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3.フェルカの民(1)

 ――時は、七日前に遡る。

 ドーラン辺境領、エスタリア街道――

 雲一つない晴天の下、その街道を行く三つの人影があった。

 どれも小柄で、遠目にも女子供の一行だとわかる。

 とはいえ、さしたる問題があるわけでもない。

 エスタリア街道は地理的にクリアス大森林沿いに造られており、その大森林を挟んで先には隣国がある。

 大森林の上下の切れ目には国境沿いの砦があり、そこには少なくない数の兵士たちが駐在していた。

 砦同士を繋ぐ街道は、いざという時の軍事利用も想定され頻繁ひんぱんに整備されている。

 ところどころに兵士の詰め所もあり――ともかく、この街道で盗賊などの被害にあったという話はほぼ皆無だった。

 行き交う人の数も多く、その姿も周囲を警戒しているようには見えない。

 もっとも彼らとは異なり――三人の無警戒ぶりは、治安の良さ以外にも理由があった。

「寄り道はいいんだけどよ」

 そのうちの一人、赤髪の少年――ギルダスが、どこか締念ていねんを含んだ声で旅の共に問いかけた。

「そこでいったい、何やらせる気だ?」

「着いてから話します」

 とりつく島のない返答を発したのは、人形めいた容姿の女性――リゼッタである。その答えは半ば予想していたものではあるが、もう少し愛想ってもんがあっても――とギルダスは内心独りごちた。

「ったく、どこに行くかも聞かされてないってェのに……」

「なにか?」

「……なんでもねェ」

 無表情の中で唯一険を含んだ眼光を向けられ、口をつぐむ。

 歩きながら空を仰ぐその姿は、どこか哀愁を漂わせていた。

「はぁ……」

(なんで俺ァ、こんなことやってんだろな)

 傭兵の自分が、女子供を道連れ――これはいい。護衛は傭兵の仕事としてはありふれたものだ。

 問題は、自分の今の姿――誰が見ても大人とはいえない、少年の姿をしているということだ

 今の自分を、かつての知り合いが見たら――そのことを想像すると、ギルダスは気持ちが沈むのを抑えられない。 そして、彼がなによりも危機感を抱くのは、この現状に何も感じなくなってきていることだ。

 慣れている?――それだけだったらまだいい。

 認めたくない事実だったが、変わってきているのだ。物事の考え方や、現実に対する受け止め方が。

 その証拠に――

 ギルダスは少し遅れてきている、もう一人の同行者を振り返った。

「おい、ちょっと待った」

 リゼッタに呼びかけて、青ざめた顔で上体を揺らしながら歩く少女に近づく。

 リゼッタも少女の様子に気づき、急いで駆け戻ってきた。

「リリーネ、どうしました?」

 リゼッタが声をかけ、少女の顔色をうかがう。

 その様子を見守りながら、ギルダスは違和感を覚えていた。

 以前の自分なら、遅れているリリーネに苛立ちだけを感じたはずだ。

 だが、今では気遣うリゼッタに同調するような気持ちすら沸き上がっている。

(ったく、どうなってんだ)

 自分の気持ちすらままならない。その事実がギルダスの胸中に陰りを落としていた。

「――大丈夫ですか?」

 心配そうな声が、三人に投げかけられた。

 旅装姿の男が、近づいてくる。

 リリーネの様子を見て声をかけてきたのだろう。人の良い一般人といったところか。

 だが、その認識はすぐにくつがえされた。

 男の声色が変わる。

「マルフィン司祭ですね」

 心配そうな顔をそのままに、男は声を落とした。目を見張るギルダスをよそに、顔を向けることなくリゼッタに話しかけている。

「教会の者です。このままでお願いします。どこに監視の目があるかわかりません」

 リゼッタは動揺する様子もなく、男の顔を確認するように一瞬だけ目を向けた。知っている相手らしい。

「なにか問題でも?」

「街道の真ん中で立ち止まっていたら目立ちます。木陰へ」

 日差しが強いせいだろう。木陰には、他にも休んでいる姿がちらほらと見えた。

 リゼッタはリリーネの肩を抱いて、人のいない木陰へと向かった。あくまで見知らぬ他人を気遣う体を装いながら、男もそれについていく。

 取り残されたギルダスも慌ててそのあとについていった。

 男はリリーネを挟んで、リゼッタと向かい合いに座った。

「それで?」

「町の教会が封鎖されました。司祭を始め、教会の関係者は皆監禁されています。聖封教会の介入を恐れてのことでしょうが……とにかく、彼らとは連絡がとれない状況です」

 リゼッタは眉をひそめ、息をのんだ。

「そこまで……」

「ですから、町に行くのは止めたほうがいいでしょう。拘束される可能性があります」

 目で問いかけるギルダスに気づいていないのか、リゼッタは黙り込んだ。

 何かを考え込む素振りを見せてから、顔を上げる。

「わかりました。それでは直接“現地”に向かいましょう。案内をお願いします」

「私がですか?」

「あなた以外に出来る方がいますか?」

「いませんが……」

 男の顔に、初めて素の表情が浮かび上がった。

 怯えを含んだためらい――どうやらその案内先は、安穏とした場所ではないらしい。

 踏ん切りがつかない様子の男に、リゼッタは取りなすように言った。

「今回の件が終わったら、報告にはあなたのことも含めておきます」

「それなら……」

 男は頷いたのを見て、リゼッタがリリーネに声をかける。

「リリーネ、立てますか?」

「大丈夫です……」

 顔を上げると、リリーネは控えめに頷いた。

 か細い声だったが、意外としっかりとした様子で立ち上がる。

(これなら大丈夫か)

