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7.発端

 緊迫きんぱくした雰囲気が、その場にいる者に緊張をもたらしていた。

 クリアス大森林――その中心部の、ほんの少し前まで人の営みが行われていた場所。

 そこには今、二つの異なる目的を持つ者がいた。

 彼らのうち、白い仮面で顔を隠した女と、赤い髪の少年の二人組は現状の維持を望んでいた。

 一方、彼らと向かい合ったもう一つの集団は状況の変化を望んでいる。

 彼らのうち片方が目的をげるためには、もう片方の目的をさまたげる必要がある。

 そして、十人ほどの集団の側の目的のためには、目の前の二人組――特に女の方がこの森に留まるのは都合が悪かった。

「――今すぐ、この森から退去せよ」

 居丈高いたけだかに言ったのは、集団の中でも一際目立つ男だった。

 貧相な体を上質の衣服で包み、髪を撫でつけて整えた中年の男だ。足を踏ん張って威勢よく見せているが、血走らせた目と時おり唾を飲み込む動作が、その内心を表していた。

 男を取り囲むようにいるのは、統一された兵装の男たちである。

 それなりに修練を積んでいるらしい彼らは、腰の剣に手を添えて万が一の場合に備えている。

 彼らの半分は、女のすぐ後ろに立っている少年に注目していた。

「この森は、どの国の領土にも属していなかったはずですが」

 冷淡な声音で女が突き放す。

 くり返される似たようなやりとりに、交渉役の中年男は噛みしめた歯を軋ませた。

(小娘が……!)

 どれほど言葉を費やしても、相手には譲歩じょうほする気がない。

 こちらが提示できる条件がないのだからそれも無理はないが、男にしたところでこの交渉をまとめなければ今の立場を失う恐れがあった。

 ――それならまだいいかもしれない。最悪、命すら失う可能性がある。

 今回で交渉は三度目になる。次はもうない、と明言されていた。

「退去しないと言うのなら――」

 激情のままに吐き出そうとした言葉を、男は途中で止めた。

 女の後ろに立っていた少年の手に、いつの間にか灰色の剣が握られている

 兵士たちの息を呑む音が聞こえた。

 悪夢のような光景がよみがえる。

 ――二度目の交渉の時、痺れを切らして無理矢理女を連れだそうとしたことがある。

 その時もこちらの兵は十人ほどいて、相手は今と同じで二人組だった。

 男は兵たちに女の捕縛を命じた。少年の存在は頭になかった。そして――見事に失敗した。

 原因は計算に入れていなかった少年の存在である。彼らは駆け寄る兵たちの前に無造作に出ると、瞬く間に兵たちの半数を斬り倒した。それも、一人も殺すことなく。

 残りの兵たちが動きを止めると、少年は何事もなかったように下がり――その後、男は最低限の体裁をとりつくろって、泡を食ったように逃げ出した。

 あの時の醜態しゅうたいは、思い出すのも苦痛だった。

 二度と同じような真似はしたくないと思う。と同時に、力尽くでの手段が封じられたことを男は悟った。

「『言うのなら』――どうすると?」

 言葉を失った男に、事務的な疑問が投げかけられる。

 仮面を被った女の感情の消えた声に、男の激情はあっさりと封じられた。

 懇願にも似た口調で、男は声を絞り出す。

「……どうしても、出ていかないつもりか?」

「ええ」

 仮面の奥に覗く碧眼へきがんには、ほんのかすかな揺らぎもない。

 絶望的だった。

「わかった……」

 男は肩を落とした。

 交渉は失敗、指示を出した上役――ドーラン辺境領領主は、自分を許さないだろう。

 男は踵を返して歩きだした。

 ほんのわずかにでも生き残れる方法――処刑という処罰が下される前に、逃げ出す可能性を探りながら。


 ◆


「それで――これからどうなる?」

 二人だけになった森の中で、仮面を外したリゼッタの美貌びぼうを横目にギルダスは問いかけた。

 どこで手に入れたのか、その仮面には着けた者の感情を封じ込める力があるという。今さら疑う余地もない話だが、仮面を外した時との落差にはいまだ違和感がつきまとう。

「わかりません。ですが、今の男がもう一度来る可能性はないでしょう」

「だろうな」

 ギルダスは短く同意する。

 最後に見せた男の表情には、諦めきった者の気力の無さが刻まれていた。

 これからあの男にはどういった未来が待ちうけているのかわからないが、おそらくそれは自分たちとは関わりのないことなのだろう。

 リゼッタが瞳にわずかに同情の色を浮かべるのとは対照的に、ギルダスは男の存在を脳裏から消し去りつつ問いを重ねた。

「ってことは、他の奴を送ってくるか?」

「その可能性は低いと思います。あちら側・・・・にも、もう交渉の余地はないと伝わっているでしょうから」

「……もうちょっと引き延ばすこともできたんじゃねえか? その方が都合がよかっただろ」

「あちら側の要求は、“すぐにでも私たちにこの森から出ていけ”という単純なものです。段階的に引き延ばせるようなものでもありませんし、それをしてもすぐに見透かされます」

