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02

 

 騎士とは即ち、ルアシヴィルの盾。

 彼らは、一視同仁、謹厳実直、剛毅果断――つまるところ、こう在るべき、という指針となる気質が求められる。騎士となった男児は、禁欲的(ストイック)な生きざまを周囲から強要されると述べても過言ではない。しかし、それは表向きのことでもある。もっと突き詰めれば、表立って騎士であれと定められた、ごく一部のものたちがそうである、否、そうであると見せているだけだ。地位も富も持つ彼らが、汚れたものを知らない清廉な身であろうはずもない。

 世にはひとを堕落させるものなど腐るほどある。

 酒、賭博、女――まあ、なんだって同じこと。得たものが身に過ぎれば、簡単に道を踏み外すのが人間だ。武に秀でたところで、本質は変われない。魂はなにより正直である。

 そう。

 目は、雄弁に己を語る。

 繕いには、綻びがつきものだ。

 ぼんやりと思考しているうちに、赤く染まった水が透明なそれに変わっていた。わたしは古めかしい仕様のコックを捻り、降り注いでいた水を止める。髪を絞り、軽く身体を拭う。水分を含み重くなったような裸体を引き摺り、戸を開けた。踏み込んだ部屋の絨毯に落ちてゆく大粒の水滴が、じわりと広がり染みになった。絨毯の赤の濃度が、血色へと変わる。何処へ行っても、わたしには血が纏わりつくらしい。これには、望むところだと言うほかないが。


「ヨル、おまッ、服!」

「うん。取って」

「お前に羞恥心はないのか、羞恥心は」


 驚愕に目を開き、動揺を露わにしていたシグの声が平常のものに戻った。

 女中(メイド)が用意したらしい衣服を取り上げ、目線を何処かにやったままこちらに差し出す。受け取り、広げてみた。シャツと七分丈のズボンという常の簡素な格好でなく、白地にレースのあしらわれたワンピースであることに心底辟易する。この衣装、だれが選んだ。淑女の慎みゆえか、首筋が上手く隠れるデザインであることだけが救いだ。仕方なしに、湿った身体に纏ってゆく。しかし、どうあっても自分で留められない背の(ボタン)に、世のお嬢さんはこの衣服を如何にして着るのか、と疑念が湧き上がる。

 嘆息をひとつ。続いて、シグ、と呼びかけただけなのに、明後日の方向を睨んでいた彼は大袈裟に身体を跳ねさせた。

「釦、留めて」シグの目が泳ぐ。上の歯が唇を噛んだ。「あのな、ヨル。……俺は男だ」

 なにをわかり切ったことを。どう見ても、シグは男だ。いくらわたしにひとの美醜が解せぬとも、雄雌の判別くらい当然つく。馬鹿にされているのか。しかし、それにしてははっきりしない態度だ。

 と、そこで理解した。ひとつ頷く。


「心配しなくても、男に肌を見られて悲鳴を上げたり、責任を取れと婚姻を迫るような淑女の教育は受けていない」

「違わねえけど、違う! 俺はつまり、危機感の問題をだな」

「危機感? ああ、性的な暴行を受ける可能性を考えろということ?」

「女がそんなこと明け透けに言うな」

「別に、その心配の必要はないでしょう。いま、ここにはわたしとシグしかいない」

「まあ、そうだけど……。つーか、信頼を裏切るようで悪いが俺は即物的な質だ」

「信頼というか、まあ、シグなら素手でも倒せると思って」

「バカ! 地味に傷つくことを言うな!」


 そうシグが声を荒げた頃には、繊細な釦は既に留め終っていた。わたしは片手で上げていた髪を下ろす。べっとりと皮膚に張りつく感触が好ましくない。真新しい服に雫の垂れるさまが気に入らないのか、シグが文句を言いつつ髪を拭いてくれる。この男、存外甲斐甲斐しい質である。こちらとしては楽なので、息を潜めされるがままにしておく。

 シグは既にさきの会話など頭にないのか、お前は母親かと問いたくなるような小言ばかりが右から左へ流れてゆく。上流階級の子息は女の経験が早いと聞くし、この男がわたしに劣情を催すことはないに違いない。いまのは、彼なりの気遣いだろう。ひとの規律から外れた存在である竜神の従僕は、城に仕える輩に好かれているわけでは、決してない。彼らの視線には、嫌悪や畏怖、上手く利用してやらんという姦計に塗れている。無防備に柔腹でも見せたが最後、瞬く間に引き裂かれ腸を食まれることは想像に難くない。

