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03

 

 銀の毛並みは、星屑の如く煌々と流れる。

 ルアシヴィルの民は、自分たちの系譜とは異なる――いっそ真反対と言ってもいい――その硬質な鬣に、つい目を奪われるらしい。眼窩を埋める鮮やかすぎる赤瑪瑙(レッドアゲート)は、皮膚下を巡る血潮を連想させる。永遠に色褪せない、あか。剥きだしにしている分、だれよりも血腥い、この世の恍惚の色。戦場の獣は、それがたいそう似合う男である。

 ゆるりと三日月を描く眼が、戸口に立つわたしを視界に入れた。

 獣が己の身を横たえるように、ソファーの端から端までを占領して寝そべっている大きな身体は、緩慢な動作で(こうべ)を上げる。ひどく億劫そうな、それでいて喜悦を隠そうともしない瞳で、こちらを射抜いた。ただ、恐ろしいまでの視線の強さとは裏腹な、石膏の如く白い肌に毛皮のガウンを引っかけただけの、なんとも無防備な出迎えである。いや、この男に無防備もなにもないか。湯浴みあとなのか、いつにも増して毛並みが艶やかだ。わたしよりも格段に長い髪を無造作に垂らし、獣は、銀と紅の魔物らしい冷ややかな喉を震わせる。


「よお。待ってたぜ、ヨル」


 しかし紡がれたのは、ひとの言葉。獣の言語では、なく。

 そこでようやく、わたしはその獣がひとのかたちをしていることを意識する。


「久しぶり、ヒルドールヴ」

「相変わらずちっちぇなお前。ほれ、こっち来い。……んー、やっぱ育ってねえか。さっさとヴァーヴズくれえ肉つけろ、肉。揉みごたえがねえ」

「それはわたしの采配ではないよ」

「まあな。あー、でも全体的に柔くはなってきてるか。ガリッガリんときよかましだな。でももうちょい肥えろ」

「そうは言うけれど。重量が増えると動きが鈍るのでしょう? それは困る」

「お前なあ、別に鈍るほど増やせとは言ってねえよ。女らしい身体を作れっつってんの」


 なんとも、難しいことを言う。ヒルドールヴの手のなかで揉みくちゃにされながら眉を寄せると、快活な笑みが返ってくる。高い鼻梁が近い。その下から長く赤い舌が伸びてきて、べろりと眉間を舐められた。子供にするみたいに鼻や頬に口づけが落ちる。されるがままに立っていると、長い足の間に座らされた。旋毛が見下ろせる体勢になったからか、髪に顔を埋められてくすぐったい。

 そのまま首へと移りかけた唇が、不自然に止まった。

 きょとんと瞬いて、小首を傾げる。なんだこれはと。幼げな仕草だが、この獣の男がやるとそれすら猟の一貫のようだから堪らない。なんと返すべきか、言葉を探す。

 ようやっと我に返ったらしいシグが、その隙をついてヒルドールヴからわたしを引き剥がした。両脇に手を入れ持ち上げられるかたちだったので、なんというか、わたしはひどく間抜けな絵面だったろう。しかし、帯剣していてこんなに軽々と持ち上げられるとは。ヒルドールヴならまだしもシグに。すこし衝撃を受けた。あまり考えたことがなかったが、やはり重量を増やすべきなのか。困った。わたしは燃費が悪い。この身体は足りないことはあっても、満ちることなどないというのに。


「隊長ッ、あなた、何やってるんですか!?」

「は? 何って、挨拶だろ」

「そんな挨拶はありません! 半裸で女の子を膝に乗せて身体を触ってるなんて、犯罪臭しかしませんよ!?」

「うるせえなー。こんなもん、いっつもやってることじゃねえか。なあヨル?」

「うん」

「バカ、お前は嫌がれっ!」


 怒られた。とばっちりだ。

 首を巡らせシグを見上げると、ヒルドールヴから離れた位置に降ろされる。すぐさま再開されたシグのお説教を尻目に、皺の寄った襟元を直す。それを受けているはずのヒルドールヴは、さも気のないさまを崩そうともせず、それどころかこちらを見て声を上げた。


