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03

 

 いやな、気配だ。

 覗かれている、のか。

 眼が、ずっと追ってきているような感覚だった。

 眼前をゆく(ブラウン)の髪色。纏う団服の濃灰の装いが、ゆらゆらとけぶる。クラエス=ブラント、主さまの従僕のひとりであるヒルドールヴの懐刀。その位置に据え置くには、あまりに実直な青年。ヒルドールヴが選ぶだけのなにかを持ち得ているであろう彼は、そう、たぶん〝引き寄せやすい〟体質なのだ。

 それは禍。あるいは穢れ。そして――


「シグリット」

「副隊長、お疲れさまです」


 さきゆくクラエスが、だれかに声をかけた。クラエスのそれと同様の服に身を包んでいることから、彼が例の駐屯兵だろう。童顔長躯のクラエスより上背はないが、顔立ちは大人びている。けれど、まだ骨格が少年のそれなのでクラエスよりも年下と見た。彼はこちらに駆けてくるなり、直立不動の体勢を取った。 


「処理は滞りなく」

「シグ、助かった」

「いえ。……副隊長、そちらが?」

「ああ、そうだ。挨拶を」


 駐屯兵が、クラエスを越してこちらへ歩み寄った。型通りの一礼のち、唇に作りものじみたかたちのよい笑みを乗せる。


「自分はヒルドールヴ隊長、並びにクラエス=ブラント副隊長の下で働いております、シグリット=フォーゲルクロウと申します。お目にかかれて光栄です、赤の剣姫フィヨルニル殿。貴女さまのお噂は予々(かねがね)。自分はヒルドールヴ隊長率いる騎士隊に配属されて日の浅い若輩者ですが、恥ずかしながら赤の剣姫たる貴女さまのファンでして。以後、お見知り置き頂けると幸いです」

「あー、シグ、そこまで」

「はい」


 滔々と吐き出される言葉たちにじりじりと後退りするわたしを見兼ねてか、クラエスがシグリット=フォーゲルクロウを留めた。熱のない多弁は、大人しく引き下がる。混じり気のない生粋のルアシヴィルの民なのだろう、目を奪われるほど鮮やかな金髪碧眼がそこにあった。ただ、その目にクラエスのような影はない。ふうん、と思う。別に、よいも悪いもないけれど。これとクラエスは、どちらが正しく騎士であり得るのだろう。

 まあ、わたしには関係がないことか。

 駐屯兵が再びこちらに頭を下げる。所作が美しい。上流階級の出か。ならばたしなみとしての剣は身につけていることは間違いないが、果たして実践的なもであるかに不安が残る。

 と、そこでフォーゲルクロウの名に覚えがあることに行き当たる。青ざめた。まさか、こんなところで。げんなりしながら、礼儀として問う。


「あなた、フレドリック=フォーゲルクロウのご子息か」

「はい」

「……うわあ」


 引いた、どん引いた。

 騎士たるフレドリック=フォーゲルクロウは、ヒルドールヴと同じくひとつの騎士隊を率いる隊長である。岩石のような強靭なる肉体に、さもお似合いな戦斧(バトルアックス)を振り回す、歩く武装兵器だ。非常に好戦的な性格ゆえヒルドールヴと気が合うのか、まだヒルドールヴの下に兵が揃っていなかった頃、自ら魔女狩りに同行を申し出た強者だ。実力は見目通りのため、ヒルドールヴは快諾し、ほかの案件で城下にいたわたしも召集された。

 けれど、わたしを見るなりフレドリック=フォーゲルクロウは怒声を上げた。

「女に剣が握れるものか!」と。

 腹を抱えて笑うほどおもしろがったヒルドールヴにより、わたしはフレドリック=フォーゲルクロウと一戦を交える破目に。つまり、戦場に出向きたくば私を倒してみろ、と。そういう展開となったのだ。この辺りで、既にわたしは飽き飽きしていた。

 実直にいうと、うんざりしていた。

 魔女を主さまに捧げるのに、だれの許可もない。

 独断で斬り込もうかとも考えたが、ヒルドールヴに見破られ、強制的に戦わさせられた。結果、ひと悶着あって、わたしの勝利に終わる。否、それでは終わらなかった。あろうことかあの男、わたしに稽古をつけてほしいと言い出した。全力で断ると、それすらやつの闘争心に火をつけたのか、城に出向く度に追いかけ回されるようになったのである。ヒルドールヴは酒の肴に愉しむのみで止めてもくれない。規格外の熱烈なアプローチをいまなお受けている身としては、その息子にファンだのと言われたところで危機感しか感じられない。

