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02

 

 絶叫は短い。

 けれど、それに込められた悔恨は深い。

 わたしはただ、これが件の呪詛か、と思っただけであったというのに。


「クビだ。いや、それどころじゃなく実際に首の方が跳ぶんじゃないのか、これ。魔女狩りの要、竜神の従僕たる『赤の剣姫(けんき)』の身に呪いが巣食うだなんてそんな畏れ多い真似をしでかした騎士に生きている価値はあるのか、いや、なくないか。うん、ねーよ。俺、自害するべきなんじゃ……いやいや、当の本人を放っておいて無責任過ぎるよなそれは。とは言えそれ以外に償う方法なんて俺の頭じゃ皆目見当も」


 延々と続きそうな問答であった。クラエスはさきほどからずっと、頭を抱えて踞り、ぶつぶつと呟きを漏らしている。その隣で、ベアトリスが心配そうに鼻を鳴らす。荷を包み終わったわたしは、周囲へ目を巡らせた。散った花々の向こうに、舗装された煉瓦の道。色褪せ、欠けて歪な部分が多い。すこし遠いが、さきにこじんまりとした民家が点在しているのがわかる。しかし、数にして十ほど。目を凝らす。簡易で、趣が些か古い造りだ。加えて、豊かさはこの国の象徴ではあるものの、王都ともなれば花や木々ばかりではなく建築物に溢れているというもの。地理には疎いが、ここが王都ではなく郊外の街、というより集落のようなものであることだけは理解した。どれくらいで城へ着くのだろう。位置関係を尋ねなければならないが、問える相手がこれでは……。

 仕方がない、か。

 ぐずぐずと不穏な気配を纏わせた己の首筋をひとつ撫で、それから立ち上がる気力もなさそうなクラエスの傍へ寄る。


「クラエス」

「ヨ、ヨル……いえ、赤の剣姫フィヨルニル殿。此度のご無礼、私の命を以てして償いと――」

「別にいらない」


 自身が指定した場で早々に起きた事件ゆえ、償いだのと言っているようだが、それはお門違いというやつだ。これはクラエスのせいではない。国に蔓延るというのだから無作為に振り撒かれる呪いだと思っていたが、すこし違ったようだ。さきのあれは、明らかにわたしを狙っていた。騎士たるクラエスではなく。そこに含みがあることは、対峙した際皮膚で感じた。ならば、何処にいようと同じこと。星舟を立ったいま、いずれはこうなっていた可能性が高い。早いか遅いかの差異だ。

 そしてわたしが、呪いを与えるに相応しい的であったというのなら――

 それはそれで、正解(あたり)だったというほかない。


「それよりも、あれ。荷を積んで」

「荷……?」

屍体(それ)。操り人形だったとしても、なにか、繋がりが残っているかもしれないから。いちおう、そういうのがわかるひとに調べてもらいたいと思って」

「あ、ああ、わかった。にしても、随分とコンパクトになってないか……?」

「大きいと積めないかと思って。こう、ぱきっと折り畳んだ」

「ご、豪胆だな」

「にいちゃん!」


 と、小さいのが、背後からクラエスに飛びついた。わたしには駆けてくるのさまが見えていたが、クラエスは気づいていなかったようだ。死角からのそれに、目を丸くして振り返る。笑みを浮かべ、その子供を抱き返した。「久しぶりだなあ。元気してたか? でも、ひとりで出てきちゃ駄目だろう? いまは、特に」「だってにいちゃんの悲鳴が聞こえたから」「あー、ははは……大丈夫大丈夫」ちらりと目配せを受ける。そのさまに、仔細を黙っておくことを了承する頷きを返した。どのみち、民に告げるようなことでもない。子供がこちらに意識を寄越すよりさきに外套のフードを被り、首が隠れるように調節する。これで術士でもない限り、初見で呪いを受けたことが露見したりはしないだろう。ただ、なにかあったらしいということは隠し切れないが。争いの痕たる血溜まりを消し去ることは不可能である。これが民たちの目に晒される前に、だれかに処理してもらうのが得策か。

