契約の日
「倉城さん……倉城さん!」
「えっ⁉ あ、はいっ!」
慌てて振り返ると、深山くんが苦笑いを浮かべていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ごめんね、ちょっと考え事しちゃってて……」
「……何か良いことありました?」
「ひぇっ⁉ あ、いや別に……あははは」
さすが深山くん、鋭いな。
危ない危ない、顔に出てたかも……。
「これ、今日中のやつなんですけど……お願いしてもいいですか?」
「あぁOKOK、やっとくよ」
「すみません! マジ助かります!」
「うん、大丈夫大丈夫」
俺は案件の束を受け取り、またPCのモニターに向かった。
あの内見から一週間……。
車は中古だけど状態の良い軽トラを安く買えたし、印鑑登録証明書も用意した。
貯金残高の減り具合を見ると言いようのない不安が襲ってくるが、着々と夢の実現に向けて進んでいるんだと思えば、不安は希望で上書きできる。
魔王城を買ったら、すぐにでも魔石採掘の副業を始めるぞ……!
大丈夫、俺だってやればできるんだ!
アラフォーになって初めて感じる、この胸の高鳴り。
学生時代の就職活動でも、転職のときでも、こんな気持ちになったことはなかった。
まるで夏休み前の子供に戻った気分だな。
時計に目を向ける。
あと少しで退社時間か……。
今日は契約日……記念すべき第二の人生が始まるのだ!
なんて、ちょっと大袈裟かな。
とにかく、この案件は終わらせてっと……。
黙々と作業をこなし、20分くらいの残業になってしまったが、なんとか終わらせることができた。
「よし、帰るか……」
荷物を片付け、俺はオフィスを出た。
電車に揺られながら、バッグの中に印鑑と印鑑登録証明書、現金が入っていることを何度も確認する。
軽トラの運転も、まだ慣れないが楽しみだ。
待ち遠しいな……。
早くまた魔王城に行きたい。
じっくりと中も探検したいし、家具のレイアウトなんかも決めたいな。
そういや定期便?ってのもあるみたいだし、魔石で稼げたらいろいろと買いそろえて行こう。
『つぎは代田橋、代田橋――』
*
改札を出て、きさらぎ不動産のある細道へ向かう。
よし、準備は完璧だ……。
俺は大きく深呼吸をしてから、店の扉を開けた。
「こんにちは……」
「あ、いらっしゃいませ! お待ちしてましたよ倉城さん、どうぞお掛けください」
袋小路さんが笑顔で座るように勧めてくれる。
「あ、どうも……失礼します」
印象の薄い人だと思っていたが、今は別人のように明るくて魅力的な人に見えた。
もしかすると、俺の心の問題だったのかも知れないな。
ちゃんと人と向き合おうって気持ちが薄かっただけなのかも……。
「いよいよですね、倉城さん」
にっこりと微笑みながら書類を用意する袋小路さん。
「ええ、楽しみです」
「ふふふ、そのお気持ちわかりますよ。なんたって、あれだけの物件ですから」
俺の前に書類が置かれる。
「では、契約を済ませてしまいましょうね」
「お願いします」
「ここと、ここ、それとここには割り印をください」
「あ、はい……」
俺は袋小路さんの言うとおりに判子をついていく。
判子を握る手に汗がにじむ。悪くない緊張だ。
「……はい、書類はこれでOKですね。では、現金を数えさせていただきます」
計数機に札を乗せると、バララッと言う軽快な音と同時に「66」と表示された。
「さん、しー、ご、ろくっと……はい、たしかに66万6千円、頂戴します」
袋小路さんは、小さな金庫にお金をしまった。
「事務手続きは以上です。お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
いよいよか……。
魔王城の鍵ってどんなんだろう? 大きいのかな?
「普通の家なら鍵をお渡しして終わりなんですが……魔王城には物質的な鍵はありません。その代わり所有者として登録が必要になります」
「登録……」
「はい、登録さえ済ませてしまえば、倉城さん以外に勝手に入ることはできなくなりますので」
「なるほど……」
「では、一度、魔王城の方へ行きましょうか」
「は、はいっ!」
俺と袋小路さんは席を立つ。
「あ、倉城さん、お車買われたんですよね? 今日はどうします?」
「はい、道も覚えたいので、後ろからついて行ってもいいですか?」
「もちろんです。では、先導しますね」
「ありがとうございます、よろしくお願いします!」
外に出て、俺は自分の軽トラに乗り込んだ。
袋小路さんの運転するSUVがゆっくりと走り始める。
「よぅし、いざ魔王城だ!」
俺は左右を確認し、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
明日からお昼12時更新です!
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