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05

 

 竜神の従僕フィヨルニル。彼女を懐剣とし、怪物の心臓に突き立てるように――

 翌日、日が昇る狭間の刻。約束された議定会にて。宮廷術士たちの回答は、そうだった。各々の思惑がどこにあったとしても、或はどこにもなかったとしても、歯車は既に動き出した。

 止めることは、できまい。だれにも。

 朝食にと並べられたものを啄みながら、うっそりと笑う。これでようやく単純な図式となった。怪物を討ち、魔女を捧げる。それだけに。心情を表したかの如く軽やかに食卓を舞うわたしのナイフとフォークに、ヒルドールヴが喉を鳴らした。寝台に寝そべるその手には酒瓶。早々に腹に焼いた肉を収め、嗜好品に走るあたり機嫌はいいようだ。思惑が外れ、不機嫌そうに生肉でも貪られては堪らない。まあ、ヒルドールヴに限って読み違えたりはしないだろう。どうせ議定会はこの男の独壇場と化したに違いない。

 ヒルドールヴは騎士の名目を持ってはいるけれど、実質、役割は宮廷術士たちのそれに近い。ゆえに彼だけは宮廷術士の集いに顔を出せる。宮廷術士たちのように個々人での行動も許可されている。国王陛下とやらのお墨付きで。だが、近しいだけだ。その身のちからは、決して人間にはないものである。術式を繰ることはもちろん、獣のように駆け喉笛に食らいつく、必中の殺意すら意のままだ。狩ることにおいて、彼の右に出るものはいない。城に寄せられる魔女たちの情報を捌くのは彼の役目だ。その男を差し置いて、わたしが魔女狩り筆頭とされる理由はふたつ。

 ヒルドールヴは戦の獣。血腥い場にしか興味がない。彼にとって大半の魔女は〝弱すぎる〟ゆえ。余りある欲を満たすためには、騎士として国外の紛争で牙を振るいたいというわけである。万単位の敵陣に切り込み、将を射る。血を血で洗う興奮と享楽。そういうのがお好みであるらしい。彼の名が恐々と知れ渡っているのは、むしろ国外だ。近隣諸国はこの美しき国を渇望しながら、ヒルドールヴという恐ろしい獣に脅えてもいる。

 そして、矢面に立つのはわたしの役目であるということ。今回のように、魔女に加担したものが名指しするのがわたしであるための措置である。柵が、制約が最もすくないわたしが、いちばん自由に動ける。且つ、剣技と炎の術式を持ち、究極、死地に捨て置かれてもどちらかのちからが有効たれば生き残る可能性があるのだ。術式のみに特化したハーヴィやフロプト、なんだかんだ制約の多いヴァーヴズではこうはいかない。ヒルドールヴはわたし側だが、もうひとつの理由から騎士などという柵を自ら抱え込んでいるのである。つまるところ、適任がわたしであった、そういうことだ。


「ヨル。腕の調子はどうだ。派手にやってたからなあ、痛むんじゃねえか?」

「問題ないよ。シグが応急処置してくれたから」

「つっても、痛み止めだけだろ? あいつも消耗してたから、皮膚の蘇生にまでは手が出せなかったみてえだしな。せっかく(セクス)のを跪かせたんだ、あいつに治させれば良かったろうに」

「あの男になかを弄られるのはいやだもの」


 包帯を巻いた腕を抱けば、ヒルドールヴはからりと笑った。

 術式による治癒では、たいていその痕跡が残る。さらに言えば、身体のうちへとちからが入り込む。シグのレベルならば痕跡は表面をなぞってすぐに消えてしまうが、宮廷術士に名を連ねるものではそうはいかない。そもそもわたしを解体したいなどと言い出す輩だ、わたしのなかに植えつけようとするに決まっている。医療班がシグに施した印のように、なにか不愉快なものを。そうでなくても、あの男のちからを取り込んでしまうことは必至。それはいやだ。ハーヴィと約束した。ハーヴィたち以外のものはなかに入れない、と。それを破るつもりは、毛頭なかった。

