04
晒しもの、というのは、正しくこの状況をいうのだろう。
窮屈な釦を胸元まで寛げ、己の喉笛を露わにする。鎮座する黒薔薇の蕾は、ほんのすこし、その憎悪に満ちた姿を膨らませているようである。黒の文様を眺める目は、六つ。好奇心、敵愾心、恐怖心。毛色は違えどなんとも色濃い三対の無遠慮な眼が、この首に巻きつく徒花を――わたしを、見ていた。
この魂までも、暴こうというように。
その不快なまでの注視に顔をしかめる。
ふと目が合った六の宮廷術士が、にっこりと胡散臭い笑みを浮かべた。長い睫毛が縁取る翠銅鉱の底知れぬ深い緑が、ヴァーヴズの砂金水晶とは異なる光を灯している。これも得難い至高の宝玉だが、しかし。男にしては紅を引いたように真赤な、あたかも娼婦の如き色気を孕んだ唇が綻ぶ。
「ふふ。いい格好ですね。実に無様で、可愛らしいですよ」
不遜な微笑みと台詞に、その隣、不機嫌な魚眼石の男が続く。
淡黄色の三白眼を眇め、癖なのか、高い鼻梁を拳で擦っていた。警戒心がだだ漏れである。彼はわたしに対する剥き出しの悪意でもって、吐き捨てるように言葉を紡ぐ。
「呪いなんか貰ってきちまって……鈍くせー女」
「ヨッ、ヨハンくん、駄目だよ。赤の剣姫さまは偉いんだから、そんなこと言っちゃったら、リリーたちお仕置きされちゃうっ」
おどおどと藍柱石が隣に座す男の袖を引くが、わたしとその明青色がかち合った途端、さっと青ざめ顔を伏せた。猛獣を前にした小動物さながらの態度である。この見目ゆえ、初見ではあまり経験したことのない脅えように、些かこちらも困惑する。が、それもわたしと目が合っているときだけのこと。既知であるらしい男との対話では、さきほどから間の抜けた返答を繰り返している。
晒しものとはいえ、上座に座しているのはわたしだ。その後方で、シグが息を潜めるように立っている。
宮廷術士たちの議定室。そのうち、セクスの宮廷術士の管理下にあるこの部屋は、彼の趣味で塗装された庭園だ。そう、庭なのである。広い室内に張り巡らせた蔓が背の低い木々を持ち上げ、土根ごと宙へ浮かべている。その隙間から重い頭を垂らしているのは、大振りの鮮やかな花々である。毒々しい特有の色合いではあれど、ふんわりと広がるその香は芳しい。こんなときでさえ安寧を誘うような、計算づくの心地よさがなんとも不愉快ではあるけれど。
そもそも、なぜわたしが議定室などにいるのか。
それも、反対派であるセクスの宮廷術士の支配下に。
げんなりしつつ、現状を見つめ直す。きっかけは、シグを治療した医療班だ。今回はすんなりと治療してくれたと思えば、その際に己の直属の上司に伝達をしていたのである。それも、この男の「赤の剣姫が現れたならば印をつけ、すぐさま報告すること」という命令に基づいて。無論、印を植えられたのはわたしではない。シグだ。なぜ騎士たる彼が治療行為をすんなりと受けることができたか、ここではっきりした。目印をつけるのならば、なんの脈絡なく行うよりも治療の際に忍び込ませる方が容易い。その微かな痕跡を追って、セクスの宮廷術士はわたしたちを捕まえたのだ。件の役目を負い、渋々ヒルドールヴの私室から宮廷術士たちの邸に移った瞬間に、である。
抜け目がないというか、なんというか。こうも筒抜けであるのは、面白くない。
