お猫様現る
なんとなく思いついただけの話
朝の五時、まだ陽が昇り始めたばかりであり、人間の社会が動く前の時間。
本来なら一人暮らし用のアパートの一室で私は目を覚まし、私の横に寝ていた猫のような少女を起こさないように起き上がる。
朝早く起こすと怒るのだこの同居人は、こんな時間はまだ人間は寝る物だと。
一度、暗くどこで寝ているかわからなかったせいで、猫ちゃんをふんずけて起こしてしまった時は。
「にゃぎゃー」という猫の悲鳴のような声を上げ、何時間もずっと怒ったままで機嫌を直してもらうのに、苦労した。
そんな事にならないよう、私はカーテンから漏れる薄暗い光を頼りにリビングへと向かう。
差し足、抜き足、猫の足と。
足音を立てないようそろーりそろーり歩くが、建付けが悪いせいか時折ギシギシと音が響くが、これぐらいの音だと猫ちゃんは
目を覚まさず、昼ぐらいまで寝たままだ。
何とか目的地のリビングのテーブルへとたどり着き、冷蔵庫を開け、お茶を取り出す。
これで目を覚まし、本来ならば仕事場に向かう準備をしなければならないのだが。
今日は休みのため準備をする必要性は無い。
ペットボトルのお茶を片手に椅子に座り、電気を付ける。
「はぁ…」
溜息を一つ付く。
リビングの光は開けられたままの寝室にも届き、彼女の姿を照らす。
起きる様子はまったく無く、その肢体を私の目に晒す。
「ふぅ…」
もう一度溜息を付き、お茶を飲む。
寝起きで乾いていた喉に潤いがやってくる。
どうして私はこんなことしちゃったんだろうなぁ…。
私の目に入ってくる彼女の肢体は、小学生のように小柄で、猫のように身体を丸め、ぼさぼさの白髪と、白い裸体を照らし。
猫の首輪を首につけ、足に千切れた鎖をつけたままだ。
この状況、第三者から見たら何処からどう見ても犯罪であるが、非常に不思議なことに犯罪では無い。
何しろ、彼女には『戸籍』というものが存在していないのだから。
というより、彼女の存在は日本の社会的にはそもそも存在していない。
一ヶ月程前に土砂災害で壊滅した村の外れに住み、逃げてきたなどと言っていたが。
あまり説明する気が無いらしく、私には適当な説明しかしない。
そのうち説明するとは彼女の言である。
いくら私が適当な性格をしているとは言え、キチンと説明してくれなければ、納得できない事は多々あったのだが。
猫ちゃんはきっとふらーっとどっかに消える。
私が、キチンとした説明を求めるとそれこそ死期を悟った猫の如くどっかに消える。
そんな気がしたので結局、猫ちゃんが何か言うまで聞く気も無く、何となく日数が立っている。
戸籍が無いから大丈夫とかいう彼女の言を信じたが。
選択肢を間違いまくりな気もしたが、正解だったような気もする。
「眼福、眼福と…」
深く物事を考えなければ、猫みたいに可愛い女の子が家に住み着いただけである。
色々突っ込みどころがあるかも知れないが、全部無視していれば問題は無い。
現実から目を逸らすのは得意なのだ。
例え、猫ちゃんが住み始めてから、異常な事態が立て続けに起こったとしても、そういうものなんだろうなあと納得してしまえ
る程度には。
そう思い、私はテーブルに何枚も転がっている宝くじと、朝刊の当選発表を見て、また溜息を付いた。
「また一等当たってるし…」
初めて猫ちゃんと出会った時、彼女はびしょ濡れだった。
真ん丸な目に眠たそうな顔、どことなく助けを求めるかの表情をした捨て猫といった感じだ。
美人可愛いで言うならば、可愛らしい女の子であろうか。
そんな猫ちゃんは大雨の日に、私の部屋のドアの前でぼんやり座っていた。
私が拾わなくても、このアパートに住む人間の誰かが見つけたら拾っていたと思うが、後々聞いてみると首を振られ断られたら
しい。
犯罪絡みかと思って通報しようとした人もいたらしいが「お母さんの所から逃げてきた」などと嘘を言い、相手に勘違いさせ、