「ヨル、何だその格好。珍しいじゃねえか」

「これしか用意してもらえなかっただけだよ」

「着替えたのか?」

「うん。汚れたから」

「ああ、やっぱりお前の血の匂いか。甘いと思った。その格好、似合ってるぜ? そうやってりゃイイとこのお嬢さんにしか見えねえしな」

「動きづらいだけだけれど」

「どうせ自分からは着ねえだろ、そのまま飾っとけ。何ならいまから他にも――」

「隊長、話を逸らさないでください。ヨル、お前はしばらく黙って座ってろ」

「わかった」


 怒気が滲むシグの一声。こういうときは逆らわないに限る。頷いたものの座るような場所もないため、脱ぎ散らかした衣服の波を抜け、冷たい壁にもたれかかる。さきのベネディクトの部屋よりもひと回り狭いが、それでもかなり面積があるにも関わらず、調度品はほとんどない。簡素な寝台とやけにふかふかなソファーがひとつずつ、酒瓶が乱れ立つローテーブル、備えつけのクローゼットを覗けば、この部屋は忽ちがらんどうになるだろう。わたしもヒルドールヴも物に執着する質ではないので、生活できるだけの資材でこと足りるのだ。まあ、酒が必要不可欠かと問われれば、わたしはノーと答えるけれど。

 ふたりの不毛な掛け合いを尻目に、思考の海へと潜ることにする。


 そもそも。

 宮廷術士が畏怖する『魔女の果実』とは。

 この世界のことわり上に存在しない、魔女のみが孕む穢れた術式の系譜を指す。元は異邦のお嬢さんである彼女らが扱える、唯一無二の反逆の狼煙。それは魔女だけが繰れる異形の術式であり、同時に、彼女らはこちら側の術式は一切使用できないという制約がある。魔女はこの世界から駆逐される存在であるがゆえに。魔女の血脈なくして『魔女の果実』を従え、この世界のことわりから追放されない――そんな異端は、まさしく『怪物』だ、と。人間にしてみれば、ベネディクトの言は違えようなく正しいのだろう。

 けれど、その怪物が、呪をばら撒いた。

 愛する者を手にかける、黒き薔薇の紋様を。

 苦しんで死ねと言わんばかりのそれは、魔女的な術式である。

 そう、あまりにも魔女らしいのだ。

 こちら側の人間が化けた、怪物では、なく。

 ベネディクトの述べた『本来ならば』という引っかかる言葉。それはつまり、本来起こり得ることがいまだ起こっていないということ。此度の呪いが、怪物のそれに準じていないことにほかならない。

 それから弾き出される答えは、至極簡単だ。単純に考えればいい。徒花の呪というそれが、怪物らしくないのならば、怪物ではないのだろう。魔女らしいというのならば、魔女であるのだろう。

 宮廷術士に名を連ねた知識人は、なにもなしていない――つまり、いまだ傍観者であるのだ、と。

 そう回答を弾き出したわたしに、ベネディクトはあの瞳を細め、賞賛に手を叩いた。

 曰く、仔細はこうだ。

 呪いが民を食らい出した頃、国王へと宛てた書簡が届けられた。達筆すぎるその筆跡はフューの元宮廷術士のもの。罪人を追う手懸かりを求め開いた手紙には、その場のだれしもが予想しなかったことが書かれていた――。


『我が麗しの国王陛下殿。

 書簡の決まりごとゆえにご挨拶を滔々と述べるべきではあるが、陛下、並びに同胞であった宮廷術士の面々もそれを望まぬと見て割愛させて頂きたく思う。突然の失踪、誠に心労をお掛けしたであろうことを詫びたい。だが、(わたし)は陛下の魔女に纏わる罪を知ってしまった。知識人として宮廷に名を連ねた身ではあったが、この脳に詰まったものなど欺瞞の種でしかないことを深く自覚してしまったいま、それすら汚名であると考えるに至ったのである。そう、全ては『彼女』を知ったことに始まる。貴殿らが魔女と呼ぶ、穢れた少女に。

 ここで我が何を説こうとも理解も共感も得られぬことは解しているゆえ、簡潔に述べよう。

 我は、魔女の味方である。

 哀れな娘の崇高なる復讐を叶えるため、知恵の実を分け与えよう。けれど、そう、我は〝何もしない〟のである。全ては彼女がその手で行う。この災厄のちからは、いまは我の体内で眠らせておこうということだ。

