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5.フェルカの民(3)

「決は出た」

 朗々とした声が、あたりに響く。

 年齢にしては精気に満ちた老人が、胸を張ってゆっくりと首を巡らせた。

 人垣を割って姿を現したその老人は、ギルダスたちを集落にまで連れてきた男を背後に従えていた。

 彼が“長”なのだろう。集落の住民たちは裁定を待つようにおし黙り、言葉の続きに耳を傾けている。

「我らにとっては力こそがすべてのことわり。ゆえに、今回もそれを元に客人たちの処遇しょぐうを決めることとする」

 老人は眼光鋭くある一点に視線を移した。

「ジド、前へ」

 求めに応じて、壮年の男が出る。つい先ほど揉め事を収めたばかりの男は、眉を寄せて苦い顔をしていた。

「この男は我らが同胞の中で最も強きものだ。おまえたちには、この男と戦ってもらう。代表を一人出せ」

 ギルダスたちに向けて、長が言い放った。

 途端に周囲がざわめく。

 意味が分からず、ギルダスは眉を持ち上げた。

「どういうこった……?」

 同じく事情を呑み込めないリゼッタが、密偵の男に視線で問いかけた。

「……戦いにおける“強さ”が、彼らにとって最大の価値観なんです。ですから、何か問題が起こった時は、その“強さ”で解決する場合が多いと聞きます。今回もそうなのでしょう」

 強張った声の説明を聞き、ギルダスとリゼッタは視線を交わし合う。

「ってことは……」

「あなたの出番ですね、ギル」

「そうみたいだな」

 頷きながら苦笑し、赤髪の傭兵は一歩前へ出た。

 力こそ全て――ある意味傭兵にも通じるその理屈は、ギルダスにとっては非常にわかりやすい。

「おまえか」

「ああ」

 問われるままに頷き、ギルダスは軽く肩を回した。

 ざわめきに嘲笑ちょうしょうが混じる。それがどういう意味なのか――考えるまでもなくわかった。

「正気ですか!?」

 悲鳴じみた声をあげ、密偵がリゼッタに詰め寄る。

「あんな子供に、我々の命を預けるなど――」

(よし、あとでぶん殴る)

 背後の喚き声を耳にしながら、ギルダスは密かに決意を固める。

 相手が何者であれ、結果は変わらないと思っているのか、長の声に揺らぎはなかった。

「この男が歯牙にもかけぬようなら、おまえたちの話は聞く価値すらないということだ。よいな?」

「良いも悪いも、ここまできたらやるこた変わらねェんだろうが」

 軽口で応じ、ギルダスはジドと呼ばれた男に向き合った。

「ま、そういうこった。お手柔らかに頼むぜ」

 口角をつり上げて笑う。

 ジドはしばらくは眉をひそめていたが、やがて渋々といった様子ですぐそばにいた集落の住人に手を伸ばした。

「剣を貸してくれ」

 魂精装具ソレスタでもない、単なる普通の剣――それを受け取ると、具合を確かめるように素振りを始める。

 目を細めてその様子を見ていたギルダスは、区切りをつけるようにして右手を前へと伸ばした。

 自身の右手の先に、あるべき物の形を想像する。

 虚空から、いくつもの光が生み出され始めた。

 その色は、黒と、灰。

 灰色の粒子がギルダスの手元から徐々に結集していく。 つかからつば、鍔から刃、そして切っ先へと一つの剣を象っていく。黒の粒子がいくつも寄り集まり、刀身に彩りを添える。

 光の乱舞が終わった後には、黒の斑模様まだらもようを散らした灰色の剣がギルダスの手に握られていた。

 反りのある重厚な刀身に残った光隣をひと薙ぎで振り払い、ギルダスは腰を落とした。

 赤い髪の少年が生み出した魂精装具ソレスタに、ざわめきが一瞬、途絶える。

(――あなどっているんだったら、それでも構やしねえ)

 静寂が、向き合った二人の間に緊迫感を生じさせる。

(その間にケリをつけるからな)

 土が跳ねた。

 その土が再び地面に落ちる前に、姿勢を低くしたギルダスが一気に間合いを詰める。

 重い剣を持っているとは思えない速度のまま、その半身が捻られる。

 体を動かす力が脇に下げた曲剣へと伝わる。

 同時に動きを止めるために突き立てた左足が“溜め”の形を作り、曲剣をさらに加速させた。

 切っ先が地面にぎりぎり触れない軌道を描き、纏う風を切り裂いて目標へと迫る。

 その斬り上げの一撃は――空を斬る。

 上体をのけぞってかわしたジドの体には、かすりもしない。

 剣の勢いに引きずられて、ギルダスの足が浮き上がった。

 それに逆らうことなく、ギルダスは頭上で手首をひるがえした。切っ先が弧を描く。

 斬り上げとは対称の軌道の、頭上からの斬撃。浮き上がった体が沈みこむ勢いそのままに、不安定な体勢の敵に曲剣を振り下ろす。

 肩から入って斜めに斬り裂くその一撃は、浅い。少なくとも、死なない程度には。

(それでいい)

 狙い通りの展開に、ギルダスは口元を歪めた。

 最初から殺すのが狙いではない。殺さず、しかし決着と見なされる程度の傷を――今の状況で求められる成果はそれだった。

 魂精装具ソレスタの能力は使わない。今の段階で手の内をさらすのは、まだ早すぎる。

 最小限の労力で、定められた目標を果たす。

 そのやり方にのっとって繰り出した不意打ちの連撃、必ず当たるはずの二撃目は――

(――!?)