 子供を腰元に纏わせたまま、クラエスがこちらの意図を察したように頷く。既に騎士としての口調に戻っていた。


「この辺りには数十人の民しかいませんが、実際のところ王都に近く、駐屯兵が置かれています。彼に片づけさせましょう」

「にいちゃん、だれだ?」

「こら、竜神のお膝元で世界のために身を捧げてくださっている神官さまだぞ。きちんと挨拶しなさい」

「しんかんさま……? えー、こんなに小さいのに?」

「おい、目上の方だって言ったばっかだろうが。申し訳ありません。子供の台詞です、勘弁してやってください」


 わたしは肩を竦める。

 見目で疑われることには慣れていた。そこに感慨もなにもない。そういうものだと認識している。

 子供は、こちらをまじまじと見つめていた。年は七、八歳か。クラエスと同色の髪に、目は緑がかった青。兄弟、あるいは親類にしては顔立ちが似ていない。掘り下げることでもなかったので、子供から目を逸らす。ヒルドールヴなら餓鬼は嫌いだと言いそうだが、わたしは別に、好きでも嫌いでもない。ただ、その幼子ならではの好奇心には辟易することもあるけれど。

「なあなあ」と、外套の裾を引かれ、嘆息する。

 クラエスの制止を振り切った丸い瞳は、はじめて見たわたしに対する興味で溢れている。外では神官と呼ばれることが多いが、わたしは神官というわけではない。そう呼ばれるべき高きもの、それはハーヴィだ。わたしはただ、主さまのために存在する、剣。それが通じないがゆえ、あちらに合わせているだけのことである。神官に興味を抱いている子供には上手い言葉を返してやれないだろうが、しかし、それは杞憂に終わった。


「しんかんさまって、強いの?」


 強い? どういう基準で?

 意味を汲み取れず小首を傾げたわたしに、子供は鼻息荒く畳みかけてくる。


「すげー神さまの加護があるんだろ? 強いんじゃないの? なあ、そのちからで悪い魔女をぶっ殺してくれよ!」


 ひどく――そう、ひどく無邪気だった。

 わたしは、じっとその子を見据える。無知は命を繋がない。砂糖菓子たちは、それゆえに死んでゆく。これはどうだろう。魔女がなにかを知らず、世界を回すことわりすら知らない。異邦のお嬢さんたちと変わらない、無力で、弱くて、踏み潰した側が踏み潰したこともにも気づけないような、小さなもので。

 そうであるのに、ひとの命を望むのか。

 その願いのなかで、己の手を血で染めることは決してないと知りながら。自分が死ぬなど露ほども思わないままに。けれどそれは、魔女に対して――殺さんとする相手に対して、礼儀を欠いている。


「殺したいなら、殺せばいい。その手で」

「え?」

「殺せと喚くからには、命を摘むことを知るべきだ。皮膚を裂き、筋肉を割り、肉を断ち斬る行為を。手のひらに残るあの感触を。――無知は命を繋がないこと、覚えておいた方がいい。死に急ぐにはまだ早いだろうから」


 子供は、黙り込んだ。

 なにかおぞましいものを見てしまった、そんな風に目に見張り、忽ち水の膜を作る。

「それは」クラエスが困惑した声を出す。咎めるべきか決め兼ねるように。「それは、子供に言う台詞ではないかと」「子供だということは免罪符にならない。子供もひとを殺す、わたしたちのように」

 くしゃりと顔を歪め、クラエスはわたしを見た。失望が垣間見えるが、わたしの知ったことではない。子供の手を引き、わたしから離した。ベアトリスを呼び、荷を積む。一連の作業を無言で終え、再び子供の手を引いた。わたしはそのあとを追う。ベアトリスが丸い瞳でこちらを伺い、ひとつ、鼻を鳴らした。

 だいじょうぶ。

 唇だけ動かして、彼女に応じる。


 駐屯兵が現場の処理から戻るまでの間、この付近の土地を所有する、いわゆる領主の別宅に案内された。ほとんどを王都で過ごすようだが、呪いから逃れようとこちらにしばらく居を移したのだそうだ。従者を引き連れたその佇まいからは、厄介ごとを押しつけられたと不満げなさまが滲み出ている。だが、クラエスがわたしを神官と紹介するや否や、その面には媚びた笑みが広がった。

 なんだ。

 美しいのは、景色だけか。

 嬉々として奥へ通され、眼前に並べられるもてなしに、わたしは星舟へと思いを馳せる。やはり、外の空気は好ましくない。クラエスが子供を送り届けているいま、客間にはわたしとこの男のみ。こちらの関心を引きたいのか、頻りに菓子や茶を勧めてくる。ここは談笑の場ではないというのに。

