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言葉無く、まるで敗残兵の様に下を向き帰宅した俺は、居間に腰を落ち着け、祖母が何時もと変わらず温かいお茶を持ってきてくれたタイミングで、開口一番謝罪した。
「祖父ちゃん、祖母ちゃん・・・ごめん」
ただただ申し訳ない・・・その一念に尽きた。
出来の悪い孫のせいで、地元の小学校で恥を晒すことになった2人に、俺は頭を下げることしか出来ない・・・。
情けない・・・不甲斐ない・・・そんな思いだけがあった。
・・・遂に涙が流れる。
止まらない・・・、止められない・・・。
祖父が言った。
「お前は偉い!!!」
「・・・?」
怒られこそすれ、褒められる謂れは皆無だ。
そんな自分の、一体何を評価されたのだろうか?
祖父の話は続く。
「俺もな、ホントは一発殴ってやりたかったんだ!でもな、いくら何でも大の大人が、子供1人に暴力振るうわけにはいかん・・・。でも、お前がアイツにビンタしてるのを見たらスッキリした!何なら礼を言いたいくらいだ・・・ありがとな、優」
「子供が暴力を振るうのも悪いことだと思うけど・・・?」
「家の外ではそうだな。でもここは我が家だ。さっきお前が学校でやった行為は、社会では『罪』とか『悪』とか言われることだ・・・だけどな、少なくともこの家の中では、今のお前は『英雄』だ!」
「え・・・英雄?」
同級生をしこたま殴ると、英雄になるの?
「そうだ、『英雄』だ!だってそうだろ、お前は俺たち2人を辛い気持ちにさせたヤツを懲らしめてくれたんだ。鬼を退治した桃太郎は村人から感謝された筈だ。なら、俺だってお前に感謝するぞ!お前は俺達を助けてくれたんだからな!」
・・・なんという、むちゃくちゃな理論。
どこまでが冗談でどこまでが本気なのか分からない。
だが、祖父が・・・そして、その隣でニコニコしながらその話を聞いていた祖母が、不甲斐ない俺を、励ましこそすれ、責めるつもりが全くないことは分かる。
祖父の言い分には賛否分かれるところだろ・・・しかし当時の俺にとって祖父からの肯定は、それだけで十分救いになった。
「・・・ありがとう、祖父ちゃん、祖母ちゃん」
感謝を述べる俺に対し、
「だから言ってるだろ、感謝すべきはこっちだよ。こちらこそありがとな」
「ホントにね。ありがとうね、優ちゃん」
感謝を返してくる祖父母を見て、俺はこの家に来れたことを本当に幸運に思った・・・。
「ところで、なんで授業参観があるって知ってたの?」
寒々しい雰囲気はスッカリ吹き飛び、いつもより早く入浴を済ませて夜ご飯を食べていたときに、俺は気になっていた疑問をぶつけた。
「ああ、それはね・・・、今日、ゴミを処分してたときに偶々、その文面が目に入っちゃって。悪いかもと思いつつ、中身を見たんだよ。そしたら、この後直ぐに授業参観があるって書いてあったから、てっきり行かなきゃいけないものなのかと思ったんだよ。それで、お父さんと慌てて行ったの」
なるほど、そういうことかと俺は納得する。
要は、授業参観に保護者が出席する必要性を、祖父母は誤認していたというわけだ。
あのプリントを見た祖母は、授業参観を絶対に行かなければならないイベントだと判断した。
しかも日取りは今日・・・とくれば、あの急ぎようも理解できる。
こんな事態を生むと分かっていれば、きちんと相談しておくべきだったと思う俺だった。
「ごめんなさい。授業参観は別に保護者が全員出席しなきゃいけないモノじゃないんだ。祖父ちゃんも祖母ちゃんも忙しいだろうし、何より、自分の為にわざわざ時間を割いて貰うなんて出来ないと思ったんだ。それに・・・」
「それに・・・?」
「あのプリントには、今日の授業内容が『両親の似顔絵を描く』って書いてあったんだ。だから・・・」
そこで、しばらく黙っていた祖父が口を開く。
「おい、まさか、親じゃないから、行っちゃ駄目とか、最近の学校はそんなこと言うのか!?」
「・・・多分そこまでは言わないだろうけど、でも、その辺りの配慮が全く感じられなかったし、事実、来ていた保護者は全員、両親だったよ」
あくまでそう見えただけで、事実確認はしようがないが・・・。
「ったく。なんつうことだ!今の世の中はどうなってるんだ!?」
世の不浄をうめく祖父。
1を知れば10を理解した気になるのは人の性であり、自らの視界に映った物が、正に氷山の一角である可能性を常に考慮できる人間は、殆どいない。
でも祖父にとって、このような事態は、今年2度目なのだ。
今日が2度目・・・そして、俺の両親の離婚が1度目・・・。
人と人とは支え合い、助け合わなければ生きていけない時代を過ごした祖父母にとっては、人の縁を平気で蔑ろにする者達が幅をきかす世の中を・・・ましてや、今年だけで2度も立て続けでこのような事態に遭遇すれば、理解不能と考えてしまうことは無理もなかった。
気炎を上げる祖父に対し、祖母は現実的な提案を持ちかける。
「優ちゃん、学校どうする?優ちゃんが嫌なら転校出来るかどうか相談してみても・・・」
祖母の懸念は至極、最もだったが・・・
「いや、いいよ」
これにはハッキリと拒絶の意を示した俺。
一寸の虫にも五分の魂。
当時の俺でも流石にもうちょっと大きかったが、言いたいことはそういうことだ。
ここで逃げを晒したくはない・・・それだけだった。
祖母は何か言いたげではあった。
きっと心配してくれているのだろう。
しかし、喉まで来ていた言葉を飲み込むように、1つ間を置いた祖母は・・・
「もし、嫌になったら何時でも言うんだよ」
と優しく声をかけてくれた。
「優・・・お前が頑張りたいなら頑張れば良い。でも無理する必要は無いからな」
祖父も、猛る怒りをようやく抑え、俺の背中を後押ししてくれる。
「本当にありがとう」
俺は、今日何度目になるか知れない・・・心からの感謝を祖父母に送ったのだった・・・。
もしここで、このエピソードを終えられるのなら、それは感動の逸話として自身の中に残り続けただろう・・・。
しかし・・・そんなハッピーエンドが待っているわけも無い。
厚顔無恥な同級生により自身に穿たれた心の傷。
それが思いのほか大きかったことに気付くのは、後日、俺がいつものように河西ボクシングジムへ行ったときのことだった。




