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2.魔の森

 ――世界には、いくつもの『魔境まきょう』と呼ばれる場所がある。

 それは海の真ん中にあり、山の頂にあり、そして――森の奥にもある。

 そこに踏み込んだ者を待ち受けるのは、大抵ろくなことではない。

 忘れられない恐怖を刻まれるか、精神に変調をきたすか、最悪命そのものを失うこともある。

 ドーラン辺境領にある『クリアス大森林』もその一つだった。

 外縁部はただの森と変わらない。猟師も狩りのために足を運ぶし、すぐそばには薪売りの小屋もある。

 しかし、この森のことを知っている者は決して奥にまで足を踏み入れようとはしない。

 奥にまで入れば、決して帰ってこられない“魔の森”――

 それが、クリアス大森林が魔境とされている由縁ゆえんだった。

「――ま、理由を知れば、なんてこたァないんだがな」

 その魔の森の最奥部――“魔境”の只中ただなかにいながら、赤い髪の少年がつまらなそうに鼻を鳴らした。

 ギルダス・ソルード――少年の肉体に傭兵の魂を持つ男がつまらなそうにぼやいたのは、リゼッタと別れてからしばらく歩いた後のことである。

「ったく、どこに行っても変わりゃしねえ」

 足を止め、ギルダスはゆっくりと首を巡らした。

 目に入るのは、立ち並ぶ木、木、木――自然そのままに群生した木の数々が視界を埋め尽くす。

 どこを向いても代わり映えしない景色に、ギルダスはうんざりしたように息を吐いた。

「ぶらつくって言っても、これじゃあな」

 気持ちをまぎらわすような娯楽がなにひとつ見当たらない風景が目の前に広がっている。その中で一人たたずみながら、ギルダスはひっそりと肩を落とした。

「おまけにさっきからうっとおしいったらありゃしねえ」

 枝葉の隙間に見える“本来ならありえないもの”に、ギルダスは目を向けた。

 木々に隠れて分かりづらいが、そこには小屋と呼べる程度の建物が立っている。

 一つだけではない。ここに来るまでの間にも、いくつか同じような建物を目にしてきた。

 そして、その中から感じ取れる穏やかとは言い難い視線――元々機嫌が良くないときに、敵意混じりに視線を向けられておもしろい人間はいない。

(こそこそ覗きやがって――)

 殺気をこめて睨み返すと、視線はすぐになくなった。

 そうした反応は、まぎれもなく人のものである。


 ここ、クリアス大森林の最奥部は、隠者たちの住まう土地だった。

 人目をはばかるように隠れ住むには、森の奥というのは都合が良い。

 茂る枝が立ち昇る煙を消し、舞い散る葉が足跡を覆い隠してくれる。

 家屋は木をできるだけ伐採さいばつしないように建てられており、周囲が木に囲まれている家も珍しくない。その様子はどこか人間が木に気を使っているようで、ギルダスには滑稽こっけいに思えた。

 頭上が枝に覆われている影響で、光が差し込む空間はごく限られるが、そのこともそこに住む者の存在を隠すには一役かっている。

 もっとも、住み慣れない者にとっては、屋外にいるのにも関わらず日の光を浴びれないということは違和感を覚えることでもある。

 それは、ここに来て十日も経っていないギルダスも同様だった。陰気くさい気分になってくるのだ。

「さて……どうしたもんだかな」

 このままだと、落ち着きがない、とリゼッタに指摘された状態のまま帰ることになりかねない。

 適当に鬱憤うっぷん晴らしができそうなものを探しつつ、ギルダスは森の中を歩き回った。

「――ん?」

 ふと――その耳が異音をとらえた。

 鳥や獣の鳴き声に混じって聞こえるのは水の流れる音――川のせせらぎ。

「……ふん」

 鼻を鳴らし、行く当てもないままに足を運ぶと、開けた空間が目の前に広がった。

 一面木が生えておらず、川と呼ぶにはささやかな清流と膝下程度の下草が地面を覆っている。

 射し込む光が、小川の水面に反射してきらめきを見せた。

「へぇ、こんなとこがあったのか」

 ここなら昼寝をするのにもいいかもしれない――ギルダスがぼんやりとそんなことを考え、

「ん……?」

 目を細めた。

 風を切る、かすかな音が聞こえる。細く、鋭く、小さいながらもそれは連続していた。

 聞き覚えのある音に、ギルダスは反射的に足音を忍ばせる。

 音の元は、すぐに見つかった。

 見覚えのある男が一人、小川のそばで棒状のものを振り回している。

 若くはない。だが、老けてもいない。

 浅く刈った白髪交じりの髪に、深い皺が刻まれた口元は男の積み重ねた年齢を表している。だが、褐色の体はそれを感じさせないほどに鍛えこまれていた。

 ギルダスは木陰に隠れつつ、男の決して速いとはいえないその動作に目を見張った。

 突き、払い、降り上げる。言葉にすれば単純だが、それらの動きには一切の無駄が排除され、つけ込む隙がまるで見当たらない。

 長年の鍛錬でのみ到達できる練達れんたついき――

 命のやりとりならともかく、技の完成度を競い合うなら相手にならない――ギルダスの双眸そうぼうが、だんだんと剣呑なものに変わっていく。

(――殺れるか?)