 虚空を斬っただけで終わった。

「なっ……」

 いつの間にか、男は間合いの外にいた。

 足を引き、同時に半身を引いている。

 斬撃よりわずかに速く、それを実行したのだろう。

 それはすぐにわかった。問題は、いつそれをしたのかわからなかったということだ。

 振り下ろした曲剣の切っ先は地面にめりこんでいる。隙だらけの体勢だった。

(まずった――)

 ギルダスの脳裏に、防ぎようもない攻撃を無様に受ける自分の姿が浮かぶ。

 苦肉の策として、魂精装具ソレスタを手放して距離を取ろうとし――

「……?」

 ジドは動かなかった。間合いの外にいて、じっとギルダスを見つめているだけだ。まるで――何かを計るように。

 怪訝な顔で魂精装具ソレスタを構えなおすギルダスの周囲では、観客と化していた集落の住民たちがさわめいていた。

 目の前で起こった現実が信じられないように驚き、目を丸くしている。

 リリーネは強張った顔で唇を震わせ、リゼッタは目を細めて厳しい顔つきをしていた。

「ほう……」

 ジドの引き結ばれていた口元が、微かにほころんだ。

「すまんな。どうやら侮っていたらしい」

「できりゃあそのまま侮っていてほしいんだがな」

 多少の実感をこめて、ギルダスが応じた。その口元はわずかにひきつっている。

「それは止めておこう。こちらの身が危うくなりそうだ」

 借りられたばかりの剣が地面に突き立てられる。

「これからは、本気でいく」

 ジドの周囲から、光の粒子が出現する。

 否――

 それは光の縁取りをされた、闇というべき存在だった。

 渦巻く“闇”が一つの形を為すまでに、それほどの時間はかからないはずである。

「させるかよ!」

 わざわざ相手の準備が整うのを待つ理由などない。

 土が勢いよく宙を飛ぶ。

 踏み込んだ際に地面にめりこんだ足を、蹴るように跳ね上げた結果だった。

 それが飛礫つぶてとなってジドの顔を襲う。

 遮るように腕を上げた隙をついて、ギルダスは踏みこんだ。

 接近しながらの横薙ぎの斬撃が、ジドの胴体へと迫る。

 手加減なし、殺すつもりの剣撃は後ろに下がってかわされた。

 剣の勢いにつられて体が回転する。その勢いを利用して、ギルダスはさらに前へと踏み込んだ。

 二人の距離が縮まり――剣の間合いのさらに内側に入った。

 剣を握ったままギルダスが繰り出したのは、肘だった。


 ――ガッ!


 ギルダスの口から、獣のような唸り声がこぼれる。

 当たれば肋の一本も砕くであろう肘打ちは、最悪の形で止められていた。

「危ないな。やはり、油断はできん」

 ジドの手に血管が浮き上がり、その掌中にある肘が嫌な音を立てて軋む。

「っ……ってぇ、だろうがっ!」

 とっさに背中に回した手で、隠し持っていた短剣を抜き放つのと同時、肘を固定していた手が離された。

 代わりに太股を狙った一撃はかすりもしない。

 痺れる二の腕を押さえつつ、ギルダスは跳び退いた。

 とはいえ、舌打ちは抑えきれない。

 ジドの手に握られているのは、ひと振りの“槍”だった。

 半身で脇に挟むようにして構えてうまく長さを隠しているが、それでもその程度の判断はつく。

 間合いの有利がある反面、一度懐に入られれば一方的につけこまれるだけの武器だが、それを容易に許す相手とは思えない。

(――どうする?)

 苛立ちに似た焦りが、ギルダスの思考を妨げる。

 これまでの攻防、全て先手をとってきたが、うまくあしらわれた感は否めない。

 勝手に侮っていたのは自分のほうらしい――その事実を認めつつも、ギルダスに白旗を上げる気はなかった。

「……小細工は終いだ」

 小声で呟き、ジドを見据える。短剣を地面に刺し、曲剣は脇に構えた。

 膝をたわめ、腰を落とす。

 見上げるような前傾姿勢は、最初にしかけて防がれたのと同じ構えだ。

 誰もが戦いの最中にいる二人を注視しつつ、息を潜める。

 静寂――意識してのことではなく、自然とそうせざるをえない空気が、周囲を包み込む。

 細く、息を吸い、吐く。

 それを繰り返すうちに、ギルダスの目に映る世界が急速に狭まっていく。

 それでいて、意識は目に映らない範囲にも敏感になる。

 ――前置きは、何もなかった。

 ギルダスの体が前のめりになる。

 ほとんど倒れる寸前まで傾き、曲げた足の踵が地面に刺さった短剣の柄にかかる。

 ――その姿が消えた。


 ダンッ!


