5話+魔法のニオイ+
ユリスさんの紹介とともに、一人の男性が降りてきた。
胸下くらいまである長さを、一本の三つ編みでまとめられた
光沢のあるシルバーブロンド髪、透き通った透明感のある
スノーブルーの瞳。雪のように白い肌に、長いまつげ、誰もが美人と
絶賛してもおかしくない、そう、この家がドールハウスだとすれば、
彼はここにいるのに相応しく、持ち主や一目見たものを魅了し
虜にしてしまいそうな人形のようだ。
私は彼の美しさに愕然とし、暫時息をするのも忘れていたのではないかと思う。
それほど、彼は人間離れした美貌を持っていたのだ。
「やっほーノーチェ、ご機嫌いかが?」
シストラさんが彼に声をかけるが、彼は私を見つめたまま動かなかった。
……何だろう、どうかしたのかな、お腹が痛いとか?
「…………オイ、なんで害虫が堂々と椅子に座ってるのに、誰も駆除しないんだよ」
彼は心底見たくもないものを見た時のような目で私を睨みつけ、
ユリスさんとは別の猛毒を吐いた。
そっ、そのお綺麗な容姿のどこから、そんな言葉が出てくるのか
私には理解不能だった。
「ノーチェ、彼女はお客様だ。そういう言葉遣いはやめた方がいいよ。
それに彼女はゼペット爺さんの知り合いみたいだけど……」
「知り合いのくせに、爺さんの葬式には参列どころか顔すら出さないのかよ」
彼は憎悪感の溢れる瞳で私を睨み続けたまま、イヴさんに言葉を返す。
「やめろノーチェ。王家出身の身だとは思えない無作法さと言葉遣いだよ」
ユリスさんに注意されると、彼は舌打ちをして部屋を後にした。
それを見ていたイヴさんも立ち上がり、彼のあとに続いて部屋を出て行く。
「ごめんね、彼はノーチェっていうんだ。ツンケンして気難しそうに
見えて言葉に刺があるけど、本当は優しくて親切でいい子なんだよ!!」
ノーチェさんのことをフォローするように、シストラさんは
ノーチェさんのいいところを他にも沢山上げていく。
会って間もなく毒を吐かれた私にとって、シストラさんのフォローは
よく伝わらないが、彼が愛されていることは、よく分かる。
注意して、追いかけて、フォローしてくれる友人がいるなんて素晴らしいよ。
シストラさんのノーチェさんフォローを聞くこと数十分。
外に出ていったノーチェさんを連れて、イヴさんが戻ってきた。
ノーチェさんは不満そうにイヴさんに愚痴をこぼしながら、座り心地の良さそうな
ソファーに腰を下ろす。
「最後はアンタの番だ。どうぞ」
「私はルシェです。実は一昨日の朝、目が覚めたら記憶喪失になっていて、
日記帳を見たらゼペットさんのことが書いてあったので、
訪ねて来たんですが……まぁその……一歩遅かったと言いますか、
手遅れだったというか……」
なんと説明したら良いか分からず、もごもごと口ごもっていると、
ノーチェさんの舌打ちと「はっきり喋ろよ」という呟きが聞こえてくる。
そんなにツンケンしないでください、お願いします。
「へぇー君、記憶喪失なんだ。ねぇ記憶がないって
どんな感じでどんな気分なの?」
シストラさんは可愛いお耳をピクピクと動かし、
ふわふわした尻尾を左右に大きく振りながら、興味ありげに聞いてくる。
この人、狼というよりは犬っぽい。
「そうですねー……自分の名前すら思い出せないくらいに
綺麗さっぱり忘れているので、最初はとっても焦りましたけど
2日3日経てば、慣れてきましたよ。でも頭は憶えていなくても、
心や身体が憶えていることがあって、そういうときは
『私ってどんな人間だったんだ……?』って思うことがあって、
なんだか変な感じがします」
「そっかー、記憶喪失って大変なんだね……」
話を聞き終えたシストラさんの耳と尻尾は、聞く前の時と打って変わって、
しょんぼりと垂れ下がっていた。
可愛いな……一日中いじくりまわしていたいくらいだ。
「アンタ、まさかそれが普通の記憶喪失だと思っているんじゃないだろうね」
「えっ?それってどういうことですか?」
私はユリスさんに尋ねる。
何が原因で記憶を失ったか分からないが、何かで脳が損傷した場合に
引き起こされることが多いらしいので、記憶喪失になるくらい頭に
強い衝撃を受けたか、強いストレスかなにかだと私は思っていた。
「簡潔に言うと、アンタは厄介な呪いというか魔法というか……。
そういう部類のもので記憶が消されている可能性があるってこと。
アンタから魔法のニオイが強くするんだよ、そのカバンの中からも」
「カバンの中から……?」
私はカバンを降ろしてユリスさんに渡すと、
ユリスさんは自分の紅茶の入ったカップをイヴさんの方に寄せ、
カバンの中身を机の上にぶちまけた。
ユリスさんはそれらを一つ一つ手に取って、じっくりと見ていく。
お財布、携帯、髪留めやヘアゴム手鏡リップに絆創膏などが入ったポーチ、
ピンク色のレースのハンカチ、マトリョーシカ柄がプリントされたティッシュ、
お菓子の入った巾着、自宅のカードキー、扇子、お薬ポーチ、ドロップの缶、
お気に入りの本、海外旅行記、そして日記帳。
「これだ、これからすごくニオイがする」
ユリスさんは日記帳を開き、ザッとページを見て、日記帳を閉じた。
「これまた厄介な魔法だな……かなり古くて、強力な魔法だ。
まるでアンタに、過去のことに一切触れるなとでも言いたげだ」
「そんなッ……それじゃあ私は、このまま一切の記憶がないまま
これからの人生を生きていかなくちゃいけないんですか……?」
答えは聞かなくても、ユリスさんの複雑そうな表情から読み取れる。
嘘でしょ……うぇぇぇッじゃあこれからどうしていけばいいの?