 つんと顎を上げるわたしの傍へ、獣が音もなく寄る。食卓の上は、空っぽになった皿ばかり。ソファーの背後から長い腕が囲うように伸びてくる。

 咥内のものを嚥下するのを待って、武骨な指が捻じ込まれる。親指がわたしの犬歯をつうと撫でた。押しつけられる。ぶつ、と深く皮膚を破った感触。滴る、芳醇な血液。躊躇いなく、その蜜に舌を伸ばした。

 ヒルドールヴの赤瑪瑙(レッドアゲード)が弧を描き、微かな悦楽の色を灯すのを視界の端で捉えた。飢えている、とても。わたしが。肉を食らうだけでは得られない甘美なそれに、ひとつだけ、喉を鳴らした。労りを込めて傷口を舐め、もういいと腕を軽く叩いた。


「ありがとう」

「いーや。この綺麗な肌が爛れたままってのは、さすがに見過ごせねえからな」


 甘ったるく、こめかみに口づけ。次いで、首にも。

 昨日よりも確実に開花に近づいている黒薔薇(ブラックバカラ)は、脅えたように沈黙したままだ。獣の殺意を感じ取ったのだろうか。外気に晒されている分、より正確に。だとしたら、いい気味だ。

 食卓の皿を下げる女中(メイド)に続いて、かっちりと団服に身を包んだ細身の影が姿を現した。シグである。脇腹の傷は全快したのか、足取りも軽やかだ。分厚い書面に落としていた視線が上がる。「隊長! ……と、ヨル」

 なぜいるのか。そう目で問われている。確かに、淑女であれば、与えられた客室で召使いに着替えを手伝わせている頃であろう。この男、上流階級の出だけに女の振る舞いにいちいち細かい。それがわたしに適応しないことを、そろそろ学習してくれてもいいのだけれど。客室に寄りつかずここで眠ったことを告げれば、たしなみがどうのと叱られるのが目に見えているゆえ、その問いを黙殺した。唇に乗せていないものにまで応じてやる義理もなかろう。銀食器が片づけられてゆくさまを眺めていると、ふと、思い出した名があった。誤魔化しの意も込め、ついでに言葉にしておく。


「シグ。オロフ=ダヴィッドソンという名に聞き覚えは?」

「は? ……あ、いえ。失礼致しました。ダヴィッドソンとは、あの?」


 女中(メイド)がいるからか、口調が騎士のそれだ。別にいいけれど。


「有名なの?」

「そうですね。ダヴィッドソン家は上流階級ではそれなりに聞く名ですよ。私の家との付き合いもありますし……。しかし、オロフ=ダヴィッドソン伯といえば先日」

「自害したのでしょう?」

「ご存じでしたか。彼を気にされてらっしゃるとは……噂でも耳にされましたか」

「そう。魔女の夜会について」


 魔女の夜会、つまり、信奉者のための演説会だ。オロフ=ダヴィッドソンはそこで魔女を見、妻を殺して自刎した。それが黒薔薇(ブラックバカラ)の呪いによっての行為であるならば、調べておいても損はなかろう。なにせわたし自身、その徒花に侵されているのだから。

 議定会を通ったとはいえ、いますぐに出立させてもらえるはずもない。この、いつどうなるかわからない爆弾を抱えてじっとしているのは、やはりわたしの性分ではない。これをわたしに植えつけた魔女に、逃げ道などやるものか。完膚なきまでに暴いてやろう。手始めに、オロフ=ダヴィッドソンの自害の背景を浮き彫りにさせる。そうと決めれば、行動あるのみ。

 わたしは若き騎士に向かって、にっこりと笑んだ。なにを察したのか、頬が引き吊るシグ。拒絶を受けるよりさきに外堀を埋めることにする。


「ヒルドールヴ。すこし、シグを借りていいでしょう?」

「いいぜ。なんなら、クラエス貸してやろうか? シグよりあいつの方がお前に慣れてるだろ」

「ううん。だいじょうぶ」


 クラエスは、きっとそれを望まない。あの魂は高潔だから。わたしを憎むというそれを消化できず、軋んでいるだろう。そうやって葛藤に晒されているうちは、放って置いてもいい。魔女が直接耳朶に甘言を囁く、なんてことがない限りは。

