所かなり空腹が辛い。
「おや、おかえり」
店内に入って行くと、カウンターの向こうにいる人の良さそうな中年男性がリーアを迎えた。
「あ、お父さん」
父親らしい。
金髪のリーアと違い、髪は黒い。ただ瞳は同じ碧色をしている。
細身で優しそうな雰囲気の中に、凛とした印象を持つ所がさすが親子、似ている。
「何処に行っていたんだい? 今は危険だから外には出ないようにと言っていただろう」
「うん、ゴメンね。ちょっと用事があって」
用事? と父親がリーアが肩から下げているパンパンに膨らんだバッグに視線を移す。
「香草を取りに行っていたのかい?」
「うん、もうすぐストック切れそうだったでしょ?」
「それはそうだが……やはり外出は感心しないな」
「うぅ」
父親に窘められたリーアが複雑な表情で唸った。
それは親に怒られた子どもそのもので、なんとなく微笑ましい気分になる。
「とりあえず、奥に片付けに行くね!」
「あ、待ちなさい」
「お父さんはハジメにご飯作って上げて! ハジメ、また後でねっ」
リーアは父親の静止も聞かず、奥の扉の中へと駆けて行った。
「ふぅ、まったく。親の気も知らないで」
閉まった扉を見つめたまま彼は深い溜息をついた。
「親の気持ちを子が知るのは、同じ親になった時だ。今は諦めるんだな」
俺の言葉で我に返ったのか、彼はそういえばという顔をした後に、カウンター前の席を進めてきた。
「えーと、君は……ハジメくんと言ったかな?」
「呼び捨てでいい。アンタはリーアの父親って事でいいのか?」
「うん、そうだよ。バドと言うんだ。宜しくね」
バドは柔和な笑みで握手を求めてきた。
腰を上げて握手に応じ、再び着席する。
「ふむ……」
「ん? どうかしたかい?」
「あぁ、いや、なんでもない。ところで、ここでは軽食なんかも出しているのか?」
「そうだね。大したものはないけれどね」
「いや、こちらもそんなに食べる気はない」
2日も何も食べない状態から一気に食べても身体に毒なだけだ。
今のところはスープや粥くらいで丁度いい。
だが、1つ問題があった。
さて、どうしたものか。
まぁ、どうするも何も正直に言うしかないのだが。
「バド、昼食を頼む前に言っておかなければならない事がある」
俺の物言いにバドが怪訝な顔つきになる。
「どうしたんだい?」
「かなり言いづらいんだが……金がない」
「え?」
そう、当たり前だが俺はこの世界の貨幣など持ち合わせていない。
「ただ食事は取りたい。だから提案だが。物か労働力で対価を支払いたいんだが、どうだろうか?」
バドから返事はない。
やはりダメか。
急に来て金はないが飯を食わせろ、と言っても取り合って貰えるわけがない。
初対面ではツケもきかない。
「あぁ済まない。急に変な事を言った。聞かなかったことにしてくれ」
変にゴネて彼を困らせる気もない。
ここは早めに引いておこう。
「いや、違うんだ。突然のことに少し驚いてしまっていただけだ。お金の代わりに別のもので払ってくれるというなら構わないよ」
「いいのか? 自分で言うのも何だが、俺はかなり怪しいと思うんだが、そんな簡単に俺の言葉を信用してしまって」
バドは自分で言うのかい、と苦笑いをしてからまた優しい表情に戻り、言った。
「タダ飯というわけではないし、それに娘が連れてきたお客さんを無碍に追い返すわけにもいかないからね」
「そうか、感謝する」
「いや、構わないよ。それで何を食べるんだい?」
「ふむ、出来ればスープなどを頼みたいのだが、出来るか?」
「あぁ、それなら丁度昼食用に作って温めていた所だよ」
バドが厨房の奥――カウンター席から一望できる為に後ろ姿は見えたままだ――へと引っ込んだ。
そのタイミングでリーアが戻ってきた。
「戻りましたーんって、あれ? お父さんは?」
「そこだ。いまスープを入れて貰ってる」
「あ、ホント? おとうさーん! ついでに私の分もおねがーい」
バドの了承の声を聞きつつ、リーアが隣の席に座った。
「スープの他には何食べるの?」
「いや、とりあえずはスープだけだ」
「え、なんで? 折角だからお腹いっぱい食べなよ。お礼もしたいし」
「いや、いい。空腹が続いた胃に急に食べ物を入れると身体に悪い」
「あ、そうなんだ?」
「礼に関しても気にしないでいい。あれは俺が勝手にやった事で、別に恩を売るつもりもない。なんなら街まで案内して貰った事で帳消しだ」
俺の言葉の何かが気に触ったのか、リーアが急に立ち上がった。
「そういう訳にはいかないよ! あの時ハジメが来てくれなかったら私!」
そこで襲われた時のことを思い出したのか、再び席に座ると小刻みに震えだした。
「私……私……」
道中は気丈に振舞っていたが、家に帰って落ち着いたことで恐怖がぶり返したんだろう。
さっきまで笑顔だったその顔は今や蒼白になっている。
「リーア、大丈夫だ。俺を見ろ」
言いたい事はあるが、いまは落ち着かせないと。
俺は手を取ると――かなり冷え込んでいる――包むように握りしめた。
「あ……」
「大丈夫だ。ほら、今はもう怖いことなど何もない。俺も傍にいる。バドだってすぐそこにいる。大丈夫だ。ここは安全だ」
俺の顔を映すリーアの瞳から不安の色が少しずつ薄れていく。