 わたしは、ただ、魔女を主さまへ捧げたいだけだ。

 興奮からか、四十代半ばほどに見えるその男は、名乗りもそこそこに言葉を重ねる。


「まさか神官殿にお目見えできるとは、光栄の極みでございます。こんなどうしようもなく廃れたところですが、どうぞ、何なりとお申しつけください。いえ、私も本来でしたら王都の本邸で過ごしているのですが、何分、現在の王都では『呪い』の噂が蔓延しておりましてね。実はとある方から、その噂が本当であるという情報を頂き、こちらにしばらく移ることにしたのですよ。ここは祖父が権利を持つ土地なのですが、どうやらその祖父が道楽でこんな小さな集落なんぞを作ったようでして。この屋敷も祖父が建てたものなのです。まあ、領主の真似事をしてみたかったがゆえなのでしょうが、私としては、部外者が所有の地にいることがどうも落ち着きませんね。まあ、騎士たるクラエス=ブラントの手前、追い出すわけにも行かず――」

「無駄話は、もういい」


 果ての見えない言葉に付き合っていられるほど、こちらとて猶予があるわけではない。フードの下から睨めつければ、男はさっと青ざめた。わたしの機嫌を損ねたことへ対する脅えか、慌てて従者に命じる。こちらへ歩み出た従者の手元には、紺の糸で編まれた包みが抱かれている。(きん)か。こんなとき、まっさきに浮かぶのがそれ。

 ああ、これだから俗物は。

 わたしは恭しく差し出そうとした従者に片手を上げて制する。なにが恐ろしいのか、従者は身体を震わせながら止まった。間近で見るとまだ若い。少年のあどけなさで構成された顔は、さきの子供に面差しがよく似ていた。あの子よりも緑の強い色みの目を見、言う。


「必要ない。ほしいのなら、あげる」

「え?」


 戸惑いに瞬く従者の手を握らせる。これは市政で生きるひとに必要なものであって、わたしたちがいま求めるそれではない。

 驚愕に腰を浮かしかけた男を目で留めた。声を低く絞る。


「わたしは、くだらないことに付き合うつもりはない。それとも、これが、こんな無礼が、王都での礼儀だとでも?」

「え、あ、いえ……申し訳ございません」

「二度はない。いくつか問いたいことがある。そちらに応じるつもりは?」

「はっ、はい! 勿論ございます! 私めにわかることでしたら何なりと!」


 失態を挽回しようと意気込む男。思考を巡らせ、さきの弁に出てきたことを吟味する。


「王都での噂を知りたい。内容は?」

「ええ。最初の頃は≪黒薔薇の教祖(ササルゥナ)≫という宗教団体が発足し、王都で教徒を集めている、という些細なものだったのですが、途中から、そこに不穏な単語が混ざり始めまして。何と、信仰の要が魔女だというのですよ。魔女に祈れば、我らは創世の咎から救われるのだと。はっきり言って、戯言(たわごと)の類いだと思いましてね、そういう事情に詳しい御仁にお会いした際に話題に挙げたのです。こういう噂話を聞いたのだが、馬鹿らしいなと。すると、御仁の顔がさっと青ざめるじゃありませんか。問い詰めると、彼は答えました。それは真実であると。

 ――自分は〝魔女を見た〟のだと」


 魔女を見た、とは。

 あの、砂糖菓子のなれの果ては、王都に潜んでいるというのか。暗いところでじっと息を殺し、獲物の首筋に己の牙を突き立てるその日を待ちながら。

 彼女の矛は、だれへ向いている?

 無差別ではないことは、さきの呪いで体感している。民をなんのために食らおうというのか。主さまの従僕(わたし)に、無粋な首輪なんてものまでつけて。


「見たというのは、いつ、何処で」

「およそ二月ほど前のことです。魔女のことは≪黒薔薇の教祖(ササルゥナ)≫による演説で見たと言っていました。彼は好奇心が過ぎるところのある方でして、噂の真偽のほどを確かめたいという理由だけで、その如何にも胡散臭い宗教団体に加入したというのです」