だが、抵抗するほどのことでもなかった。元々反対している宮廷術士たちのだれかを頷かせねばならないのだ、探す手間が省けたと思えばいい。けれど、それだけで終わらせないのが腹立たしいところ。ここに揃っている、わたしと面識のないふたり。つまり、七か八のどちらかを戴いた、新参者にほかならない。どちらがどの称号でも同じ。この場の全員が反対派、いわゆる四面楚歌である。わたしにどうしろと。やはり、比較的常識も、聞く耳も持ち合わせた一の宮廷術士相手がよかった。なぜならば、唯一既知のこの男。セクスの宮廷術士、オスキャル=ベルツ。手間暇かけて作られた妙齢の男のかたちであるのに、毒婦の色香を纏う奇異な治癒術士。癖の強い金の髪に映える翠銅鉱に浮かぶ好奇心は、いにしえの魔物すら殺しかねない。治癒に精通する彼であるからこそ、ひとを殺すのは呼吸とほぼ同列である。彼を突き動かす慟哭の前に、常識だのなんだのといった言葉はもはやない。これを如何に籠絡しろというのか。
そして、新入りふたりを連れ、わたしを待つ意図も読めない。
深緑の目には、相変わらず薄ら寒い笑み。睨み合いは趣味ではないゆえ、早々に解決を図ることにする。
「セクスの、あなた」
「そんな肩書きではなく、どうぞオスキャルと。姫」
だれが姫だ。不承不承、オスキャル、と続ける。
「これはどういう場と取ればいい? 別に、この呪いが見たかったわけではないでしょう」
「ふふ。それも目的のひとつではあったのですが、そうですね。ヨハンネス、リリー。貴方たち、彼女にご挨拶を」
「はあ?」
すっとんきょうな声の発生元は見るまでもなく、魚眼石だ。鋭い眼差しがオスキャルへと向けられた。垂れ目がちなオスキャルとは真反対の、切れ上がった目元が興奮と苛立ちのためか微かに赤い。逆に、青くなった藍柱石の娘。果実のように丸い瞳を潤ませて、勢いよく立ち上がる。
「わ、わたくしはリリー=リンドブラードと申します。この度、八の冠を戴くこととなりました。こちらはヨハンネス=クルーム。新しい七に座すことになっております。まだ戴冠式を終えていない上、ご覧の通りの若輩者ではありますが、国のために尽力したいと思っておりますゆえ。どうぞよろしくお願い致します、赤の剣姫さま」
噛みそうになりつつも、オッタを継いだリリー=リンドブラードが礼をした。顔色の悪さにそぐわず、身体に染みついた淑女の振る舞い。この過剰な脅えを見せる娘は、どうやら血筋のよいお嬢さまのようである。どうせなら、オスキャルもわたしでなくこの娘に姫と言えばいいのに。そう思うくらいには、庇護欲とやらをそそりそうな見目だ。
こちらにかたちだけの礼儀すら見せない、ヨハンネス=クルームとやらとは違って。彼は身分も見目も、彼女と真反対である。まあ、どうでもいいか。新顔に頷かせたとしても一手に欠ける、というのは言われるまでもないことだ。わたしが落とすべきはオスキャルである。失敗したときは、エットの宮廷術士でも口説きに行けばいい。ふたりは置いておいて、オスキャルに向き合う。「初々しくて、可愛らしいでしょう?」「……別に」「ふふ。姫の審美眼は手厳しいですね」
愉しげに喉を鳴らし、リリー=リンドブラードに座れと命じる。わたしは彼の出方を待った。
ところが、オスキャルはヨハンネス=クルームへその笑みを向けた。唇には、悪魔の微笑。この男、なにを考えて――
「どうです、ヨハンネス。彼女こそ、貴方が〝非難した〟彼の竜神の従僕ですよ」
「ふん。ただの餓鬼じゃねえの。これが従僕とは、やっぱ竜神ってのも大したことねえじゃん」
すう、と腹の底が冷えた。同時に巡る血潮が熱量を増す。
相反するものに比例し、身体は軽い。とても。
ヨハンネス=クルームが身を強張らせた。己の首にかかった五本の指、次いでわたしへと、まるで亡霊でも見るかの如く目を巡らせる。遅れて、外套の裾が重々しくテーブルに落ちた。この見目だからこそ、ひと蹴りでここまで跳躍する膂力があるとは思わなかったのだろう。普段から殺していた気配――ひとに近づけていた枷を、すこしばかり取り払う。小娘だと認識していたものが、おぞましくも変容した。ヨハンネス=クルームはその事実に淡黄色を揺らめかせ、瞠目している。軽く、じゃれるくらいのちからで、首を圧迫してやる。