 さっとシグへ腕を伸ばす。反射的に恭しくこの手を取ったのは、彼の騎士道精神に則った行為であろう。可哀想に、だからわたしにそれを適応するなと言ったのに。ぐっと握り込む。膝のバネを使ってソファーから跳ね上がり、立てかけていた剣を腰へと差した。ヒルドールヴが投げて寄越した外套を左手に、シグを右手に。びくっと身を引くが、離してやらない。「行こう。付き合ってくれるでしょう?」「……はい、喜んで」

 いい返事だ。


 白い白い、薔薇の花。柔らかく開きゆく花弁は、いつか満開の笑みと変わる。

 純粋なる麗しさ。けれど、これも。黒の薔薇と同じく呪いの言の葉を吐く魔花だ。うつくしいものは悲しい。いつか教えられた、この世の無常。

 ことわりはいつでも、どこか歪だ。

 わたしは白薔薇(エーデルワイス)の群生した庭から、主を喪い青ざめた屋敷へと目を巡らせる。

 城下の東区、その一等地。オロフ=ダヴィッドソンの本邸。開け放された正門の前で合成馬(ミックス)を止めたシグの背越しに、敷地内を観察する。家財の処理に追われているのか、戸口付近で緩慢に動く使用人たち。あたかも墓場の上に広がる雷雲の如く、そこやかしこに沈鬱な影が差している。そんななか、白の魔花だけが青々と生気をたっぷり身に含んでいた。くすくすと。笑い声すら、聞こえそうなまでに。

 これでは、あまり長居はしたくない。馬から飛び降り、門を潜った。

 シグが慌てて追ってくる。わたしに気づく、従者たち。そのうちのひとりが厳しい顔で制止の声を上げようとし、ぎょっと目を剥いた。この、白衣の外套に刻まれた紋様に。

 竜神の従僕。上流階級の者たちに従属している彼らからしてみれば、それは脅威だ。噂話で繰り返される〝非情なる炎の使徒〟――赤き竜の牙たち。わたしたちをおぞましいものとして認識するのに、上流階級の者たちはちょうどいい距離だ。つまり、その傍で耳をそばだてる彼らも同じこと。だから、畏怖する。ただの噂に留まらない、赤の絶対的残虐性を知るがゆえに。

 わたしは努めて平坦に、こちらへ歩み寄る影を感じながら第一声を吐き出す。彼女に届くように。


「この白薔薇(エーデルワイス)は、だれが?」

「薔薇の種にお詳しいのですね、竜神の従僕――いえ、『赤の剣姫』さま。お目にかかれて光栄ですわ。この子たちはあたくしの趣味ですの。とても、美しいでしょう?」


 漆黒の装い――喪に服しているという意思表示のためだろう――を纏う、令嬢が優雅に微笑した。後方からするりと現れたその華奢な影に、従者が再び驚愕に目を見開く。たっぷりと豊かな髪を束ね、薔薇の蕾の如く膨らませている彼女。目にも鮮やかな金糸と碧眼は、この妙齢の女が純血なるルアシヴィルの民であることを示している。死んだダヴィッドソン夫妻のひとり娘にして、白薔薇の君と謳われる才女だ。

 病的に青白い頬や鋭い顎で構成されている輪郭は冷たく、薔薇というよりは氷像である。青の目に宝石の如き煌めきがないことを確認する。

 その女に向かってわたしよりさきに口火を切ったのは、シグだった。女の足元に跪き、慣れた風に手を浚う。そっと落とされる口づけすら当たり前と、彼女は微笑みを絶やさない。


「ご無沙汰しております。シュティーナ嬢」

「ああ、シグリットさま。そう、あなたがいらっしゃいましたのね……ふふ、嬉しいですわ。どうぞお上がりになって下さいまし」


 シュティーナ=ダヴィッドソンとシグリット=フォーゲルクロウ。上流階級の出であるふたりは既知の仲であるらしい。わたしが持ち得る彼女の情報は、すべて道すがらシグから聞き出したのもの。