黙っていてくれてる。それどころか、猫ちゃんにたまにお菓子や服といったプレゼントまで持って来てくれている鈴木さんには
今度お返しをしなければならないだろう。
アパートの皆には猫ちゃんが私の家に住み着いていることがばれ、大家さんにも知られているのだが。
猫ちゃんが何を言ったのか、何を渡したのか、大体好意的である。
「多分さ、猫ちゃんは天使だと思うんだ」
とは、私の隣に住む大学生の後藤さんの言である。
私が留守の時に、猫ちゃんが遊びに来たらしく、モテない俺なんかのために、色々してくれたと言っていた。
何をしたかはわからないが、彼女いない歴=年齢の俺でもモテると自信が付いたなどと言い、今では可愛い高校生の彼女がいる
。
猫ちゃんが何を考え、行動してるかはわからないのだが、彼女が来てからここのアパートの面子には幸福が舞い降りている。
私もそのウチの一人なのだが。
正直な所、私は猫ちゃんのような娘と一緒に住んでいるだけで幸せであり、宝くじが当たったり、彼氏が出来る方法をアドバイ
スされたり、良い職場に転職する方法や、挙句の果てに異世界にいく方法などを言われても困るのだ。
「これも、だめなの?」
「だめというか、違うかな」
可愛らしく首を傾ける猫ちゃんを撫でようとすると逃げられる。
彼氏を作る気も無く、かといって彼女を作る事も無く今まで過ごしてきたが。
まさか私はロリコンだったとは思わなかった。
しかもこんなワケ有りな女の子に執着するとは思わなかった。
「違うの?」
「ああ、違うよ」
「わかった」
ことある事に、私に何か渡そうとしてくる猫ちゃんであるが、その動きを見守っているととても楽しい。
誰もいない空間をじーっと見つめてる時もあれば、出かけようとする私にしがみ付き離してくれない時もある。
可愛い、とても可愛い。多分誰が見ても可愛いと思うがとても可愛い。
これほど他者に執着したのは何年ぶりか何十年ぶりか、それとも初めてか。
子供の頃から思い返してみても、友人は居たが、ここまで執着した事は無い。
自分の顔を鏡で見ると、自分でも驚くぐらいウキウキしていて、仕事の同僚には何か良い事があったのかと毎日聞かれている。
良い事は毎日ある。
とにかく猫ちゃんが可愛いのだ。
たまによくわからないことを言い、それが実際起きるのだが、とにかく可愛いのだ。
今日も私が早起きした理由がそれが原因だ。
「朝五時半に異世界へのドアが発生するよ…」
昨日の夜、猫ちゃんが欠伸をしながら、眠たそうにそんな事を言っていた。
その動作が可愛く思わず抱きしめにゃぎゃー、にゃぎゃーと嫌そうに鳴く猫ちゃんであったが、いつもの事だ。
「王女様になれるよ」
「別にいらないかなー、早起きして逃げとくよ」
「わかった…」
抱きしめるのを止めると服を全て脱ぎ、布団にもぐり始める猫ちゃんであった。
最初は犯罪者になった気分になるので服を着せてたのだが、凄い嫌そうだったため、自由にさせることにした。
どういう訳か寝る時に服を着るのは嫌らしい。
カチリ。
時計が五時三十分を指すと、私が寝ていた所が光始め、ドアのような物が発生する。
何度か見たが相変わらずおかしな光景だ。
最初は写メを撮ったりしようとしたのだが、どういうわけかカメラには写せない。
「王女かー…」
このドアを通れば猫ちゃん曰く王女になれるらしい。
しかし、怠惰な生活を送ってる私がいきなり王女になったところで苦労しそうだ。
礼儀作法や人間関係が大変そうだし。
何でこんな不思議な事が起きてるのか。
何でドアの先の事を猫ちゃんが知っているのか。
疑問に思ったこともあるのだが面倒になってしまった。
知ってようが、知らないだろうが、どうでもいいことでは無いか。
世界は広いんだから、そういうこともあるのだろう。
五分ほど立つと、光るドアが消える。
どうやら今回は終わったらしい。
未だに寝続けている猫ちゃんの横に戻り、抱き枕にして二度寝する。
とてもあったかくて、お肌がすべすべである。
起きたら、今日は何をしようかな。