 いやな親子だ、ほんとうに。

 種は違えど、ちりちりと焼けつく視線が増したことも、わたしの気分を重くする。


「クラエス」

「いや、その、何だ、悪い」

「うん。まあ、クラエスのせいではないよ」

「シグはフレドリック殿にはあまり似てないから大丈夫だと思うぞ。こう、何にでも淡白な質だし」

「……ふうん」


 そうは言っても。

 まあ、貼りつけた微笑の下から見え隠れしているゆきさきの解せぬ激情を、こちらへ回してくることがなければいいのだけれど。殺気以外の気配には疎いのだろう、クラエスはいつも通りだ。肩を竦める。優秀だけれど、危ういひとだなあ。

「ベアトリス」いちばんそれを感じられるであろう、彼女に囁く。「クラエスから離れないように、ちゃんと気配を拾っているんだよ。わかるでしょう?」

 ほら、また。「だれも彼も、こっちを見ている」

 呪いひとつでは飽き足りないらしいから。


 小屋。この場所を表現するに最も相応しいのはそれだ。

 十ほどの民家を抜け、森を両断する煉瓦の道の脇にあったここは、駐屯兵であるシグリット=フォーゲルクロウが寝泊まりに使用しているらしい。簡素な寝台と古びた角灯(ランタン)、その傍に大きめのザックが転がっていた。埃っぽさはないが粗悪な造りのため、隙間風が口笛の如く鳴り続けている。良家のお坊ちゃんが生活できるとは思えない環境だが、その彼からはなに食わぬ顔で丸太椅子を勧められる。座ると、外からベアトリスの鳴き声と足音がした。クラエスは彼女を繋がない。逃げたりしないからだ。その自由の身でこちらが警戒し難い場を見回ってくれているようだ。頼もしい子である。

 さて、とクラエス。

 その前に、とわたし。

 話の腰を折られたというのに、クラエスは心配そうにこちらを見る。

 すこし切り出し難さを感じてしまったが、もはや放置しておけない問題のため、続ける。


「説明してほしい。何故、嘘を吐いた?」

「――ッ」

「言い回しの問題や、黙っていただけといえばそれまでのことかもしれないけれど、クラエス。わたしは、嘘は嫌いだ。隠すなら上手くやれ、できないなら吐け。すべて」


 クラエスが返答に詰まる。こちらとしては、無茶な要求をしているつもりはない。

 わたしに開示するつもりがないのなら、はじめから見えないようにしておいてほしいと言いたいだけだ。見てしまったら、暴きたくなる。それが主さまに関連する事柄か否かは、開いてみないとわからないがゆえに。


「副隊長、ここはもう、話してしまっておいた方が得策かと」

「シグ、お前」

「フィヨルニル殿も一度疑いを持ってしまった相手と組むなんて嫌でしょうし、このままなあなあにして、いざというときに軋みが出たりしたら最悪ですよ。洗いざらいぶちまけて、協力して頂きましょう」

「……そう、だな。お前の言う通りだよ。悪かった、ヨル」

「うん」

「何処で嘘を吐かれていると思った?」

「ここへ立ち入ったとき、民は数十ほどだけれど駐屯兵が置かれていると言ったでしょう。そのときはクラエスがこの土地に詳しいということしか感じなかったけれど、ここが享楽で作られた集落と聞いておかしいと思った。街でもない、ただの私有地に駐屯兵は置かない。王都の(まつりごと)なんて知らないけれど、それくらいはわかる。その駐屯兵がクラエスの部下というのだもの、だからあなたが意図的にここへ置いた兵であると考えた。違う?」


 沈黙は肯定であろう。

 それから、とわたしは続ける。


「あの男――領主を名乗っていたひとが言っていた。ここを作ったのは自身の祖父で、騎士たるクラエス=ブラントの手前、ここに住まうひとたちを追い出すわけにも行かない、と。ねえ、クラエス。あなた、ここの出でしょう。だから、まっすぐ城へ行かなかった。ここへ降りたのは――あなたの同郷のだれかが、なにか≪黒薔薇の教祖(ササルゥナ)≫について知っているということ?」