 どいつもこいつも、いっそ清々しいまでに禁欲的(ストイック)とはほど遠い。

 民が彼らに見ているのは幻想なのだと、いったいどれほどの人間が気づいているのだろう。


「ほら。せっかく綺麗な髪してんだから、雑に扱うなよ」

「うん」

「お前、返事だけは素直っつーか……」


 この髪と目は、主さまと同じ彩だ。大切にしないわけがない。

 うろんげにこちらを見下ろしていたシグは、仕方ない、といった風に肩を落とした。彼の視線が室内へ向く。わたしも釣られて目を巡らす。


「それにしても、ここ。うちの宿舎とは豪い違いだな」

「術士は存在自体が希少だから」

「まあ、こっちは兵士まで考えりゃ腐るほどいるしな。宮廷術士はいま……九人だっけか?」

「騎士団の構成と呼応した人数しか置いていないらしいから、そうだと思う」


 九の国の至宝こそ、宮廷術士。ルアシヴィルの矛。

 それに対なすルアシヴィルの騎士団構成は、かなり単純だ。

 九の隊と、九の隊長・副隊長、各隊に振り分けられた騎士たち。彼らを取り仕切るその頂点に、鋼鉄の総帥が座している。民たちへのパフォーマンス用の騎士は、九のうち(エット)を冠する。民からしてみれば、彼らの隊こそが騎士という見本である。それゆえ見目がよく、誠実――愚直に言えばフェミニストどもだ――であり、それなりに見れる実力の伴うものが配属される。或いは、胸中はどうあれ誠実に振る舞えるもの、だ。シグを見ている限り、エットでも通用したのではないかと思うが、素がこれではあの雁字搦めは生き辛かろう。だからといって、ヒルドールヴの率いる隊が生きやすいわけではない。死が常に隣で嗤うのが、我が同胞の生き甲斐であるのだから。

 ベルトを回し、剣を差す。外套を羽織った。

 やけに白い装いになってしまったが、まあいい。

 横目でシグの脇腹を窺う。脈動は、さきと比べれば凪いでいる。身贔屓でもなんでもなくハーヴィの治癒には劣るけれど、出来はいい方だろう。さすが医療隊――(セクス)の宮廷術士が管理する、治癒の術式に特化した小規模編成の部隊だ――に名を連ねるだけはある。気軽に貸し出してもらえたので、すこし驚いたが。以前城へ訪れた際には、命令でもないのに騎士を治療するだなんて、といった態度だった。確執が薄まったのかなんなのか。よい方に転んだというのなら、どうでもいいことではあるけれど。


「そういや、ヨル。お前なんで宮廷術士と面識あんの。ベネディクト=アールクヴィストつったら、かなりの出不精で議会にすら出ねえって聞くけど」

「うん。昔ちょっと」

「意味深だな」

「本気で殺しかけたのが縁で」

「嫌な縁だな! つーか何でそれでまだ交流あるんだ、お前ら」


 ベネディクト=アールクヴィスト。九のうち(トレ)を冠する、ルアシヴィルの至宝のひとつ。ただ、宮廷術士としては大幅に逸脱した存在ではあるが、その分、術士としての実力は高い。まあ、そうでなければとうに解職だ。

 血を落とすためだけに借りていた宿舎の一室から出、戸口に立つ兵士を見やる。管轄は騎士団だが、九人しかいない宮廷術士たちの護衛や警備にも当然駆り出されるのである。実際はただの使いっ走りだ。宮廷術士ともあろうものに、護衛など笑止。彼らが揃って偏屈ばかりあるがゆえ、城に仕えるような身分のお嬢さんでは手に負えないだけだ。


「こちらへ。アールクヴィストさまは自室にて赤の剣姫さまをお待ちでございます」


 こちらを認めた瞬間に告げ、兵士は先導のため歩を進める。

 特殊な塗料で描かれた簡易転移陣――近距離のテレポータである――を踏むと、天井まであろうかという観音開きの扉に出迎えられる。室内まで付き添うつもりはないようで、兵士は再び戸口で待機の体勢を取った。わたしが伸ばした腕を留め、シグが戸を静かに開ける。