「主さまへの侮辱は許さない」
「……このッ」
混乱からか、自衛のため瞬時に組まれた術式の隙間に、無理矢理逆の手を差し込む。素手ゆえ、肉を焼く鋭い痛みが走った。皮膚が拒絶に爛れたが、それだけ。それよりも、術式構成の間に捩じ込まれた方が堪らないだろう。無理矢理の変革を余儀なくされたそれは、制御を失い弾ける。眼前の胴体を蹴り飛ばすことで、暴発から逃れる。ついでに巻き込まれないようにしてやったというのに、次の術式を撃とうとするのだから呆れた。ここがどこか、忘れたわけじゃあるまいに。横目で見たオスキャルは、とても愉しげだ。これが見たかった、とでもいう風に。いや、目を見て理解した。事実そうなのだ。その狡猾さは、ヒルドールヴを連想させた。この展開が見たいがゆえ、印をつけ、自身の議定室に連れ込み、新顔を揃え――踊らせるための舞台を用意して待っていたのだ。たぶん、反対派でいたことも、すべて。このために。
「ヨル!」
「ヨハンくん!」
いやな男ばかりだ。ほんとうに。心底。
挑発に乗り、うっかり思惑に嵌ってしまった自分にも非はあれど、うん。驚愕を滲ませたシグの呼び声に応じる。
「降りかかる火の粉は払う」
「そうだろうとは思ったが、バカ! やめろっ」
「焼けッ」
シグの絶叫を皮切りに放たれた、うねる火玉。だが、甘い。
外套を閃かす。火の礫は掻き消え、術式を放った痕跡だけが宙で燻る。二撃目も同様に往なし、肉薄する。剣は、抜かない。左足を軸にした、右足の薙ぎ払い。辛うじて躱したその身体を追撃。だだの拳を肝臓の辺りに叩き込む。呻き声と共に、鋭い炎の斬撃が下から跳ね上がった。既に痛めた左手で弾くようにして軌道を逸らす。進路を違えた刃は室内の植物を裂き、土を崩し、触れたそれらを焼き尽くした。いくら皮膚が爛れようとも、側面を打ったので血が飛び散ることはない。そう、流血などしてやるものか。
ほんものなど、見せてやらない。
美しき剣も、気高き焔も。目に見えるかたちにはしない。シナリオ通りに踊ってやるつもりなど毛頭ないということをわからせてやろう。
すべて素手で往なすわたしに、オスキャルが眉を寄せたのを視界の端に捉える。思惑通りでないことに、些か気分を害したようだ。いい気味である。舌打ち混じりに術式を組み上げ、ひとつふたつと組み合わせるヨハンネス=クルーム。その瞳に理性はない。逆上したこころを、そのままちからに投影する。さきのものといい、質量がおおきい。これが粗野な生まれながらも宮廷術士に補充された才だろう。努力で身につかない、天性のセンス。だが、だからどうした。そんなもの、主さまの前では遊戯にもならない。赤赫の竜神たる主さまの従僕に炎を用いること自体、愚かだ。
「ヨハンくん、駄目っ!」
なにを察知したのか、リリー=リンドブラードが絶叫する。ヨハンネス=クルームが放とうとした術式を抑え込まんと、術式を展開させようとして。
だが、遅い。既に式は成った。
わたしは、唇に喜悦の笑みが浮かんだことを自覚する。
この身を呑もうとする、炎の口腔。
このなかではいちばん耐性が低く、あまつさえこういったものをはじめて目にしたであろうシグが、その雄姿に気圧され青ざめる。瞬く間に室内の木々をすべからく燃え上がらせたそれは、炎の装甲を纏う巨躯をうねらせた。術式により産み出された火蜥蜴の影で、ヨハンネス=クルームの腕が命令を出した。甲高い咆哮。鞭の如くしなって、わたしを食い千切らんと跳ね上がる。
とても、滑稽だった。