 猛烈な踏み込みの音とともに、ギルダスはジドの懐にまで一瞬で潜り込んでいた。

 そこから放つ一手は、小柄な体つきだからこそ可能な膝下を水平に薙ぐ斬撃――どれほどの実戦を経験していても、ここまで低い斬撃を受けた者はまずいない。

 灰色の刃が、地面すれすれに水平な直線を描く。

 それが標的に達する直前――軌道が不自然にねじ曲がった。

「ぐっ……」

(――流された)

 渾身の力をこめた斬撃は“槍”に阻まれ、ギルダスは体勢を崩した。

 一撃で決めるつもりだったため、それを防がれれば大きな隙が生まれる。

 曲剣を振りきったギルダスは、今にも槍を繰り出そうとしているジドの姿を捉えた。

(まだだ――!)

 柄から強引に片手を引き剥がす。

 まだ絶えていない殺意を、見開いた目に宿し――ジドと目が合った。

(こいつ――?)

 途端に殺意が揺らいだ。

 寸前まで手繰りよせていた“奥の手”が、それに反応して遠ざかっていく。

 気づいた時には、首筋に穂先を突きつけられていた。

 

「終わりだ」

 ジドが事実を告げた。

「……ああ」

 ギルダスはあっさりと頷いた。

 崖っぷちに立たされているというのに、恐怖を感じていない。不思議と確信があった。

 時が過ぎる。刃はいつまで経っても、ギルダスの首を切り裂こうとはしなかった。

 ――予想通りの結果に、ギルダスは短く吐き捨てた。

「ったく、とんだ茶番じゃねえか」

 それが聞こえたのか、ジドは槍を引いて構えを解く。

「なんのつもりだ、ジドよ」

 とがめる声音で、長がジドに問いかけた。

「勝負はついた。これ以上やる必要はあるまい」

 周囲から不満げな声があがる。それを遮ったのは、ジドの高らかな宣言だった。

「俺の武は無為むいな人殺しのためのものではない」

 曲がることのない意志のこもった声に、不満そうな声が幾分か静まる。

 ジドは軽く顎を引いたあと、長に向き直った。

「見ての通りだ。この者は見事俺に本気を出させた。のみならず――」

 視線を下に落とす。すねのあたりから一筋の血が流れていた。最後の一撃は、完全に防がれたわけではなかったらしい。

「戦いで傷を負ったのは久しぶりだ」

 言葉とは裏腹に、その口調はどこか朗らかだった。

「ジド、何が言いたい……?」

「長よ。俺の考えは前にも言った通りだ。集落の掟には従うが、俺個人は意見をもたない。俺の次の強い奴の言うことに従う」

 長は忌々(いまいま)しげな眼差しでジドを見つめた。

 軽蔑、憤怒、軽侮けいぶ――否定的な感情に混じり、理解不能な生き物を見つめるような視線がジドに集まる。

 それらを意にも介さず、ジドは胸を張ったままギルダスを手で示した。

「俺はこの者を“戦士”と認める」

 数秒の沈黙のあと、耳が割れるようなどよめきが沸き起こった。

「ジド、正気か!?」

「このような子供に……」

 度重なる糾弾きゅうだんの声にも、ジドは顔色一つ変えなかった。

 話についていけずに、ギルダスは首を傾げる。

「ちょっと待て。意味が――」

「いたしかたあるまい」

 ギルダスの声を遮って口を開いたのは長だった。途端に住民たちはおし黙る。

「この者らの話を聞くことにする。それが我らにとってえきあるものなら、受け入れる」

「本気か!? 長!」

 何度目かわからないどよめきよりも先に、怒りに染まった女の声があがった。

 つい先ほど、ギルダスに矢を向けてきたルキアとかいう女だ。いつの間にか前に出てきていたらしい。

「ルキア、不遜ふそんだぞ」

 長の後ろにいた男が、ルキアをいさめる。

「あたしは長に聞いている! 本気なのか、長!?」

 長が不愉快そうにルキアを睨んだ。

「不満ならおまえが勝ってみせよ」

 怯んだのは一瞬、すぐにルキアの殺意に満ちた目がギルダスに向けられる。

「……やる気かよ?」

 うんざりした声で問いかけたが、答えは火を見るより明らかだった。

 実際のところ、ジドを中心にしたやりとりの説明がほしかったが、相手がその気ならそんな悠長なことも言っていられない。

 首を回して、曲剣を構える――その直後だった。

 何かが倒れる音がしたのは。

「リリーネ!?」

「あん? ……っ!」

 リゼッタの声に反応して振り向く。

 リリーネが、仰向けに倒れていた。

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