 くふ、と含むような笑い声。

 それは何処か沈鬱で、そして仄暗い雰囲気を纏っている。彼を認めたであろうシグの横顔に、固い緊張が走ったのを感じる。それは恐れに近い、けれど不明瞭ななにか。石のように踏み込まないシグの脇を抜け、目的の人物と邂逅する。


「相も変わらず、血の匂いを纏うねえ。君は」


 第一声が、それか。

 こちらの呆れに気づいたのか、恐ろしく血色の悪い唇が皮肉げに吊り上がった。

 枯れ枝の如き痩身が、生気なくソファーに座していた。うっそりと垂れた髪の下からこちらを覗く双眸は、奇怪な色をしている。

 瞬きのうちに青からピンク、ピンクから青と移り変わってゆくのは、彼が有す偉大なる財宝――尖晶石(スピネル)の眼だ。いつ見ても、俊邁たるコバルトブルーから鮮やかなピンクへの変化は、称賛に値するほどに美しい。わたしは既知の男に、小さく肩を竦めて応じた。

 流血がわたしと主さまを繋ぐのだから、仕方ないことだと。

 彼も、しかしそれが当たり前の事象であるなと薄っすら微笑んだ。数度の瞬きののちに青に固定された瞳が、愉快げにこちらを眺めている。視認はできない呪いの紋様を透かし見ているのだろう。予想通り、彼の口はそれについて言及する。


「それにしても、何だいその首輪は。どろりと濁って、そう、泥水のようだ。透明な君にはたいそう似合わないねえ。くふふ、そんな悪趣味なもの、君の愛する竜神の美学に反する設えではないかい? ああ、けれど。やはりいいね。君のその、(こん)の眼差し。燦然と煌めく両の霰石(アラゴナイト)が何とも美しい」

「相変わらず多弁なひとだ」

「おや。そう可憐な唇を尖らせずともわかっているとも、麗しき(つるぎ)殿。君のすべては気高き竜神のもの。くふ、くふふ。ひとのものほど食指が働くものはないけれどね。横から掠め取って私のものにしてしまいたくなるくらいに、君は、余すところなく彼の竜神のものだ。くふ、ならば不快なのではないのかい、その黒の刻印は」

「わかり切ったことを」

「そうとも、わかり切っている! 君はいま、不快で不快で堪らない! 彼の竜神以外を受け入れない身体を犯された! その涼しい顔の下でいったいどんな憎悪が渦巻いているのか……ああ、いいねえ。素敵だよ、ゾクゾクするねえ」

「ああ、そう。そんなことよりも本題に入りたいのだけれど」


 手を翳し、囀ずる口に待ったをかける。

 この男、放って置けば気持ちの悪いことを延々と語るのだから、質が悪い。

 ひょいと肩を竦め、瞳と同じ色合いの爪が空を横切る。術式が展開、収束。乞われるままに差し出したわたしの手のなかに、ころん、と小瓶が転がり落ちた。透明な器を満たす、あかい、液体。温度を失っているはずなのに、生温かさを感じさせる。


「血か」

「ご名答。君が寄越した屍体から回収した術式の痕跡、とも言えるけれど」

「これはクラエスが?」

「そう。真面目くさった顔でね、君から頼まれたと。それはもう、他からの依頼を差し置いて調べておいたよ、剣殿」


 折り畳みベアトリスに積んだままであった屍体。わたしに呪いを施した操り人形。クラエスならば言わずとも働くと思っていたので、驚きはない。

 けれど、続けられた言葉には反応せざるを得なかった。


「くふ、薔薇に混じって、魔女の気配が香るねえ」

「……ベネディクト。今回の件は『魔女であるか確定していない』のでは?」

「おや。これはこれは。失言だった」


 嘘吐きめ。わたしの機嫌が急降下したことを敏く拾って、ベネディクトは大仰に両手を広げた。


「仕方がないじゃあないか、騎士どもではその判断で精一杯なのだから。宮廷術士(わたし)たちにしてみれば、こんなにも明瞭な魔女の痕跡が見えない方が異様だけれど、ねえ」