このあとのことを思えば。
「蜥蜴ごときが、竜に敵うとでも……?」
左手を持ち上げる。
焼け爛れ、醜く皮膚の引き吊れた手を。
火蜥蜴がかぱりと開けた咥内に、こちらが喰われるよりさきに――腕を捩じ込む。外套から剥き出しになった上腕部までが、忽ち炎に抱かれる。皮膚を抉るような熱の痛みは、けれど一瞬で終わった。
ぱちん、と。
呆気ないくらいに。
火蜥蜴は、かたちをなくした。
完全なる消失。いや、焼失というべきか。
燃え落ちる蔓だけが、その存在を認めている。
いまこの瞬間に起こった事実が理解できないのか、ヨハンネス=クルームは茫然自失している。隣のリリー=リンドブラードは、やはり青ざめて震えていた。打ち消された火蜥蜴を前に、立ち尽くすしかない。当初の位置から動けていないシグを迎えに行けば、はっとしたように左手を取られた。 強引な仕草なのに、その触れ方はひどく柔らかい。
皮膚の表面を焼かれ血色に染まった腕がじくじくと鈍痛を訴えていた。流血と呼ぶような状態ではないから、まあよしとしよう。
「このっ、バカ! 何やって、つか、何つー怪我を、ああもう、痛々しい!」
「シグ、だいじょうぶ?」
「それは俺の台詞だ!」
騎士でいる際の紳士然としたそれを捨て、怒鳴りながら治癒の術式を展開させる。さきのヨハンネス=クルームのような速さも質量もないが、わたしは黙して待つ。すうと痛みが引き、赤黒く変色した腕の異様さが際立つ。袖が焼けてしまって見通しがよくなったせいかもしれない。醜いありさまの腕を眺めつつ、挑発には簡単に乗らないこと、といつかわたしを諌めたハーヴィの姿を思い起こす。ほんとうに、ハーヴィの教訓はいちいち正しい。
ふと、隣に影が差した。だれかはわかっている。残念だったね、と言えば、期待以上でしたよ、と恍惚とした声が。
「貴女の剣技や炎を見れば、生意気な彼も己の未熟さを理解するかと踏んでいたのですが……ふふ」
術式に精通しているものゆえ、なにをしたかはわかったのだろう。わたしの姿を見下ろし、うっとりと笑んでいる。そして、あっさり罠の目的を暴露するところもなんというか、オスキャル=ベルツという男を表現していると思う。
とはいえ、結局、はじめにやったことと然して変わりないのだ。複数の術式構成を支えていた隙間に手を差し込んだ、それだけ。地盤が崩れた火蜥蜴はそのかたちを保てなくなり、ただの独立した術式になる。ヨハンネス=クルームが如何に迅速にそれを繋ぎ直せたとしても、ここで生まれた隙は挽回できる類のものではない。だが、もうひと掻きし、術式そのものを壊してあの距離と質量で暴発されては堪らない。そこでこの血の出番である。赤き竜のちからを秘める血潮は遍くものを灰燼に帰す。皮膚が焼けた際に飛散した血が、わたしの意思に則ってヨハンネス=クルームが造り上げた術式そのものを焼き払ったのである。ぱちん、と。弾けるようにして。それはあたかも消え失せたように見えただろう。
「まさか、あの火蜥蜴の口腔に腕を突き立てるとは……予想外ですよ。魅せつけてはくれましたが、炎を直に見せてはくれないですしね。ふふ、ほんとうに面白いですね姫は。――ああ、解体してみたい」
その好奇心はいらない。聞かなかったことにして、それで、と嘆息する。
「わたしを使った新人教育は上手くいったと考えても?」
「ええ。とても――これ以上ないくらいに」
「そう。なら、わたしのお願いを聞いてもらえるでしょう?」
「ええ。もちろん喜んで、姫」
跪き、爛れた手の甲に口づけするオスキャル。
わたしはそれを見下ろし、この男のせいでと非難の念を抱きつつも、ようやっとこの衣服を脱ぐ口実ができたという微かな安堵も感じていた。