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『金色』嫌いな俺の青春  作者: えみお


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プロローグ

「あんたらなんて用済みよ、じゃあね!」


 呆然とする父と幼き俺に対し、未練など一切感じさせない声で別れを告げ、玄関から颯爽と消えていった女。

 信じられないかもしれないが、彼女こそ俺の実の母親・・・だった女だ。

 両親はたった今、赤の他人になり・・・そして、俺は母を失った。

 






 先程、父と2人、リビングで朝食を採っていた時分に、連絡も無く朝帰りを決め込んだ母の姿は、とても平日の早朝に相応しい姿とは言えなかった。

 


 彼女を中心に四方八方に放たれる、甘ったるい香水の香り。

 身体中に纏わせている高級ブランド品の数々。

 そして・・・その年齢を考えれば痛々しいとすら思える、光り輝く金髪のショートヘア。

 



 それらは、今日1日を健康に過ごす為、エネルギーを摂取している俺達2人の食欲を急速に衰えさせた。

 

「おかえり、真子」


 しかし、そんな態度をおくびにも出さず、帰宅を歓迎したのは父、悟だ。

 スーツをパリッと着こなす父のことが、当時の俺は大好きだった。

 今思えば、生活リズムという概念を忘れたかのように、日々を怠惰に自堕落に生きる母との対比が、しっかり者の父を殊更良く見せていたのかもしれない。

 それでも、家事を一手に引き受けつつ、仕事もこなして給金を稼ぎ、俺に対して一身に愛情を注いでくれる悟は、贔屓目を抜きにしても、良い父だったといえるのではないだろうか・・・。




 しかし、結論から言えば、そんな風に父を見ることが出来たのは、今日が最後だった。




 バンッ!!!




 その日の朝食は食パンに目玉焼き、ベーコンにサラダ・・・そしてグラスに入った牛乳だったのだが、対面同士に座っていた俺と父の間に、叩き込まれた無粋な轟音・・・そして振動が、2人分の朝食を残飯に変えた。

 背の高いグラスは当時の俺のお気に入りで、「なんとなく格好良い!」という理由から父に頼んで、買ってもらった一品だった。

 父とそろいのペアのグラスで、同じものを飲んでいると、何となく、自分が大人なった気がして、それが心地よかったのかもしれない。

 しかし、その感情に浸れるのもまた、この日が最後になった。




「ああっ!?」




 机に叩き付けられた母の手は、双方飲みかけだったグラスの中身をぶちまけると、そのまま奈落の底へ・・・。

 俺は咄嗟に手を伸ばしたが、幼い俺の指先は、落下するグラスの遙か手前で空を切る。


「おっと!」


 後生大事にしていた衣服に牛乳など付着させるわけにはいかなかったのだろう。

 母はすかさず後ろに回避し・・・その一瞬後を破砕音が追った。


 パリーン!!!


「あっ・・・」


 大切にしていたグラスは、至極あっさりと砕ける。

 方々に散らばったガラスの破片。

 それを見た俺は、勿論悲しい気持ちにもなったのだが、それ以上に・・・


 


 自らが大切にしていたものが、こんなにあっさりと無くなってしまう・・・




 という事実に驚愕した。

 茫然自失とした心境で、膝を付いていた俺と、割れたグラスのことを、まるで気に掛ける様子の無い母。


「見て」


 と、彼女は机の上を指さしながら言う。

 これは父に対して言ったことなのだろう。

 天板越しに、依然として着席していた悟が、腰を浮かしたのが見えた。

 綺麗に整えられていた筈のスーツの胸からも、ポタポタと牛乳が垂れてくる・・・にも関わらず、泰然自若とした姿勢を崩さない胸より下から、俺はその時の父の心境を知ることが出来なかった。

 ようやく顔を上げた俺も、父と共に机の上に視線を向ける。

 見るも無惨な状態に変わり果てた双方の朝食。

 その間には、1枚の写真があった。

 これは・・・?




「アンタ、浮気してるでしょ!?」


 


 そこに映っていたもの・・・それは街灯の下、1人の女性を肩に抱いている・・・様にも見える父の姿だった。

 



 父と女性の上半身を中心に撮影されている、その写真だけ見ると、確かに父が母以外の女性と関係を持っている様に見えなくも無い。

 が、俺は父がそんなことをするわけが無いことも・・・そして何より、そんな暇が無いことも知っていた。

 寡黙で真面目な父は、まるで測っているかのように規則正しく生活する。

 起床する時間から、朝食を拵え、それを2人で食べ(偶に3人になることもある)、食器を綺麗に片付けた後、テレビの占いを一瞥し出勤。

 その後、余程のことが無い限り残業もせず、帰宅すると、晩ご飯の準備に取りかかり、以後、俺の就寝前まで家を出ることなど皆無。

 インドア気質で、休日は読書を嗜むことが多く、2人で出かけるときは本屋や図書館、博物館などがもっぱら・・・そんな父が、別の女性と関係を持つなんて、どうやったら出来るというのだろう?

