4.フェルカの民(2)
もったいぶるでもなく、声の主は姿を現した。木陰から出てきたのは、褐色の肌をした中年の男である。
男はギルダスたちの順に見つめ、眉をひそめた。
「……おまえたち、何者だ?」
(そいつはこっちの台詞だ――)
内心で言い返しながら、ギルダスは口を閉ざしたまま男を睨みつけた。
男はどうやら戸惑っているらしい。相手のほとんどが女子供なのが気になっているようだった。
困惑しているのはギルダスも同じだった。
声をかけられるまで、音も気配も全くしなかった。男の言葉が本当なら、複数の相手に取り囲まれているらしい。それは事実だろう。なにしろ、目の前の男は弓を持っていない。
「私たちは聖封教会の者です」
最初に口火を切ったのはリゼッタだった。
「今回の事態において、あなたたちと話し合いの場を持ちたいと思い参りました。集落の長と会わせていただけないでしょうか?」
「確かにそこの男には見覚えがある」
男は聖封教会の密偵を一瞥し、
「いいだろう」
ある程度話はついているのか、あっさりと頷いた。
拍子抜けするギルダスをよそに、それでも男はしっかりと釘を刺す。
「集落には案内する。ただし、話を聞くかどうかは、長が判断する。だが、妙な真似をすれば殺す」
「その前に、彼だけでも解放していただけませんか? 彼は私たちを案内してくれただけです」
「ダメだ」
ようやく立ち上がったものの、強ばった顔をしている密偵を指してリゼッタが放った言葉は、あっさりと却下された。
「その男を逃がせば、この場所を吹聴するかもしれん」
「ですが、教会との繋がりが絶たれるのはあなたたちにとっても都合が悪いことのはずです」
「……それも含めて、長が決めることだ」
これ以上言葉を交わす必要はないとばかりに、男は背を向けた。
「ついてこい」
「――なるほどな。隠れ里ってわけか」
中年の男について歩く時間はそれほど長くはなかった。 森の最奥部、そこに木々に紛れて建てられた家屋を見て、ギルダスは納得したように頷く。
税を逃れるため、あるいはなんらかの不都合な理由があって、人の来ない土地に居をかまえる――そうした者たちが集まってできる集落はさほど珍しいものではない。
人の密集した町にあるような貧民街とは違い、彼らは存在そのものすら知られていない。だからこそ、“魔の森”などという噂が生まれ、人々が姿を消した理由が、魔境だからというだけで納得される。
集落に着いて早々、先導した男は「待っていろ」とだけ言い残し、姿を消した。
もちろん、解放されたというわけでもなく、いつの間にか姿を現した他の男たちに周囲を取り囲まれている状態である。
(さて……どうしたもんだかな)
しばらくは成り行きを見守ることになるだろうが、場合によっては力尽くで逃げ出すような事態になるかもしれない。
その状況を想定し、ギルダスは周囲を見渡した。
その間にも、木々の陰や家の中から、集落の住人たちがぽつぽつと出てきている。
「おいおい……」
ギルダスは呆れたように呻いた。
着いてからそれほど経っていないにも関わらず、今ではギルダスたちを囲む人垣は、十重二十重にまでに膨れ上がっている。
この集落の住人すべてが集まっているのではないかというほどに数の視線が、中心にいるギルダスたちに注がれていた。
好奇心というほど軽いものではなく、敵意というほど明確なものでもない。ただ、警戒しているのは間違いなさそうだった。
リリーネが、ギルダスの裾を掴む。顔を伏せてはいるが、それでもどんな表情をしているかは簡単に想像がつく。
(無理もねェな)
大の大人ですら、恐怖を感じて緊張するような状況だ。
あえて振り払うこともせず、ギルダスはリリーネの好きなようにさせ――ある点に気づいた。
「リゼッタ」
「何ですか?」
いつもよりも作った感のある無表情で、リゼッタは応じる。
ギルダスは自分たちを囲む集落の住人たちを見回しながら、その耳に口を寄せた。
彼らのうち、何人かは武器を構えている。
剣に槍、斧、弓――不思議なことに、その種類も形もおよそ共通点がない。それどころか――
「こいつら、まさか」
「考えているとおりです」
一瞬、視線をよこしたリゼッタが頷いた。
「彼らのほとんどは『精錬者』です」
「ほとんど……だと?」
色とりどりの武具を手にした集落の人間たちの中で、ギルダスは顔をしかめて短く呻く。
「いや、こりゃあ……いくらなんでも多すぎるだろ。どうなってんだ?」
精錬者はそれほど珍しい存在ではない。大きな町にでも行けば、通りを歩くだけで目にすることもある。
だが、ギルダスたちを囲む数は百人ほど――その中の十人以上が、魂精装具を持っている。もちろん具現化していない者もいるのだろう。
どちらにしろ、この割合は異常だった。