 曰く、彼女のような女を淑女と呼ぶそうだ。見習えと言いたいのだろうが、そんな気は更々ない。

 わたしは剣だ。それだけでいい。

 包帯で隠した首の黒き徒花を撫でる。呪詛はここにある。だが、シュティーナ=ダヴィッドソンに術式を察知する能力はないのだろう。彼女がわたしを捉え、顔色を変えることはなかった。見えないものは見えない。ひとの目はそうできているゆえに。外套のフードの下から、談笑する男女を眺める。両親を亡くしたという現実を感じさせない柔和な微笑みを、白薔薇の君は浮かべ続けている。 

 けれど。感情を覆うその仮面の奥で、目が、笑っていなかった。

 華奢な骨組のテーブルがぽつんとあるだけのがらんどうの空間に、開け放たれた大きな窓で揺らめくたっぷりとしたレースの海。淀みなく通されたその部屋では、既にティーセットが並んでいる。わたしと、彼女と、シグのもの。わたしたちの来訪を予見していたかのようなさまに、自然と眉が寄った。やはりこの女、おかしい。彼女は庭園が一望できるいっとうよい席を、わたしに勧めた。頷いて、腰を下ろす。隣にはシグが座す。白薔薇の君の本性を扱い兼ねてか、シグはわたしに目配せした。彼女の違和感を感じ取ってのことだろう。それに薄く頷いて応じる。だいじょうぶ、と。

 召使いが外にいるにも関わらず、シュティーナ=ダヴィッドソンは繊細な手つきで自らティーポットを持ち上げた。「お口にお合いになればいいのですけれど」

 ふわりと広がる、薔薇の香り。紅の液体が弧を描いて白のカップに注がれる。

 群生する白き薔薇の花弁を使ったローズティー。あからさまに危険だ。じっとりと微笑む女。飲むなと目で訴えるシグ。瞬きの間逡巡し、しかし、カップを取る。そして一気に飲み下した。

 ぎちり。喉の文様がそれに反応し軋むのを、無理矢理押し殺す。うるさい、黙れ。次いで白薔薇(エーデルワイス)がわたしを支配下に置こうと働きかけてくる。やはり仕込んでいたか。(まじな)いは、使役する者のちからに呼応するもの。ならば、この程度。調伏できないわけがない。


「――『わたしはあなたに相応しい』だなんて、傲慢な」


 白薔薇(エーデルワイス)の意。低く、吐き捨てる。見開かれた青の眼が、すこしだけ愉快だ。


「わたしは主さまのもの。すべて、余すところなく。わたしのなかにお前たちにくれてやるところなど、ひとつだってない。お前如きのちからで、それを為せると思うな」


 この首の呪いにすら、わたしは操られているつもりはない。

 呪いに屈服すればこころが死ぬ、と。かつてハーヴィはそう言った。

 それは、主さまのため、と振るっているこの腕がただの操り人形と成り下がることと同意。

 ――そんなこと、赦せるわけがない。わたしは主さまのもの、なにがあろうとそれだけはだれにも曲げさせはしない。

 だから、沸騰しそうになる血潮を抑えつける。まだだ。この女を紐解かずして血のちからを行使すれば、魔女が画策する〝なにか〟の手がかりを失くす。それは避けたい。額に玉の汗が浮かぶ。それでも、ぐずぐずと呪いの気配が沈黙してゆくのをじっと待った。異常事態に硬直しているシグの横腹に肘を入れ、覚醒させておくことも忘れない。

 シュティーナ=ダヴィッドソンは、わたしのさまを見、婀娜っぽく微笑んだ。


「ほんとうに、打破されるだなんて。さすがですわ、赤の剣姫さま」


 余裕綽々に氷像の口角が上がっている。白薔薇の君と褒めそやすような可憐な笑みでは、決してなかった。


「そうでなくては、あたくしがご案内差し上げる意味がありませんもの」

「お前は、なにを言いたい」

「ふふ、着いていらして下さいまし。魔女を狩ることを誉れとすらお思いになっていらっしゃるあなたさまに、この世の不条理をお見せ致しますわ」


 この世の不条理はすべて魔女のせい――かつてひとはそう決めた。

 この女は、当たりだ。わたしは己のなかで息づこうと足掻くものを嚥下し、にっこりと笑ってやった。

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