「そういうもんか」

 その手のことに関してあまり詳しくないギルダスは曖昧に頷いた。

「いずれにしても、これで向こうの出方も変わってくるはずです。何が起きてもいいように備えておいてください」

「……ああ、わかった」

 次はどう出るか、新しい交渉人を送ってくるのか、絡め手でくるか、それとも痺れを切らして攻め込んでくるのか――いずれにしろ受け身のこちら側は後手に回るしかない。

 何が起こってもその場その場で最善の手段を選ぶしかないだろう。

 ギルダスは無意識のうちに、周囲の様子をうかがった。もしこの場で戦うことになったら、どう動くべきか――そんなことを考えているうちに、いくつかの不自然な跡が見つかった。

 何か鋭いもので斬られた枝の断面――

 木々の表皮にこびりついた、黒い染み――

 かすかに残る、ギルダスにとっては嗅ぎ慣れた臭い――死臭。

 かつての惨劇の舞台である痕跡は、未だそこらじゅうに残っている。

「かなり死んだな……」

「……ええ」

 沈鬱ちんうつな表情でリゼッタは頷いた。

 ここで何が起こったのか、具体的なことを二人は知らない。

 知っているのは、かつてここにも『フェルカの民』の集落があったことと、そこがある日襲撃を受けたことだけである。

 あまりに突然のことに、住人たちは女子供を含めて多く者が殺されたという。

 そして、その襲撃者たちを率いていたのは、ドーラン辺境領領主――クリアス大森林に隣接する領地を治める統治者であり、またフェルカの民の庇護者ひごしゃであるはず・・の男だった。

「……集落にいる間に、長から話を伺いました」

 硬い口調で話し始めたリゼッタを、ギルダスは見上げた。

「『フェルカの民』と呼ばれる彼らの起源は、もっと南方にあったそうです」

「南方? ああ、言われてみれば……」

 彼らの浅黒い肌を思い出し、ギルダスは納得したように頷いた。南方出身の者の多くは、黒かそれに近い色の肌を持つ。

「彼らの一族は生まれついてからの精錬者が多く、またそれゆえに戦いの技能に長けていたそうです。しかし、その力を危険視されて他の勢力をまとめて敵に回し、やがて敗北しました――」

 しかし彼らは生き残った。

 逃げのびて、自分たちの素性を隠し、その戦いに特化した技能を金に換える職能集団になったという。

「傭兵みたいなもんか」

「そうですね。ですが、彼らの能力はあまりに目立つものだったんでしょう」

 ただ戦が上手いだけの者なら、どこにでもいる。

 しかし彼らは『精錬者』だった。その異能は小規模であるからこそ、かえって注目を集める。

「際だった力を持つ小規模の集団に向けられる反応は大きく分けて二つです」

 すなわち、その力を恐れて迫害するか、味方に取り込んで利用するか。

 時代が変わるたびに、フェルカの民が受ける待遇も変わり――やがて彼らは故郷を捨てる道を選んだ。

 故郷からはるかに離れた土地、人目を避けるような場所に集落を構えたことから、彼らの歴史が生易しさとは無縁であることは想像に難くない。

「力こそ理――乱暴ですが簡潔な彼らのその信条も、この時に生まれたのでしょうね」

 淡々と語るリゼッタの表情には、その時代、彼らがどんな目に遭っていたのかを想像しているのか、うれいが宿っていた。

 力こそ理――すなわち、弱き者に理なく、生きる価値もない。そう断じる価値観が平然と受け入れられるようになるまでの経緯は、険しいばかりだったのだろう。

 リゼッタの話を黙って聞いていたギルダスは――吐き捨てるように言った。

「それがどうした。信条があろうがなかろうが、結局は同じことの繰り返しだろうが」

 非難の眼差しを向けられて構わず、ギルダスはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「昔のことはどうやったって取り返しがつかねえんだ。それに気をとられて今やることを見失うんじゃねぇぞ」