手にも体温が戻ってきている。
「あ、うん。えっと、ありがとう」
どうやら落ち着きを取り戻したらしい。
「ゴメンね、急にこんな……驚かせちゃって。うん……ごめん」
「怖い目にあったんだ。仕方がない。むしろよくここまで耐えたな。偉いぞ」
髪を梳くように頭を撫でてやると、頬にも赤みが差してきた。
これなら今はもう大丈夫だろう。
「うん……えへへ」
髪を撫でているとリーアがくすぐったそうに笑った。
「えーと、何をしているのかな、君たち?」
と、すぐ横から声が掛けられた。
「ひゃあ! って、お父さん!? もう、びっくりさせないでよ!」
リーアは文字通り飛び上がると、顔を真っ赤にしてバドへ抗議を放った。
なお、俺は気付いていた為に驚きは全くない。
「びっくりしたのはこっちだよ。ほら、スープ温めたよ」
カウンターテーブルにスープが2皿置かれる。
麦を煮たスープ、地球で言うならスープよりオートミールと言った方が近いか。
「お口に合うかは分からないけど、どうぞ召し上がっておくれ」
「では、有り難く頂くとしよう」
「ほらリーアも」
「うー」
リーアは憮然としながらも頷くと、大人しくスプーンを手にとった。
ふぅむ、味気ないがまぁこれはこれと考えれば美味しく感じることも出来るか。
むしろ、まともな食事にありつけている事には感謝しないといけないか。
そうして黙ったまま食事を続けていると、バドが不意に口を開いた。
「ところで2人はもしかして恋人なのかい?」
「ぶー!」
唐突な質問にリーアが盛大にスープを吹き出した。
美少女と言って差支えのない女の子の噴飯姿は中々にショッキングなものがあるな。
「きゅ、急に何を言い出すの!?」
リーアが喧々(けんけん)として猛烈に抗議している。
俺はどうでもいいので静観を決め込む。
「だって、さっきあんなに熱烈に手を握り合っていたじゃないか」
「~~っ」
「随分とただ事ではない様子だったけどなぁ」
既に赤かったリーアの顔が更に赤くなっていく。
凄いな。人の顔はあそこまで赤くなるのか。
「あ、あれは!」
言い訳をしようとするが、リーアからは続きの台詞が出てこない。
そんな娘の様子を見ていたバドはスッと目を細めると、
「それとも、何か危険な目にあったりした時の話をしてたのかな?」
平坦な、ともすれば冷たいとも取れる声色でリーアと、俺に問い尋ねてきた。
なるほど、さっきの俺たちの会話は全部聞いていたと言うわけか。
リーアは急な話題の転換に着いてこれず、黙ったまま感情をそのまま顔に出している。
他のことで動揺させておいて心理的余裕を奪い、急に本題を出すことで咄嗟に嘘を付けなくしたのか。
バドという男、中々に侮れないな。
「……」
リーアは何も答えられないまま縋るように俺を見てくる。
おい止めろ。
そんな目で見られた所で俺にはどうする事も出来ん。
バドも俺は攻めづらいと考えたのか、リーアの方に重点的に視線を送っている。
「えっと……」
リーアの目は面白いぐらいに泳いでいる。
まさに魚が水中を泳いでいるが如しだ。
その様子は見ていてちょっと可哀想になってくる程だ。
……やれやれだな。
「バド」
俺の呼びかけにバドの顔がこちらを向く。
責める視線から逃れたことでリーアの顔にありありと安堵が浮かぶ。
「なんだい?」
当然、今度は俺に責めの視線が注がれている。
「リーアは、動物に襲われていてな。それをたまたま俺が森で助けたんだ」
嘘は言っていない。
大別すれば人間も動物だ。
1番言われたくないのは男に犯されそうになった事だと思うからそこは伏せたが、もし森に行った事などが怒られる要因になるなら、これは無駄な嘘という事になる。
ただ、会話からして香草を森に取りに行く事は珍しいことじゃないようだから、おそらくは大丈夫だと思うが。
バドは少し考えると、リーアへと向き直った。
「リーア、彼の言う事は本当かい?」
リーアは目を左上へと向けられながら、
「う、うん。まぁ、本当、かな?」
とたどたどしく答えた。
嘘が壊滅的に下手だなコイツ。
その答えにバドはかなり大きな溜息を付いた。
「全く。だから今は危ないから森へは行くなと言っただろう。ハジメくんが来てくれなかったらどうなっていたか」
嘘と気づきつつも、お人好しなのだろう、バドは注意に留めた。
それと、結局俺のことはくん付けになっている。
まぁ呼びやすいように呼べばいい。
「うぅ、ごめんなさい」
リーアの肩がガックリと落ちる。
一応、本気で反省はしてるらしい。
「にしても、やはり危険だな。早急になんとかしないと……ん?」
バドは考え事を始めたと思ったら、俺を見て何かを思いついたみたいな顔をした。
この顔は経験上よく無い顔だ。
俺にとってよくない事を思いついた奴の顔だ。
「ハジメくん、いま君はお金がないって言ったよね?」
「あぁ、言ったな」
「そして労働力で支払う、とも言ったよね?」
「あぁ、言った」
なんとなく読めてきた。
「なら、ウチで働かないか?」
バドの顔がニヤついている。
会話が思うようにいって喜んでいる顔だ。
俺もこの後に何を言われるか想像がついた。
「何をすればいいんだ?」
バドはにっこりと、やや人の悪い顔で笑って言った。
「用心棒をやらないか?」