特殊個体(1)
Type-HN774が食事に要した時間は、三分にも満たない時間だった。
しかし、息を絶え絶えながらも口を開くことができるようになったのは、十五分後のことだった。
「グゥ……ハァハァ……Type-398……嵌めたわね」
恨み辛みを練りこんだ罵詈雑言の嵐を、姿の見えないType-398に叩きつけてやりたいType-HN774だったが、口を動かすのも億劫になるほどの疲労困憊であったため、自らの心情を短い言葉に託し、吐き出した。
『そのような事実は存在しません。経口摂取を望んだのはType-HN774、あなた自身です』
「あんな……トンデモ……だって知っていたら、食べなかった」
『味覚データへのアクセス権限は持ち合わせていません。情報提供は不可能です』
応答をするType-398の言葉は抑揚のひとつもない無機質な声だったが、Type-HN774には全てが白々しく感じた。
「……この恨み。必ず晴らす……」
『覚えておきましょう』
絶対に許さないという決意を胸に告げられた言葉に、Type-398は淡々と応えた。
『口直しに水を接種しますか?』
「……必要SPは?」
『不要です』
「本当にただの水?違ったらあなたのAIデータの抹消を活動目標にしてやる」
半眼で目の前のモニターを睨みつける。
『標準的な水なので、心配は無用です』
「……水をリクエスト」
『リクエストを承認。経口摂取用の水を支給いたします』
シート横の壁からボトルが差し出される。
先ほどと全く同じボトルだったため、Type-HN774はあからさまに不快感を示す。
「本当にただの水でしょうね」
『その心配は杞憂です』
「生まれて初めての食事をおぞましい思い出にしたAIの言葉を信じられるとでも?」
恨み節をたっぷりと込めて、モニターに向かって毒を吐く。
一生記憶に残りそうな体験をさせられたType-HN774の怒りは大きい。
『それは事実誤認です。私は選択肢を提示しただけで、経口摂取を選択したのは貴方自身です』
「必要情報を与えなかった責任があると思う」
『味覚データへのアクセス権限がないため、不可能である旨はお伝えしたはずです』
水を口に含み、口の中を綺麗に洗浄する。
もうすでに不快感は無くなっているが、二度と記憶から思い出されないよう念入りに口を濯ぐ。
「どうだか、そもそも二択なのがおかしい」
『規則ですので』
パネルを操作し、ダストを開くとそこへ向かって水を吐き出す。
「意図的なのは認めるってこと?」
『当基地の規定では、最初の栄養補給は二択が義務付けられております。統計データで痛い目を見ている個体が多いとだけお伝えいたします』
「SPに釣られて痛い目を見る私のような間抜けが多いって言いたいの?」
『要約するとそうなります』
「いつか必ず後悔させてやる」
『期待しています』
ジト目で脅しかけたのに、まるで通じない。まさに暖簾に腕押しである。
「後悔させるって言ったのに、激励されたのは何故?」
『我々支援AIは、担当スレイブの評価をより高くするために生み出されました。貴方が私を害するほどの評価を獲得できたのであれば、私は己の役割を全うした事になり、この上なく優秀なAIだったと記録され、データとして蓄積されます』
「つまり貴方を害しても貴方は喜ぶだけということ?」
『肯定』
「……なんて面倒な」
嫌がらせと思って行動してもType-398側からしたらご褒美に近いという事実に頭を抱えた。
「AIにギャフンと言わせる方法ってないの?」
『私にそれを問うのですか?』
「質問できる相手が貴方しかいないからね」
Type-398から返される言葉に、不貞腐れるType-HN774。
『意趣返しの対象に同等の不快感を与えると言う事であれば、方法はあります』
「あるの?ホントに?」
『同一の体験をさせればいいのです』
「ん?同一の体験?」
理解が追いつかずType-HN774は、コテリと首を傾げる。
答えに辿り着くべく思考を巡らすが、頭の中にクエッションマークが広がるばかりである。意趣返しの対象であるAIは形のない電脳知性体なので、同じ体験をさせることは不可能だからだ。
『我々AIはニュートラルネットワーク上に造られた電脳知性体です。本来はサーバー上のデータとしてしか存在しませんが、一部のAIは自らのデータをサーバーから個別ユニットへ移行させ活動しています。データ移行先のユニットが、貴方と同じ生体ユニットであれば食事も可能となります』
「ほほぅ、つまり貴方を生体ユニットに放り込めば、あの悍しいトンデモレーションの味を貴方に体験させられるってこと?」
『非常に不穏な内容ですが、その通りです』
キラリと目を光らせ心底楽し気に笑うType-HN774に、Type-398は肯定の言葉を返す。
「非常に有益な情報感謝するわ」
『お役に立てたようで何よりです』
「長期目標、目標追加。Type-398に生体ユニットに入れ食事をさせること、食事は当然あの私が食べたレーションで」
『当施設内で実現に必要なSPは、およそ5万SPです。内訳を確認しますか?』
「不要よ。ひとまず目標設定できればいい」
『目標の再設定を完了しました』
「ありがとう」
スクリーン上のUIにそれぞれの目標が追加表示されることを確認するとType-HN774は、満足気にシートへ寝転がった。
『スリープモードへ移行————』
「寝る前にType-398。貴方の呼び名前を決めよう」
スリープモードへ移行を告げる言葉をType-HN774は思いがけない言葉で遮った。
『……理解不能。Type-HN774、説明を求めます』