 ギルダスが安心すると、男も立ち上がりリリーネに心配そうな顔に向けたまま声をかけてくる。もちろん、話しかけた相手はリリーネではない。

「少し距離を置いて、ついてきてください」

 あくまで無関係を装いたいらしい。最後までリゼッタ以外をいないものと扱いながら、男は歩き出した。

 先導する男から少し離れて、ギルダスたちも街道を進んだ。その道すがら、ギルダスは小声でリゼッタに話しかける。

「誰だ?」

「聖封教会の密偵みっていです」

「密偵……?」

「情報収集やその伝達などをしている者たちのことです。れっきとした教会の一員ですが、普段は信者や一般人を装っています」

 前を歩く男の背中を見たギルダスの口元が、皮肉気に歪んだ。

「神様拝めてるって割にはずいぶんぞくっぽいヤロウだな。手柄になるとわかった途端に手のひら返しやがった」

「教会の神職でも、定義されている“神”を信じているのは少数派です」

「あん?」

 嘆くわけでもなく、淡々とリゼッタは続けた。

「神の存在を唱えるのは、あくまで魂精装具ソレスタを管理しやすくするための建前――陰ではそう言う者もいます」

「へェ……で、おまえはどっちなんだ?」

 何気なく投げかけた問いは、答えられることはなく――男が急に立ち止まった。周囲を見渡し、急に向きを変える。その方向を見て、ギルダスは不審げに眉をよせた。

「おい、あっちって――」

「行きます」

 リゼッタに促され、ギルダスも渋々歩き出す。

 彼らは街道から外れ、まっすぐ森の方へと進んでいった。

「おまえ、俺の前を歩け」

「え……?」

 首を傾げたリリーネの背を押して、先に行かせる。そのままギルダスは、最後尾についた。

『魔の森』――クリアス大森林に入ったギルダスの目つきは、その異名に合わせたように鋭いものになっていた。


 ――緊張感を維持するにも、限度というものがある。

 魔の森は、ギルダスの予想以上に広かった。それこそ、張りつめていた気がゆるまるほどに。

 あまりに代わり映えしない景色が続くため、同じところをぐるぐる回っているような気さえしてきている。

 案内役の男の足取りから、本当に迷ったわけではないようだが、それでも果ての見えない道というのは精神的に消耗するものがある。

 前を歩くリリーネの様子をうかがいつつ、ギルダスは口を開いた。

「おいおい。さっきからずっと歩き通しだぞ。どこまで行く気だよ?」

 うんざりした内心を隠そうともしない口調だった。

 もう他人のふりをする必要がないのだろう。男は歩きながら振り返った。

 眉をしかめているのは、見た目が子供のギルダスに横柄に声をかけられたかららしい。

「もうすぐだ」

「もうすぐ、ねぇ。さっきから進んでる気がしねェんだが」

 皮肉がこめられた言葉に、男の目尻がつり上がる。立ち止まって見下ろしてくる男を、ギルダスは嘲笑うように見上げた。

 剣呑けんのんな雰囲気が漂い始める。

「――彼のことは気にしないように。案内を続けてください」

「ですが……」

 男の視線が、割って入ったリゼッタに注がれる。その目には、ギルダスの素性を気にするような色がこもっている。

 それに応えたのは、いつもよりもさらに硬質な声だった。

「余計な詮索は無用です」

「……は」

 男は口をつぐみ、歩みを再開した。

 それに続いたギルダスに、歩調を緩めたリゼッタが並んでくる。そのまま、小声でささやかれた。

「ギル。あなたも挑発するような真似は控えてください」

「そんなつもりはなかったんだけどよ」

 肩をすくめてみせる。実際、挑発したわけでもなくギルダスはただ素の態度で応じただけだった。長年の傭兵稼業で擦れた精神は、穏和な対応というものを忘れさせる。

「それより、なんでこんなところに来たのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃねぇか?」

 前を向いたまま、リゼッタは口を閉ざした。それでも、もう黙っている必要はないと判断したとのだろう。

 ギルダスにだけ聞こえるように、言葉を紡ぐ。

「私がここに来たのは、争いを止めるためです」

 予想とはかけ離れたその内容に、ギルダスは絶句した。それに構わず、リゼッタは続ける。

「正確には、あらそいをさせないための“盾”となることですが……とにかく、最終的に問題が解決するまでの時間稼ぎが、私がここに来た目的の一つです」

「ちょっと待て。状況がさっぱりつかめねェんだが。……争いだ? こんなところでそんなもん――」


 ――ドッ。


「……ひっ!」

 くぐもった音の直後、密偵の息を呑んだ声がした。

(――なんだ!?)

 リリーネを引き戻しながら、ギルダスは素早く視線を巡らせる。音の原因は、すぐに見つかった。

「なに……?」

「あ……」

 同じくそれを目にしたリリーネの震えが、ギルダスにまで伝わってくる。

 尻をついた密偵のすぐ前に突き立っているのは――あれは、“矢”だろうか?

「動くな」

 どこからともなく、声がした。

 反射的に身構えるギルダスに、同じ声が警告する。

「複数の矢がおまえたちを狙っている。動くと命の保証はできんぞ」

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