 後方でシグがぐっと唸る。お前たちは無能だと言われているようなものだ、当然の反応だろう。

 ベネディクトの異質な気配に気圧されていた彼だが、既にその瞳に恐れはない。踏み出そうとしたシグを目で制した。雄々しいのはいいことだが、この男の口上に付き合っていては日が暮れる。軌道修正を図る必要が出てきたのだから、なおさらその暇はない。

 弧を描く青の瞳の真意を探りつつ、勧められた対面のソファーへ腰を下ろす。


「それは、わたしの同胞であるヒルドールヴの所属を理解した上での『失言』と?」

「イエスと答えたなら、君は私のもてなしを受けてくれるのだろうね?」

「おかしなものが入っていないのならば。シグ、こちらへ」

「おや? それはクラエス=ブラントの後釜かい。くふ、剣殿も手が早い。若いうちから君仕様に育てておこうとでもいうのかい、くふふ」

「――ッ、てめえ!」


 淀みない侮蔑に、とうとうシグが飛び出した。腹の傷も痛まないゆえか軽やかだ。ベネディクトの襟首を掴み上げる。すんなりとソファーから浮く体躯。ひどい猫背でわかり難いが、彼はシグよりも頭ひとつ背が高い。けれど、はじめから勝者は決まっている。否、そもそも、勝負が始まることすらない。事態を把握し、さっと青ざめたベネディクトが慌ててこちらを見た。


「君、見ていないで止めてくれないかっ」

「え」

「そんなに意外そうに瞬くことかい!? 一度目は止めてくれたじゃあないか!」

「うん、どうもそれで調子に乗ったようだから。止めないでおけば静かになるかと」

「自慢じゃあないが頬を張られただけでも私は気絶する。何故なら、私が弱いからだ。一例を挙げるならば、私の筋肉量は幼女のそれと大差ない。無論、受け身も取れないね。わかるかい、暴力耐性がマイナスに振り切れているのだよ。専門である術式の解読以外においてはほぼ無能だ。その私を殴ることは、つまり、情報を得る気がないのと同じことだと進言したい」


 シグに「離してあげて」と告げる手間が省けるくらいに、ベネディクトは情けなかった。いつものことだが。

 管轄は相対しているが、腐っても地位は遥かに上だ。怒りに任せた己の無礼な振る舞い、加えて、相手がこの口先だけの宮廷術士ということ。殴る意味を見出せなくなったのか、シグの腕が離れる。こちらへ向けられた碧眼には非難の色があったが、わたしの知ったことではない。手で隣に座るよう促す。むっつりと唇を引き結んでいるものの、従うあたりが素直だ。反省の意を見せず肩を竦めるベネディクトも、素直といえばそうなのだろう。

 しかし、これでようやく魔女の件に触れられる。わたしは手のひらの小瓶を投げ返す。ベネディクトはそれを取り落し、丁寧に扱ってほしいものだよ、と指の一振りで絨毯の上から消してみせた。取り出したときと同じ術式だろうが、せいぜい、ハーヴィも同様のものを使えたな、と鑑みるくらいである。己の弁通り、攻撃に特化した術式などひとつも操れない、宮廷術士で唯一護衛を必要とするようなタイプだ。こちらとしても警戒レベルを下げられるだけ楽だが、まだるっこしい態度には苛立ちを覚えることもすくなくない。

 つまるところ、総じて面倒な男なのである。


「ベネディクト。魔女はいまどこに?」

「せっかちなお嬢さんだね、まったく……。拠点を訊けばすぐにでも向かいそうな勢いではないかい」

「そのつもりだけれど」

「剣殿、君のその恐ろしいまでの直向さは美点ではあるけれど、ねえ。今回はそれでは回らない。あの銀の獣殿が君を呼び寄せた意味がない」

「そう。やはり、裏があったか。また、ヒルドールヴが面倒を?」

「くふ、まるで獣殿の保護者のような口振り――ああ、いや。わかっているとも。剣殿は脱線はお好みではなかったね。そう、君は知っているかい? 我が九の宮廷術士の大規模な入れ替えがあったことを」 


 そういえば、すこし前にフロプトから聞いていたことを思い出す。入れ替わりがこうも重なったのは久しぶりだ、と。宮廷術士の内情に興味もないので聞き流していたが、三月ほど前のことだったか。高齢のため職務を全うできなくなり座を辞したもの、さきの争いでの負傷が癒えず一線を退くことを余儀なくされたもの、そして最後のひとりが――