「……ほぼ、ご明察。俺、隠しごとの才能ないのかな」

「うん。向いてないから、やめた方がいいよ」

「はっきり言うなあ、ヨル」


 苦笑し、クラエスは「多少訂正していいか」と言った。頷く。ベアトリスは鳴かない。

 ――そもそも≪黒薔薇の教祖(ササルゥナ)≫は王都で誕生したわけではない。国内の何処かで組織を結成した教祖が、己の教徒を連れて王都へと踏み入ったのだ。その過程で通過したルートが、ここ。クラエスの故郷の名もなき集落だった。それにいち早く気づけたのが、ヒルドールヴの命で動向を探っていたクラエスだ。当然驚愕しただろう。そして恐怖だ。だれかが呪いを受ける、あるいは≪黒薔薇の教祖(ササルゥナ)≫と呼ばれるそれに加担したかもしれない、と。これを宮廷述士たちに知られれば全員が疑われ兼ねない。ヒルドールヴに許可を得たのち――ただ、これが納得いかない、あれは同情的な感情とは無縁の男だ――部下を駐屯兵として配置。内部を探るという作戦を決行した。無論、内密に。結果、呪いをかけられた者はいなかったが、あちらと通じている可能性がある者は浮上した。その頃にはこの案件に多くの者が関わっており、目くらましの意も込め、ヒルドールヴがとうとう竜神の従僕、つまりわたしを導入するという判断を下す。魔女関連ならば、不測の事態に備えわたしがいる方がよいということで、クラエスが転移術の座標軸をここへ指定。降り立った途端わたしが呪われ、いまに至る。

 というわけらしい、が。


「納得がいかない」

「え」

「はじめからその情報をわたしにくれていてもいいでしょう? 偽る必要が何処にあったの」

「あー、いや、下手に思考させるより野生の勘に期待しろ、と隊長が。それにヨルには魔女狩りという大きな負担を強いるんだ、可能性の段階で協力しろとは言えないだろう。まあ、バレちまったからには頼むけど……悪いな」


 お人好しの思考というのは、ときおりヒルドールヴが寄越す嫌がらせと意を正反対にして合致してしまう。だからややこしい。ここで不機嫌になることも憚られ、嘆息に留める。


「それで、あなたたちはだれを疑っているの」

「ん、ああ、ホフステン卿だ」

「……だれ?」

「ヨル、お前記憶力よかったよな? さっき聞いた領主の名を忘れるなんて、今日に限って調子悪いんじゃ」

「あれか。あのひと、名乗らなかったから。でもあのひと、ここに移ったのは一月前って。≪黒薔薇の教祖(ササルゥナ)≫が王都に入ったのはもっと以前でしょう?」

「お前にはどう言ったかわからないが、ホフステン卿は頻繁に別宅と本邸を行き来しているぞ。人目をあまり気にする必要がないからな、ここは愛人を連れ込むにはうってつけの場所ってわけだ。奴らがここを通過したとされる時期、ホフステン卿もこの別邸にいたという確認は取れているんだ」

「そう」


 答えながら、しかし、と思う。あの俗物に竜神の従僕を前にして堂々と嘘を吐く度胸があるとは思えない。

 長いものには巻かれろ。そういった考え方の男ではあろうが、そもそも、あれは魔女を毛嫌いしていた。血が高貴であればとりわけ、不浄の彼女たちを嫌う。何処へ行ってもそうだ。よもやあれが高貴だとは思わないが、あれ自身が自分を高貴だと錯覚しているというのは十分考えられる話である。そしてああいう輩は、かたちから入る。魔女を崇拝するなど、薄っぺらな自尊心が許さないだろう。とはいえ、クラエスたちの調査結果を頭から疑いたいわけでもない。

 ここはなにも口出ししないのが無難か。

 わたしが黙した間に、ふたりが今後の動きを詰めてゆく。


「シグ、お前はヨルと組め」

「え? いいんですか?」

「俺はお前より場数踏んでるからな、二手に分かれるならその方がいい。それに馬に乗るならひとりの方が動ける」

「了解です。役割はどう振り分けます?」

「あっちも竜神の従僕の前で迂闊なことはしないだろう。二人でもう一度ホフステン卿のところへ行け。で、シグ、お前が炙れ。ただし最初っから武力行使にでるなよ、特にヨル」

