2話 チョコレートの依存性
まだ、夏の暑さを残した9月。司は昼休みを利用し、学校内の図書室を訪れていた。
司は読書をするタイプではあるが、今回、図書室を訪れた理由は他にある。
迷いなく本棚の間を潜り抜けやってきた場所は、入り口からだいぶ遠い位置にある日本の神話の本が集められたコーナー。本好きの生徒でも、さすがにこのコーナーに近づく者など本当に極わずかの物好きしかいない。
そんな極わずかの物好きが、一人。今、学校内で噂の的であある生徒、時雨ユリアだ。彼女こそが司がこんな物好きしかこない場所に訪れさせた理由だった。
司は彼女の姿を視界に捕らえ、いたずらを企む子供のような笑みを浮かべた。効果音をつけるならニヤリがベストであろう。
「時雨さん。」
司はその笑みをすぐ消し去り、人当たりの良い笑みに張り替える。
彼女が噂の的になっている理由にはいくつか理由がある。時雨ユリアは2学期に入り、イギリスから司のクラスに転入して来た帰国子女だった。帰国子女の転入生というだけでもかなり噂になる要素だというのに、更に時雨ユリアは美少女だった。腰まで伸びる綺麗で真っすぐな黒髪に蜂蜜色の大きな瞳、背は低く小柄であるが手足が長く、華奢である。どこか日本人離れした顔つきの彼女はたぶん、ヨーロッパ系のハーフなのであろうと司は予想している。そういうわけで、帰国子女の転入生の美少女である時雨ユリアは学校内で有名人となっていたのだ。
時雨ユリアは腰まで伸びている真っすぐな黒髪をさらりと揺らし、振り返った。ちょっとした動作でも気品さが伺えた。
「日高くん…何か用?」
凛とした綺麗な声がほのかに赤い唇から紡がれる。日高というのは司の苗字だ。
「何か探し物?」
時雨ユリアはどこか、司と似ていた。容姿や性格ではなく、雰囲気、と言えば良いのだろうか。司にも理由がよくわからない。強いて言えば、仮面のような笑顔と周りに一線引いて付き合っているところだろうか。休み時間はほとんどこの図書室に閉じこもり、何かを探している時雨ユリア。そんな彼女が、司はずっと気になっていたのだ。
「……まあ、ね。」
ユリアは自分よりも頭一つ分以上高い司からツイッと視線を逸らしながら曖昧に言う。
「よかったら手伝うよ。」
そんなユリアを司は逃がす気がない。やっと捕まえたのだ。以前から司からユリアに接触しに行ったことはあったのだが、あの笑顔にのらりくらりと交わされてしまっていた。教室での接触だったせいもあるが。だが今回は二人きり。ユリアに逃げ道など作らせる気など全くなかった。
「遠慮しとく。日高くんの時間なくなっちゃうでしょ。」
ほら、また。ユリアは逃げようとする。ユリアもユリアで、司が最近自分につきまとってくることに警戒していた。
やんわりと笑顔で流されたように見えるが瞳の奥は笑っていない。どうやらユリアは司に教える気も、仲良くなる気もさらさら無いようである。でも、やっと捕まえたのだ。
司はユリアにグッと近づき、棚に手をついて彼女を腕と腕の間に閉じ込める。逃げ道など作ってやらない。司の鼻孔をチョコレートの甘い香りがくすぐり、クラリと目眩がした。もちろんそれは、腕の中に閉じ込めたユリアから香るものだ。
「………何のつもり?」
「別に。ただ君が気になるだけさ。」
司は吐息交じりにユリアの耳元で囁いた。ユリアはくすぐったそうに身をよじる。しかし、全然余裕そうな表情で司を蜂蜜色の瞳で見つめる。
「へぇ、日高くんてそういう性格なんだ。」
スッとユリアの瞳が細められる。あからさまな嫌悪。初めて見る、彼女の表情だった。
司は元々、温厚で人当たりがよく、先生からも生徒からも人気があった。特に女子。司はすらりと背が高く、中性的な綺麗な顔立ちをしていた。一見、体の線が細いようにも見えるが、常日頃陸上部で鍛えているため、服の下には見事な肉体美が隠されている。しかも、司は陸上部のエースだ。これだけ条件の揃った男を女子が放っておくはずがなかった。
お互い視線を逸らさず見つめ合う。否、見つめ合うというよりはにらみ合っていた。二人とも互いに腹の探り合っている。
そして、司はぴくりと眉間をひくつかせた。おかしい。普段なら相手の心の内を読むなど容易いことだというのに。司は一般人と少し変わった特技があり、読心術が使えた。どんな人間でも心の内を読むことができた。なのに、ユリアの心の内が読めない。全く。司は動揺した。
そんな司にユリアは一瞬瞳を大きく見開いた後、今度は楽しそうに目を細めた。その表情は正しく妖艶と呼ぶにふさわしかった。ドキリと司の胸が高鳴る。
「それ、あたしには通用しないよ。」
「…どういう意味?」
「さあ?」
ユリアは司に不敵に笑って見せた。小さな苛立ちが募る司。こんな敗北感を味わうのはなんだか久しぶりな気がした。
「てかさ、どいてくれない?もう授業始まるし。」
ユリアは嫌悪感を隠しもせず、司を押し退けた。
「待って。」
すかさず司は逃げようとするユリアの手首を掴む。ユリアの手首は少し力を入れれば折れてしまいそうな程に細かった。司は少し不安になる。
「なに?」
司はユリアの手首を強引に自分の方へ引っ張る。突然引っ張られ、ユリアは驚きながら司の胸に飛び込んだ。司はゆっくりとユリアの耳元に唇を寄せた。
「俺、君のこと気に入っちゃった。これから仲良くしてね、ユリア。」
そして、最後にユリアの額に口づけを一つ落とす。
ユリアは顔を真っ赤にして走り去ってしまった。
司は逃げていってしまったユリアの小さい背中を笑みを浮かべながら見送る。普段は仮面を被っているが、その内側は強気でどこか余裕があるように見えて結構初なユリア。可愛い一面を見たな、と司は思った。
携帯の画面を見れば後数分で授業が始まる時刻を表示していた。司はユリアの残り香りを吸い込み、彼女のチョコレートの香りは、確かに依存性がある、なんて少し馬鹿なことを考えながら上機嫌で教室へと戻っていった。