「挿げ替えられた座は三つ、(フェム)(フュー)(オッタ)――うち、フューの宮廷術士は呪術系統専門の知識人だった。書庫に籠って術式の論理を考察するような引きこもり、こほん、まあ私と同系統の人間だね。とは言え、私と違って、有事の際には前線に出れるだけの腕も持ち合わせた人ではあったけれど。その彼が知識欲を満たしたいがために『魔女の果実』に手を出した。当然、それは術士としてのタブーに触れている。解雇されるのは必至。嘗ての地位に縋ろうが何だろうが、投獄は免れない。ここまでならば、ただの狂人の誕生で終わっていたのだろうけれど、ねえ。彼は、見つけてしまったのだよ。本物の魔女を、ね」


 そう、禁忌を犯したがゆえ。

 仔細について問うていなかったが、そうか。穢れたる『魔女の果実』に焦がれた男が魔女を見つけた。ならばもう、答えはひとつしかない。


「魅入られた、か」

「そう。たぶん、そうなのだろうね。彼が投獄される前に姿をくらませてから、一月ほどで例の『徒花(リンネバーリ)の呪』が城下へばら撒かれた。いまやその勢いは城下に留まらぬほど。呪いにより発狂して自害した遺体からは、私たちでは持ちえない『魔女の果実』の痕跡が色濃く残っていたよ」

「つまり、自分たちの恥を晒したくないがゆえに我々への情報開示をせず、二月も民たちの間で恐ろしい呪いを跋扈させているという解釈でよろしいのでしょうか」


 はっとするほどに低い声が隣から放たれる。騎士らしく畏まっているが、穏やかさなど微塵もない。細められた碧眼が、燃え滾るように、暗い。

 ベネディクトはしかし、なんの逡巡なく頷いた。シグのさまに恐れをなしたわけではない、これはこういう男だ。ひとの感情にとことん鈍い。わたしが言えたことではないけれど。


「そう、保身がなかったわけではないだろうね。過去といえど同列にあったものが犯した過ちは、我々にも多少なりとも跳ね返る。けれど、肝心なのはそこではないのだよ。言っているだろう、『魔女の果実』だ。彼が、宮廷術士に据えられるほどのちからを有する男が、禁忌を手に入れた。ねえ、君、騎士くん。そこで、本来ならば何が起こるだろうね」

「質問の意図を理解し兼ねます。本来ならば? 呪いが国を侵しているという事実以外に何があると?」

「これだから、頭を使わない連中は……いいかい、騎士くん。魔女狩りという行為が竜神の従僕だけでなく我々にも為せるのは、相手が魔女だからだ。正当なる『魔女の果実』の支配者であるがゆえ。突き詰めれば、魔女が『魔女の果実』以外の術式を用いることが不可能であるからに他ならない。それはつまり、ことわりの外にいるのと同じこと。この世界が、彼女らに決して味方をしないということだ。わかるかい、君。我らと同等の術式を有し、さらに『魔女の果実』を従えるという、その怪物に対する恐怖が! ことわりを孕む異端など、存在してはいけないというのに! あろうことかフューの元宮廷術士殿は、その怪物と化したのだよ!」


 シグの瞳の剣呑さが霞む。

 けれど、彼は完全に怯んだわけではなかった。


「怪物に成り下がったからといって、いえ、だからこそ! 討たねばならないのではないですか! その怪物がこれ以上呪いを我が国に侵食させる前に、それこそ、騎士団と宮廷術士が連携してでも――」

「そうか」


 唐突に口を挟んだわたしに、シグの訝しげな視線が突き刺さる。

 ああ、けれど。黙っていられなかったのだ。ようやっと、合点がいったゆえに。ずっと、おかしいとは思っていた。今回の件は、どうにも噛み合わないことだらけだと。

 ふたりの系譜も質も異なる青の眼が、わたしを見て同じ色を浮かべていた。

 驚きと、それとわからないほどに微かな――脅え。

 姦計の糸が見えてきた途端、わたしは己の唇が、ただただ、好戦的に吊り上がるのを自覚する。


「その、フューの元宮廷術士とやらは、まだ〝なにもしていない〟のか」


 なんとも、ふざけた怪物だ。

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