「この地に精錬者を生み出しやすい理由でもあるのか、それとも他に要因があるのか、はっきりとした理由はわかっていません。ですが、彼ら『フェルカの民』は、以前から精錬者を多く輩出する存在だったそうです」
『フェルカの民』――初めて聞く呼称だったが、それがこの集落に住む者たちを指したものだとはすぐにわかった。
「なるほどな……。聖封教会がわざわざおまえをここに寄越した理由がこれか?」
魂精装具を扱える精錬者を監視し、目の届く範囲に置きたがっている聖封教会が、そんな存在を見過ごすはずもない。
ギルダスの問いかけに、リゼッタはあっさりと頷いた。
「そのとおりです。ですが、教会も少し前までは彼らの存在を把握していませんでした」
「あァ? そりゃいったいどういう――」
「何を勝手に喋っている?」
どこからか発せられた怒声が、二人の会話を遮った。
ギルダスは顔をしかめて声のしたほうを振り向く。
人垣を割って出てきたのは、若い女だった。ならしただけの獣の毛皮で褐色の肌を覆い、黒の長髪を後ろで束ねている。
露出度の高い装いだったが、艶やかさよりもむしろ勇ましさを感じる。見ようによっては山賊のようにも見えるが、その瞳に濁ったところはなかった。
女は殺意のこもった目で望まぬ来訪者を睨みつけていた。
「長が来るまで、大人しくしてろ」
「話ぐらいはいいだろうが」
「黙れっ!」
怒りを剥き出しにして女は叫ぶ。そこまで怒られる理由がわからないギルダスは、困惑したように首を傾げた。
女が瞳と同じ、琥珀色の弓を構えた。
それと同時に女の右手のあたりから、弓と同色の光の粒子がぽつぽつと湧き出る。
粒子は舞い踊るように螺旋を描きながら、やがて一つの形に落ち着いた。
たった今形成されたばかりの“矢”が弓につがえられ、その鏃がギルダスに向けられる。
「ここであたしがおまえを射殺したとしても、誰も責める者はおらん。なんなら試してみるか?」
そうしたがっている気配を隠そうともせず、女は弓を引き絞った。その目の奥に本気の色を感じ取り、ギルダスは両手をあげる。
「わかったよ。黙ってりゃいいんだろ?」
なんだかわからないが、ここは言うことを聞いておいたほうがいい――その判断に従い、ギルダスは口を閉ざす。
女は何も言わなかった。腕にこめられた力が緩む気配もない。
(なんだ、この女――)
いくらなんでも、弓を引き絞ったままでいるつもりもないだろう。
それでも構えを解かないということは――
ギルダスは自分の勘違いに気づいた。
この女の抱く感情は、怒りではなく憎しみだ。それも、相当に根の深い。
初対面の相手に向ける感情としては、明らかに普通はない。
困惑の度合いを深めるギルダスをよそに、女の殺意が、だんだんと強まっていく。
それと同時に、その顔から感情が消えていく。
殺意の固まりになっていく女を見据え、ギルダスは緊張を高めた。
放たれた矢がその身を貫くか、虚空を通り過ぎるか――どちらかの結果が出るまで、それほどの猶予はない。
だが、結果はそのどちらでもなかった。
「――ルキア」
張りつめた空間に割り込んだのは、状況をわきまえていないのではないかと思うほど落ち着いた声だった。
その声の主は、人垣を割ってルキアと呼ばれた女に無造作に近づいていく。
剛健――そうした表現が似合う男だった。
鍛えこまれ、徹底的に無駄をなくした体、黒髪のなかに白髪交じり頭を短く刈り込んだその壮年の男は、低い声でルキアに語りかける。
「まだ、決は出ていない」
「ジド……」
怯えたような、怯んだような反応を見せたのは一瞬、女――ルキアは壮年の男を睨んだ。
「こんな時だけ口出しか? “臆病者”が」
はっきりと侮蔑の言葉を投げつけられても、男の表情は変わらない。
まっすぐ向けられる眼差しに殺意が薄まり、ルキアは弓をおろした。
「……ふん!」
怒りに燃えた目でギルダスたちを睨みつけ、そのまままた人垣の中に戻っていく。
「……ふう」
ギルダスはため込んでいた息を吐きながら、力を抜いた。
とりあえずこの場でどうこう、という事態にはならずに済んだらしい。
顔を上げると、ジドと呼ばれていた男も人垣の中に戻るところだった。
一瞬だけ合ったその瞳に、謝罪の色が混じっていたのは錯覚か――
さりげなく足を動かし、ほとんど口を動かさずにささやく。
「こいつらも一枚岩ってわけじゃなさそうだな」
リゼッタは軽く頷き、かいた汗を隠すようにその手を握りしめた。
『フェルカの民』と呼ばれた彼らがどういった問題を抱えているかは今はわからない。
そして、ここに来た目的も未だ完全に理解していない。
だが、その目的を果たす上で彼らの問題には関わらないですむと思うほど、ギルダスは楽観論の持ち主ではなかった。