 実際に殺し合うようなことになったら、どう動くべきか――そうした方向には敏感に働く思考に内心苦笑しつつも、ギルダスは男から目をそらさない。

 一度“負けている”相手だけに、その目は真剣な色を帯びていた。


 男の動きが不意に止まった。

 手にしていた得物を下げ、穏やかともいえる表情をギルダスのいる方へ向けてくる。

「悪いが、覗かれるのは趣味ではない。見るのならもっと近くに寄ったらどうかな?」

(――気づいてたのかよ)

 ギルダスは顔をしかめた。

 さっきまで覗かれていた自分が覗いていた側に回っている――そのことにばつの悪いものを感じつつ、仕方なく木陰から出る。

 覗いていたことに文句を言うでもなく、男はギルダスが近くまで来るのを待っていた。その表情は、穏やかな微笑を浮かべたままだ。武骨ぶこつだが、理性も感じさせる微笑である。

(俺にゃこんな笑い方は無理だな)

 自嘲の思いに、口端が持ち上がる。そうした表情の変化にも、男は反応一つ見せない。

「やはり君か。なにか用か?」

「別に用ってわけじゃねえさ」

 警戒を顔に出さないようにしながら、ギルダスはうそぶいた。

「ただぶらぶら歩いてたらここに着いただけだ」

「そうか」

 男は追求するでもなく、一つ頷いた。それから思い出したように、

「そういえば、まだ名を言っていなかったな。ジド、という。憶えておいてくれ」

 ギルダスは困惑顔でジドと名乗った男を見た。

 あと何日ここにいるかもわからない相手、しかも友好とは縁遠い相手に呑気のんきに自己紹介をする男の意図がわからない。

「あー……」

 なんと答えるべきかと、中空をさまよっていたギルダスの視線がジドの手にあるもので止まった。

「変わった武器だよな、それって」

 ジドが手にした棒状のそれは、槍だった。

 ただし、普通の槍ではない。

 刃の反対側にあるはずの石突きがついてなかった。大人の身の丈ほどの柄の両端に、穂先になる刃がついている。

 そして、色も変わっていた。

 一見するとただ黒いだけのそれは、光に当たると緑がかった黒へと変化する。

 もちろん、そんなものが普通の武器なわけがない。

魂精装具ソレスタ』――ギルダスの雇い主であるリゼッタが所属する組織『聖封教会』が、神から与えられた奇跡と定める武具であり、精錬者と呼ばれる能力者たちだけが生み出せる、人の魂の具現化。

 ジドの持つその槍は、紛れもなく魂精装具ソレスタだった。

「変わってる、か。珍しい、とはよく言われるが、慣れればこれはこれで使いやすい」

「ああ、そいつは見てればわかる」

 小回りが利かず、下手をすれば使い手自身を傷つけかねない武器だが、ジドにとっては手足も同然なのだろう。

 さっき見た素振りには、一切の遅滞は見られなかった

「それで、君の名前は?」

「……ギルダス・ソルード。ギルダスだ。憶えとかなくてもいいけどな」

 ジドの微笑が苦笑へと変わる。

「まあ、ちょうどいい機会だ。二人で会えたら頼みたいと思っていたことがある」

「なんだよ」

「君の剣技を見せてもらいたい」

 唐突なその頼みに、ギルダスは面食らった。困惑し、眉をひそめる。

「なんでだ?」

「私が見たいからだ」

「それだけか?」

「それだけだ。それとも、それだけの理由ではダメか?」

「ダメかって言われてもな……」

 頬を掻きつつ、ギルダスは首をひねった。

 本音を言えば――面倒くさい。

「……ああ、ダメだ」

「そうか、残念だ」

 ジドはあっさり引き下がった。槍を下げ、本当に残念そうに首を振る。

「一度じっくり見てみたいと思ったのだがな」

「そんなもん見てどうすんだよ」

「参考にする」

 こともなげに言われ、ギルダスは首を傾げた。

「参考……? そんだけ強けりゃ十分だろ」

武辺ぶへんの道に十分という言葉はない」

 ジドはきっぱりと言った。

「それに、君は強い。その年齢でその腕ははっきりいって異常なほどだ。どこでそれほどの腕を身につけたか気になるところだが……」

 向けられた瞳に、探るような色が混ざる。

 同じような目を向けられるのには初めてではない。ギルダスは顔色一つ変えずに続きを促した。

「だが、その前に訊きたいことがある」

「なんだ? 名前なら言ったぞ」

「そうではない」

 わずかにジドの放つ雰囲気が変わった。穏やかな眼差しが、穿うがつような雰囲気のそれへと変わる。

 威圧的というわけでもないのに圧迫感を感じ、ギルダスはわずかに後ずさった。

 ジドがゆっくりと、口を開いた。

「なぜ“あの時”、本気を出さなかった?」


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