 だが。

 異邦の災厄たる『魔女の果実』を従え、いまや宮廷術士たちの誰よりも高みに座す我の望みは、唯ひとつ。

 更なるちからを――と。

 ゆえに望もう。欺瞞と驕りに満ちた(つるぎ)で魔女を狩る、彼の竜神の従僕――剣姫フィヨルニル、彼女を我の元へ。その魂を我の肉体へ。冷徹なる炎踏の女でもってして、我の欲を満たすのだ。しかし、勘違いはしないでほしい。これは可愛らしいお願いなどではない、厳粛なる命令である。それが叶わぬのであれば、我は己の得た新しき刃を降り下ろすことを躊躇わないであろう。

 さあ、選んでおくれ。

 我はどちらでも構わぬ。

 審判の日まで、ここから貴殿らの足掻くさまを眺めたく思う。

 アレクサンデル=ボーストレーム』


 書簡の文面――ベネディクトが再三の鑑定を任された現物のそれを、シグが音読させられた内容だ――に、笑みが溢れる。とびきり、獰猛なものが。

 胸を押さえる。鼓動が手のひらを震わせる。

 この魂に触れていいのは、主さまだけ。

 それを犯そうというのだ、相応の覚悟はできているのだろう。いや、できていないとしても知ったことではない。自分がなにに手を出さんとしているのか、身をもって教えてやらねば。

 穏やかではないわたしの意思を察知されたわけではないのだろうけれど、そこで、唐突にシグの声色が変わった。だらしのない上司に対するそれでなく、咎を責め立てるようなものに。どうしたのかと目を向ければ、罪状を突きつける緊張に、その身が固くなっている。


「あれは、どういうつもりですか」


 シグはヒルドールヴの返答を待つことなく言い募る。


「隊長はご存知だったのですよね。魔女のことも、怪物となった元宮廷術士の存在も、知っていて、副隊長や私にあの任を命じたのですか? 多くの事柄を隠し、悪戯に時間を浪費させ、助けられた可能性のある民を見殺しにして……その上、奴の言に応じて同胞たる彼女を差し出すと? そんなこと、許されていいはずがない!」


 とても、シグらしい言の葉だと思った。

 わたしを憎めもしないクラエスならば、こんなときにどうするのか考える。けれど、あの迷子になった子供のような瞳を揺らすのだろうと、すぐに思い当たった。魂を揺らせない代わりに、目を。けれど、シグが震わせていたのはその声と身体だ。シグは憎悪も嫌悪も、見えなくしようとすれば隠してしまえるかもしれないのに、あえてあからさまに表現していた。それが魂を穢さないための自己防衛であるかの如く。

 けれど。

 わたしにはわかっていた。

 ヒルドールヴがどうするかくらい。

 すこしばかりの同情心を込め、シグを眺める。

 くつ、と。獣の喉が鳴る。ヒルドールヴの(くれない)の双眸には、なにも浮かんでいない。そのことに、そのあっけらかんとした表情に、シグが愕然とする気配があった。


「シグ。お前、俺がそんなに無能とでも思ってんのか、ああ? 知ってるに決まってんだろ、そんなこと」

「で、では、知っていて、あんな」

「お前なあ、俺は戦場の獣(ヒルドールヴ)だぜ? 俺は俺のやりたいように動く。国の矛でもなけりゃ、実質、盾でもないこの俺が、騎士の座にどうして座ってるかお前も聞いたことくれえあんだろ。これはただの契約だ。国如きのために、俺を曲げるなんざ御免だぜ」

「ヒルドールヴ」


 堪らなくなって、口を挟んだ。加虐趣味になんて付き合ってはいられない。シグを打ちのめして遊ぶのは、別にいまでなくともいいはずだ。わたしの睥睨の意を察し、ヒルドールヴは肩を竦めた。置いてきぼりを食らったシグだけが、感情の坩堝で瞬きを繰り返している。

 仕方ないといった風に、ヒルドールヴは微かに覗かせた獣の牙を仕舞う。


「いいか、シグ。あの陰気野郎がとんでもねえちからを手にしたとすれば、次に何をしたがるかは容易に想像がつく。『お披露目』だ、己の得たものを見せびらかしたいがゆえのな。そうなると、どうだ? 城下で広がる呪いなんぞ子供の遊戯に等しい。どちらをも従えるというのは、そういうことだ。つまりなあ、上はこう判断したわけだ。『刺激するな、傍観者と名乗るなら名乗らせておけ。奴の要求を呑んだふりをして、驕り切った怪物の首を狩るまでは』ってな。すべてが魔女の仕業であるとわかっていて公表されていないのも、そのせいだ。奴を油断させ、懐に猛毒の剣を差し込むために」