 父も、穏やかな声で、しかし毅然と反論する。


「誤解だよ。よく見て、この人は小柳さんだよ。知ってるだろ」


 小柳・・・その名前を聞いて、自身が記憶から呼び起こした人物は、確かに写真に映る女性の姿と合致する。

 小柳のおばさんは、俺たちが当所住んでいたアパートの住人であり、丁度真上に当たる部屋を借りていた女性だった。

「おばさん」という呼称は、当時の俺が彼女と遭遇する際に使っていたものだが、少なくとも容姿に関しては、「お姉さん」でも通じるほどだったと思う。

 小柳一家が、1年ほど前に引っ越してきたこと・・・また学校が異なるうえに、生活パターンが噛み合わないことから、終ぞ、自身がこの家を離れるその時まで合うことはなかったのだが、どうやら俺と同学年の娘さんもいるらしかった。

 ・・・つまり、母の言う架空の浮気相手は、旦那も娘もいるご近所さんだったのだ。

 父は先の短い発言で、それを示し、自身の浮気の疑惑を晴らすことが出来た・・・と思ったの筈だ。

 しかし・・・


「誰よっ、小柳って?私、知らないわよ」


「「えっ・・・」」


 母のこの返答には、父は勿論、俺も驚いた。

 何故なら俺たち2人にとって、小柳さんは昨日今日の関係では無いからだ。

 朝夕、何かにつけ見かけることがあれば、挨拶を交わし、時間が許せばたわいも無い話に興じることもあり・・・なにより、今現在、我が家の天井1つ隔てた向こうにいるかもしれない存在なのだ。

 そんな人を「知らない」と一刀両断した母に対し、俺は・・・「この人は遂に頭がおかしくなってしまったんじゃないか?」と、その場の空気にそぐわない心配をしてしまった。

 しかし・・・よくよく考えてみると、少なくとも、俺は母が小柳さんと話している姿など見たことが無い。

 回覧板など、必要最低限のご近所付き合いも父が全てこなしており、母がその場に立ち会った場面など見たことがない・・・。

 そして、母が自らがすすんで、近隣の人達とコミュニケーションをとろうとする訳がない・・・。


「・・・あっ!」

 

 それらの事実から、父が「母が本当に小柳さんを知らない」という事実に気付き、思わず声を上げたのは、俺が同様の結論に至ったのと同じタイミングだった。

 父もまさか想像していなかったのであろう・・・。

 決して大きくないこのアパートの・・・ある意味1つ屋根の下に住んでいる人に対し、これ程

無関心でいられるだけでなく、あまつさえ、浮気相手だとまで言われるとは!


「「あっ!」ってことは、やっぱり、やましいことがあるのね!」


 母の邪推は天井知らずで、もはや父のつぶさな反応すら、不倫の証拠と言わんばかりにあげつらう。

 父は、それでもどうにか説得を行おうと、言葉を重ねた。


「違うよ。聞いて欲しい。1週間程前に仕事場から帰宅していたとき、家の直ぐ側で、小林さんと娘さんが、男にちょっかい掛けられているのを見たんだ。だから、こちらから声を掛けたんだけど、その時に、逆上した男が小林さんんい掴みかかろうとした。だから咄嗟に彼女を庇ったんだよ。この写真はきっと、その時のものだ」


 その話を聞いた俺にも、確かに思い当たる節があった。

 確かに先日、父の帰宅が珍しく遅くなったことがあった。

 残業が発生した場合も、分かり次第連絡を入れてくれる父が、断りも無く帰宅を遅らせ、ようやく家に帰ってきた際も、結局その理由を話してくれることは無かった。

 話の続きを聞くと、その後一悶着あった後、最終的に警察の出番となったようで、やむなく協力することを余儀なくされたのだそうだ。

 普段から冷静沈着な父も、公僕の相手をすることになるのは初めてだったらしく、気を取られる余り、連絡を忘れていたそうだ。

 これで今度こそ、疑いは晴れた・・・と父は安心したに違いない。

 



 しかし、悟の理路整然とした文言も、馬耳東風と言わんばかりに聞き流した母は、自身の『被害者』という立ち位置を、頑なに譲ろうとはしなかった。




 この時の俺は、母のこの一連の様子を見ていて、何となくこの後の展開を予測することが出来た。

 フィクションでは、お決まりの展開。

 それを、まさか現実で・・・自身の家庭で・・・当事者として見ることになろうとは思わなかったが・・・。




「これ、書いて出しといて」




 母がそう言って、父の胸に強引に押しつけた一枚の紙。

 折り畳まれたソレを、俺自身は確認することが出来なかったが、裏から透けて見えた緑の枠線、そして朱肉の赤が見て取れれば、これ以上の答え合わせは必要ない。

 父が視認し、目を見開く。

 