「うん、だいじょうぶ」

「俺はここの奴らにしばらく外へ出ないように言ってくる。もし当たりだった場合、危ないのは住民だからな。同郷の俺が言えばすんなり聞いてくれるだろうし、すぐにそっちに落ち合えるはずだ」


 特別異論はないので頷く。話しぶりを聞くに、炙る材料も揃っているようだ。このまま行けば、わたしは置物よろしく座っているだけでいいのだろう。まあ、すんなり行くとは思えないが。

 と、クラエスがこちらに合図を送っていることに気づいた。首を叩く仕草。あ、と思う。首を微かに傾けてみたが、いいよと頷かれた。確かに今後行動をともにするのならば、いま共有しておいた方がいい情報だろう。戦闘中に露見でもすれば、混乱を誘うこと必至だ。わたしはシグリット=フォーゲルクロウを見据える。


「ええと、シグリット=フォーゲルクロウ……くん? さん?」

「そんな。どうぞシグとお呼びください。副隊長にもそう呼ばれていますので」

「そう。じゃあシグ。驚くとは思うけれど、これ」


 目深に被っていた外套のフードを脱ぐ。襟元も寛げ、より見えやすくした。

 首を囲うように這う黒薔薇の禍々しき刻印に、吸い寄せられるように碧眼が向いた。ぼんやりした瞳で数度瞬き、そして、忽ち大きく見開かれる。さっと顔が青ざめ、彼が持ち込んだであろう此度の資料の一枚とわたしを見比べる。散々それを繰り返した結果。


「あ、あり得ねえ……」


 どうやら素であるらしい口調でそう零し、床へ崩れ落ちた。資料が舞う。両手で顔面を多い、絶望的な唸り声を上げた。

 クラエスと似たり寄ったりの反応。すこし、申し訳なくなる。責任問題がどうこうというのならば、庇ってやるべきだろう。ふたりに対しひどく同情的な感情が湧くが、それはベアトリスの高らかな一声によって拡散した。


「――眼が、見ている! 近い!」


 小屋の戸を蹴破るのと同時に、剣を引き抜いた。影がひとつ、揺らめくように立っている。思考よりさきに口を衝いて出る。「動くな!」

 クラエス、シグの両名が踏み止まった気配に安堵し、眼前のそれを睨む。「ふたりとも待機だ。あれに寄るな」体型を覆い隠してしまう丈の長すぎるローブを引きずる、彼、あるいは彼女――そこに浮かぶ聖人の微笑。こいつはあれと同じ。己の口端が吊り上がってゆく。剣を持ち上げる。さきを相手の喉へと向け、薙ぎ払う仕草をしてやる。そこで覗いているならば、ちょうどいい。


「よくも悪趣味な首輪をつけてくれたな、魔女め。だが、こんな玩具でわたしを縛れると思うな。すぐに辿り着いてやる――お前の腹の底へ」


 言うや否や、その場から剣を投擲した。迅速に仕留める手段として。それはあっさりと首を貫き、頭部を刎ね飛ばす。弧を描いて飛んでゆく丸い肉塊と、血の噴水を見せつけながら崩れ落ちる細長い肉塊。ぐしゃ、と血とともに丸い塊は脳漿やピンク色の中身を地面にぶち撒ける。周囲には漂う血の匂いはもちろん、そこに腐肉のそれも混じっている。使い捨ても甚だしい。しかし、これは何処から湧いたか。転移の術式はそうそう使いこなせる者はいない。となると、ここのだれかが所持していた、ということも考慮に入れねば。

 投げた剣を拾い、血を払う。

 振り返ると、クラエスもシグもそのままだった。心配そうに眉尻を下げ、駆け寄れないことがもどかしげなクラエス。逆に眉間皺を寄せ、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたシグ。両極端な顔をしているのに、ふたりとも忠実に動くなという言葉を守っていた。おもしろい。堪らず、ふ、と唇から吐息が漏れる。それを隠すようにフードを被った。


「もういいよ」


 眼の気配は既に薄れ、それとわからないまでになっていた。

 

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