「彼女を怪物の生贄にするつもりはない、ということですか?」

「シグ、お前なあ。俺の同胞が怪物なんぞに食われるわけがねえだろ」


 従順に要求に応じるふりをして、仕留める。実に単純かつ明快な計画だ。

 そしてその剣が、わたし。そういうこと。まったく、この男。クラエスにはわたしへの呼び出しを『目くらまし』と言わせたくせに、それどころではなかった。わたしが必須だったのだ。同情心などありはしないくせに、と思っていたが案の定だ。呆れているわたしの方を向いて、ヒルドールヴは再び牙をちらつかせる。


「魔女は城下で息を潜めている。隠れもせず宗教団体の教祖《黒薔薇の教祖(ササルゥナ)》を名乗る目的は不明。だがまあ、関係ねえよな俺らには。やることはひとつしかない」

「うん。魔女を主さまの元へ」

「そのためには、怪物気取りのペテン師は邪魔だ。なあ、ヨル。お前も、あんな薄っぺらい野郎に侮られるなんて御免だろ? 生っ白い喉笛を喰い千切ってやりたくねえか?」


 それは獣の性だ。

 反論しないわたしも同類だろうけれど。


「そのための舞台は整ってるぜ。かたちだけだが、な。概ね、お前が生贄となるのは決まった。文字通り『差し出す』つもりの野郎もいるが、まあ、そいつらはどうでもいい。眼中にない。お前の実力で黙らせられる。問題は奇策を出すわけでもなく、ただ作戦の要が竜神の従僕であることに反感を持っているがゆえに反発してやがる宮廷術士共だ。そいつらのせいで、作戦が進みゃしねえ」

「では、対応が後手に回っていたのは……!」

「反対派がどうあっても頷かねえからな」


 シグは拳を握った。ヒルドールヴはそれを面白そうに眺めている。

 なるほど、と思う。わたしを生贄にでもなんでもしてしまおうと決めたわりには、対応が遅いわけだ。

 呪いが蔓延って、既に二月。ヒルドールヴにとっては我慢の限界だったのだろう。魔女がいるとわかっていて狩れないとは、なんとも腹立たしい状況である。こうやってわたしを呼びつけ、作戦を押し通してしまおうという腹積もりか。そう簡単に宮廷術士が折れるとは思わないが、停滞したままよりはましだ。それでも無駄に時間を費やさせられるようなことになれば、こちらも勝手にさせてもらうけれど。極論、わたしたちは魔女にしか興味はないのだ。怪物など、どうでもいい。わたしが気に食わないのならば、自分たちで処分なりすればいいだけのこと。嫉みだのなんだの、ほんとうに厄介なひとたちだ。

 ひとつ、嘆息する。ヒルドールヴもこちらの考えをわかってか、ちいさく肩を竦めた。


「組織というのは、柵ばかりだね」

「あー、お前にゃ向かねえのは確かだな」

「ヒルドールヴにも適しているようには思えないけれど」

「そうかあ? これでもかつては、群れで狩りをしていたからな。お前よりは上手くやれる」


 ああそうか。獣ならば群れでの狩りも行うか。納得したわたしに、ヒルドールヴはとんでもないことを言い出した。


「でだ、ヨル。反対派は(エット)(フューラ)(セクス)(フュー)(オッタ)の宮廷術士だ。お前、このなかの誰か丸め込んでこい。次の議会で反対を撤回するように。ひとり寝返りゃ押し切れるだろ」

「……本気で言っているの?」

「は? 当たり前だろ」


 そんなに偉そうに言われても。明らかに面倒だ、やりたくない。

 渋るわたしに助け舟を出したのは、現状に打ちのめされていたシグだった。


「隊長。誰かひとりでも反対を撤回すれば、すぐさま討伐に乗り出すことができるのですよね?」

「そうなるよう、クラエスを走り回らせてるしな」

「わかりました。必ず頷かせられるよう、尽力は惜しみません」


 助けるどころか泥舟だった。

 シグをまんまと策略に嵌めたヒルドールヴに、非難の眼差しを送る。シグが食いついてくるとわかっていて、この話運びにしたに違いない。……いやな男だ、我が同胞ながら。

 諦めというか、もうどうにもならない気持ちで額を押さえる。そんなわたしに、止めのひと刺し。


「因みに次の議会――明日だからな?」


 脳裏を過った、ひと雫。

 追い込んで追い込んで、最後に仕留める。それもまた、獣の性だと。

 ほんとうに、この男は――正真正銘の、獣である。

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