何すればいいのさ?別の国で隠居でもすればいいの?
あーダメだ、難しいことを考えると頭が痛くなってくる。
「あんまり深く考えるとよくないよ?」
「そうだね、少し気分転換に散歩でもしてきたらどうだ?」
「でもイヴ、もう外は夕暮れでオレンジ色になってるよ」
シストラさんの言葉を聞いて、私は窓の外を見る。
さっきまでお日様がてっぺんにあったかと思うと、いつの間にか
お日様は、西に傾きオレンジ色に変わっていた。
右手につけた腕時計に目をやると、時計の針は4時を少し追い越していた。
そういえば、今日はまだ宿泊するホテルを決めていなかったし、
旅行記には「この国は5時を過ぎるとホテルが取れなくなる可能性アリ」と
赤字で書かれていたのを思い出した。
「いけないッ大変だッ!!早く街に戻らないと!!」
私は立ち上がり、急いで机の上に出されたものをカバンに入れる。
ここから街まで約5分くらい、走れば3分くらいで着くだろうか?
たしか駅前の近くにある民宿が穴場だと旅行記に書いてあった。
早く急がないと。……まぁ最悪、ラブホテルでもいいのだが。
「もう帰っちゃうの?もうちょっとゆっくりしていきなよ!!
イヴ、紅茶のおかわり淹れてあげて」
「いえ、あの、ごめんなさい、お茶は大丈夫です。
もう記憶は戻らないようですし、現状を受け入れていこうと思います。
いきなり押しかけてしまい、申し訳ありませんでした。
でも、とても助かりました。ありがとうございました。
それじゃあ私、ちょっと急いでいるので、失礼します!!」
早口になりながらも、彼らにお礼の言葉を述べて頭を下げ、
カバンを肩にかけて部屋を出ようと、ドアノブに手をかけた時だった。
「誰が記憶が戻らないって言った?自分勝手な憶測で、結論を導くのは
いい事ないからやめた方がいいよ」
振り返ると、ユリスさんがカバンに入れたはずだった日記帳を、
優雅に紅茶を飲みながら読んでいた。
「あれっなんで!?さっき日記はしまったはずだったのに……」
カバンの中を開けて見ると、日記の入っていた場所には
日記のスペースだけが空いていた。
「アンタはいろいろと気になるところが多い。
今日はもう遅いし、街に帰るのも面倒くさいだろ?泊まっていけば?」
ユリスさんの言葉を聞いて、シストラさんはまたお耳をピクピクさせて、
「わぁ!!今日は泊まっていってくれるの?嬉しいー!!」と
尻尾をブンブン振って、喜ぶ。
えっ……いやぁ、そのっ、気持ちは嬉しいけど……。
別に私は平気なのだが、流石に見知らぬ男性4人とひとつ屋根の下で
過ごすのは、世間的にはどうなのだろうか……。
「ッはぁ!?なんでこんな女をウチに泊めなきゃなんないだよ!?
俺は嫌だ反対だ。絶対に嫌だ!!」
ノーチェさんは私の方をキッと睨みつけて反対する。
それを見て、シストラさんとイヴさんとユリスさんはアイコンタクトを取り、
うんうんと頷いた。
「はーい、ルシェちゃんがウチに泊まるの賛成の人ーッ!!」
シストラさんが聞くと、シストラさんとイヴさんとユリスさんは
ノーチェさんの方を見ながら手を挙げた。
ノーチェさんはバツが悪そうな顔をする。
「決まり!!多数決の原理によってルシェちゃんが今晩ウチに泊まりまーす!!
イヴ、今日はカレーハンバーグにしようね!!」
「それはシスの好きなものじゃないか……まぁいいけどさ」
「やったー!!!!今日は楽しい一夜になりそうだね!!」
「わーい!!」とシストラさんは私に抱きついて、
尻尾を左右に大きく振って喜んだ。
なんか流れ的に、私の意見を聞かずに宿泊決定になっているけど、
今更「嫌だ」と言いにくいし、まぁ宿泊費が浮いたとポジティブに考えて
よしとしよう。