 尖った口調でリゼッタが反論する。

「過去の悲劇を知ればこそ、それを現在でも繰り返すべきではないと考えることもできます」

「知っていても知らなくても、被害を受ける側になってみないとわからないってこともあるぜ?」

 従属し、また迫害を受け――その繰り返しに嫌気がさしたのかは知らないが、場所を移しただけでは彼らの立場が変わらなかった。

 フェルカの民がこの地に移住した際、彼らはその時代のドーラン辺境領領主との間に、“我々の存在を秘匿ひとくする代わりに、有事の際には力を貸す”という契約を結んだ。

 その契約にのっとり、彼らの関係は領主が代替わりしても続けられてきたが――ある日突然に終わりを告げた。

 現に、ギルダスたちが今いる場所は、ほんの少し前まで死体が乱雑に打ち捨てられていた。

 歴史は繰り返される――

 どこかで聞いた言い回しをギルダスを思い出した。

「そんな問答は傍観者にでもやらせておいてください」

 リゼッタにしては珍しく、吐き捨てるような口調だった。

「私たちがやるべきことは、起こるかもしれない争いを止めることです。再び争いが起これば、死者もまた多く出るでしょう。それは避けなければなりません」

「それがわかってれば結構だがな」

 再び鼻を鳴らして、ギルダスは肩をすくめた。

「もう少し……あと数日もしないうちに、話はまとまるはずです。それまで、私たちはやるべきことをやるだけです」

「確かなんだろうな? 聖封教会が裏で手を回して、この件の片をつけようとしているってのは」

“聖封教会がフェルカの民を巡る問題に介入して、争いを防ごうとしている”――リゼッタから聞かされた話だが、いまだに実感がわかなかった。

 というより、世間から隔離された環境にいるため、事実かどうかもわからない。もっとも、聖封教会と一国の陰謀めいたやりとりなど、ギルダス一人では確かめようもないことだった。

 ここ数年の間に爆発的に拡大してきた聖封教会の勢力は、もはや大国のそれにも比肩しうるほどになっている。固有の領土を持たない性質上、その力は大陸各地に影響を及ぼす。

 対して、ドーラン辺境領を含むヴァルト王国は、領土も小さく、軍事力も外交力も際だったところがない小国だった。

 聖封教会が介入する余地は十分にあるが、スケールが大きすぎて一介の傭兵でしかないギルダスにはいまいちぴんとこない。

「聖封教会の司祭のおまえが集落に居座りこんで“盾”になり、領主の側が攻めあぐねている間に国との間で話をまとめる――か。話はわかるけどよ、それにしちゃあちょっといい加減じゃねえか? いくらなんでも、たった一人を送り込んで時間稼ぎをするってのは無茶だと思うぞ?」

「ことが急すぎたんです。それに、わたし一人の命で数百人が救えるかもしれないのなら、決して無茶な判断とは思いません。加えて言うなら、これはわたしだけができる状況にあります」」

 本来なら、リゼッタはただの交渉役として出向く予定だった。

 領主が不穏な動きを見せていることは察していたが、彼が“城下にある教会を封鎖する”という乱暴な手段を使ってくるなどとは想像もしていなかったという。

 結果として領主に対する抑えとなるはずの人員は動きを封じ込まれ、また巨大すぎる組織の性質上、聖封教会の動きは後手に回り――結果として、リゼッタ一人だけで現地での問題に取り組むことになってしまった。

 それに付き合う形になってしまったギルダスにしてみれば、愚痴のひとつも言いたくなるというものだった。

 集落までギルダスたちを案内した密偵の男とも、日に一度は連絡をとりあう約束を交わしていたが、結局はあの時以来顔を合わせていない。代わりに待ち合わせた場所に現れたのは、ドーラン辺境領領主の使者を名乗る男だった。

 捕まえられた、と考えるのが妥当だろう。

「ともかく、聖封教会とドーラン辺境領の主国であるヴァルト王国の取引が成立すれば、今回の件は領主の手から離れます。この森は聖封教会の管轄になり、フェルカの民もその保護下におかれ、彼らに捕らわれている人々も解放できます」

 不用意にフェルカの民の生活区に入り込んだ人々は、その場で捕らえられ、労力として生かされていた。

 もし彼らが殺されていたら、さらに話はこじれていただろう。

「良いことずくめってわけか。ま、ここに住んでいる連中がどう思うかは別だけどよ」

 どこの誰かもわからない、それこそまるで関係のない連中が首を突っこみ、自分たちの仲間を殺した領主との争いを勝手に止めようとしている。おもしろく思わない者がいるのも当然だった。

「憎まれるのは、この問題に介入しようとした時点で覚悟しています」

 言い切ったリゼッタの目を見て、ギルダスは鼻白んだ。

 揺らぎのない瞳だった。

 それは自分の行動が絶対的に正しくないと知りながらも、それをする意志を曲げないことを決意した者の目だ。

(……ったく)

 その目が苦手だった。理屈も損得も通じない、自分のやるべきころを見据えている者の眼差し。

 情に引きずられることなく、後悔に囚われることなく――自分にはないものから、ギルダスは視線をそらした。

(なんでおまえは、そんな目ができる?)

 心の中で呟いた疑問に、答えは当然ながら返ってはこない。

「ですが……一つだけ、確信がもてないことがあります」

 代わりに、どこか迷ったような声が耳朶じだを打った。

 一転して躊躇いを含んだ声音に、ギルダスは思わず視線を戻す。

「ドーラン辺境領領主の考えです。なぜ、彼は協力関係にあったフェルカの民を裏切るような真似をしたのか――」

 さっきまでの眼差しは影を潜め、なにかを考え込んでいるようにリゼッタは顔を伏せていた。


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