「それを聞いてここに移ったということか」

「ああ、神官殿。それだけではないのです。私がこちらに移ったのはほんの一月前でございます。彼の話は確かに禍々しいことでしたが、それだけで本邸から離れ、こんな辺鄙な土地へ移るような真似は致しません。その御仁と会った数日後――彼が、亡くなったのです。自身の妻を殺めた末の自害でした。私はぴんときたのです、これは、彼が見たという魔女の仕業だと。そして私は恐ろしくなったのです。彼と同じ死に方――家族や恋人を殺し自害したという事件がこの一月の間にいくつも起こっているというじゃありませんか! 何と恐ろしいことか! 魔女はそのちからで人を操ったのです!」


 ぶるぶると震えながら、男は両腕を擦る。

 その情報は、クラエスの持ち込んだものの上部をなぞっただけのものに過ぎない。民たちが≪黒薔薇の教祖(ササルゥナ)≫という世界の異物に、どれほど危惧を示しているのかは謎だけれど、すくなくともそれが魔女の仕業だと信じるものはいるということだ。

 だが。

 ここまで民が魔女の存在を認めていながら、何故、城の者たちはそれを不確定と言うのか。拠点が王都であるならば、堂々と根本を叩けばよいではないか。それで、すべてわかる。

 砂糖菓子や魔女の身柄は星舟へと渡される場合がほとんどであるが、なにもわたしたちが全員を摘み取ったわけではない。砂糖菓子は巫女として手厚く、魔女は異端の輩として糾弾される。巫女の死体が届くことはまずないが、魔女の首を捧げられたことはある。城の騎士や宮廷術士たちが魔女を討つことは、はっきり言って可能だ。わたしたちだけがそれを為せるということでもない。

 魔女は、砂糖菓子と真は同じ。

 穢れを纏ってしまったがゆえのちからは、無論個人差がある。魔女になっても弱ければ、それまで。ひとの手で簡単に刈り取れる。

 そう、彼らでも殺せるのだ。

 なのに、何故。わたしを、主さまの剣を呼び寄せるという手間をかけるのか。神の加護を期待せねばならないくらいに、魔女は禍に溺れているということだろうか。

 ――わからない。

 これ以上は、無駄だ。

 あれこれ悩むよりも、わたしのようなものは鼻を使うべきだろう。どうせ、考えたところでわかりもしないのだから。


「亡くなった、御仁の名は」

「オロフ=ダヴィッドソン伯です。王都の上流階級では名の知れた方ですので、神官殿もすぐにわかるかと」

「そう。情報の提供に感謝する、ありがとう」


 立ち上がる。男へ軽く一礼し、踵を返す。扉の傍で控えていた従者に黙礼し、戸を開け放った。男と従者を置いて、廊下へ出る。趣の古い民家ばかりかと思っていたが、この屋敷は王都のそれらと同様であるらしい。調度品もあちらで見かけるような豪奢なものだ。金を包もうとしたことといい、金は余るほどあるのだろう。もしくは、見栄のために揃えたか。

 短い毛の絨毯を踏み、出入り口へ向かう。「しっ、神官殿っ!?」声が追ってくるが、待つ理由もない。用は終わった。

 屋敷から出たところで、戻ってきたクラエスとかち合った。向こうは目を丸くし、わたしと追ってくる男を見比べた。


「ええと、どうされたんですか?」

「おお、クラエス=ブラント殿。それが、神官殿が突然席を立たれて……」

「話は終わった。駐屯兵はまだ処理を?」

「え、ああ、そろそろ戻ると」

「そう。わたしはそちらへ行く。クラエスは? あなたが行かないのなら、ひとりでも構わない」

「いえ、同行します……けど」


 状況が掴めないのか、瞬きを繰り返す。さきの様子から男と顔見知りと推測できるが、気を遣ってやることもないかと口を閉じた。無駄話に時間を費やしても、双方に益はない。

 クラエスにはわかるよう、首を撫でる。触感はただのつるりとした皮膚だが、そこには黒の刻印が刻み込まれている。


「あまり、時間をかけたくない」

「あ、はい。行きましょう、こちらです」


 はっとしたように頷いて、クラエスが先導する。さきに一瞥して制しておいたおかげか、男も今度は引き止めなかった。同じように追ってきた従者も、ただ、黙してこちらを見ている。じっと、睨めつけるのとは違った、不思議な眼差しで。

 背に突き刺さるそれに、腰に提げた剣を確かめる。

 ――首が、黒き薔薇の呪詛が、焼けつくように熱を帯びていた。

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