「ま、待ってくれっ!私の浮気をまだ疑っているのか?これ以上話してもまだ信じてもらえないなら、大変失礼にはなるが、小柳さんにも同席頂いた上で再度説明させてほしい!」


 胸に抱いた紙切れから、母の覚悟を見て取った父は、いよいよ、なりふり構わない姿勢に出る。

 幼き俺でも、浮気の疑いを晴らすために、隣人に同席を願うことが、どれだけ無礼かは何となく想像が付く。

 助けられた義理から、小柳さんが父の頼みを断ることは無いだろう。

 しかし下手すれば我が家で発生したボヤが、小柳家にも飛び火しないとも限らない。

 本来は父だってこんな手段は採りたくないだろう。

 しかし、たとえ、後にどれだけ頭を下げて詫びを入れ償いをすることになろうとも、切羽詰まった父には他に選択肢が無かった・・・。

 



 父が狼狽し、一方の母は聞く耳持たない・・・こんな状況の中、唯一俺だけは達観した様子でいた。

 後に成長するに従い、普通の子供なら、あの状況では慌てふためくとか、幼い論理で説得を試みるだとか・・・それも出来なければ、ただ泣き叫ぶだとかといった反応をするものであることを知り、「確かにそうだな・・・」と納得もした。

 



 しかし、そんな発想が欠片も浮かんでこなかった当時の俺は・・・おそらく『普通の子』ではなかった。

 そして、そんなものが成長した先が、『普通』の範疇に収まるわけもなかった。




 1枚の写真と1枚の紙、そして、父にとっては誤解も甚だしい一方的な文句・・・そして牛乳。 それらを、しこたま撒き散らした嵐の元凶は、自身以外の誰もが納得していない状況を、彼女の穿った目で把握し・・・やるべきコトは終えたと理解したらしい。

 そして、ご近所迷惑だとか、世間体だとかといった概念を喪失している母は、冒頭の台詞を、まるで勝ち鬨をあげるかの様に大声で唱えると、勢いよく扉を閉め、我が家を後にした。



 そうして、我が家の表札から『真子』の2文字は消えることになったのだった。




 ・・・再び訪れる父と子だけの時間。

 シンとした部屋の状態に、今更ながらテレビが消えていたことに気付き、俺はチャンネルに手を伸ばす。

 



 きっとこの時の俺は、どうにかして、この空気を変えたかったのだろう。




『母親』という、掛け替えのない存在を無くしたにも係わらず、その事実よりも、この場の空気を優先した自分。

 それは、自身にとっての『母親』が所詮その程度のものであり、勝手に家を出て行った人間の為に俺達がこれ以上リソースを割いてやる必要が無い・・・という、相当割り切った認識があったからこそ、なしえた行動だったのだ。




 しかし、この時、俺は気付いていなかった。

 俺にとっての『母』と、父にとっての『妻』との間にあった認識のズレ。

 そのズレの大きさがここまでだったなんて・・・。




「止めろっ!!!」




「えっ!?」


 物心ついた頃から終ぞ今まで聞いたこと無かった父の怒声。

 理不尽な母の、家族に対する冷遇にさえ、常に落ち着いた物腰を崩さなかったあの父が、チャンネルを手に取ろうとしただけの俺を怒鳴ったのだ。

 親に怒られて、恐怖するでもなく、腹立たしさを覚えるわけでもなく・・・唯々驚くという反応を返す子供が、世間にどれだけいるだろう?

 きっと、そんなのは俺だけだ。


「何でそんなことが出来るんだ!?辛くないのか?悲しくないのか?今はテレビなんて付ける状況じゃ無いだろう!?」


 そんな風には思わなかった俺。

 時分はこんな時こそ科学の力に縋るときだと思い、チャンネルに手を伸ばしたのだ。

 俺は反論しよう・・・と父の顔を見て、口の先まで来ていた言葉を嚥下せざるをえなかった。



 それは、その時の父の顔が、人間に備わっているであろう負の感情を、全て表に出したようなものに、様変わりしていたからだった。




 青白く血色を無くした顔の左右を、多量の涙が流れている。

 そして、その出所である目が、まるで獲物を目前にしている猛禽を思わせる眼孔で、自分を見ていた。




 ドキンッ!




 一瞬・・・「食われる」と思った。

 この時、きっと俺は『父』も失ったのだ・・・。







 その後・・・まるで母が乗り移ったかのように、俺自身に関するものや、そうでないもの含め、様々な罵詈雑言を吐いた父は、やがて体力を使い果たしたのか着席すると、それ以降・・・人間らしい動きはしなくなった。

 そして、大の男の負の感情の捌け口にされた俺はというと・・・自室に向かい、最低限必要そうなもの一式を鞄に詰め込むと、唯一頼れそうな親類に助けを求めるべく、玄関を跨いだ。




 扉は静かに閉めた。

 もう、『あの男』の慟哭は聞きたくなかった。

 



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