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1.病床の少女と赤髪の傭兵

 日の光にはえるいろどりも、暗がりの中では本来の色を失う。

 あてがわれた家の廊下を歩く少年の赤い髪も、日陰に入ると暗い色を帯びた赤土色に変わり、それほど目立つものではなくなっていた。

 内心を表すように荒々しい足音を立てながら、少年は廊下の奥にある扉の前で立ち止まった。

「――おい、入るぞ?」

 ぶっきらぼうに声をかけて扉を開くなり、途端に顔をしかめた。

 耳についたのは、苦しそうな吐息――

 少年が部屋の隅に設置された寝台に近づくと、横になった少女が眉間にしわを寄せた寝顔を天井に向けていた。

 ここ数日まともな食事をとれておらず、そのせいで頬はやつれている。青みがかった黒髪もほつれ、艶を失っていた。

 この地域でのみ発祥する風土病。大の大人ならただの発熱ですむが、体力のない女子供の場合、下手をすれば死にいたる――そう聞かされた時のことを思いだし、少年――ギルダス・ソルードは険しくなった顔を横に向けた。

 今では命の危機は脱したが、まだ安静とはいえない。これから数日は続くはずの少女の苦しみを想像すると、なぜか重い息が口をついて出た。

 慣れない旅に、気候の変化、住み慣れた土地を離れたことでの気疲れ。少女が病にかかった理由はいくらでも思いつくが、実際倒れるまで体調の変化に気付かなかったのは迂闊うかつだった。

「ギル……ダスさん……?」

 喘ぐような声が、耳朶じだを打つ。

 少女――リリーネが、熱にうるむ瞳でギルダスを見つめていた。

「よう」

 内心を悟られないように気楽な調子で声をかけ、ギルダスはリリーネを眺めた。

「調子は……訊くまでもなさそうだな?」

「……ごめんなさい」

 リリーネはそれだけしゃべると、苦しそうに咳をした。

 無言で寝台の横に置いてあった水差しを差し出す。少女は遠慮がちに口に含み、中の水をゆっくりと喉に流し込んでいった。

 落ち着いたところで水差しを元に戻し、ギルダスはリリーネを見下ろした。

「謝んな。それで治るわけでもねぇだろうが」 

「ごめん……なさい」

「だから謝るなって……チッ」

 怒っていると誤解したのか、少女の目尻に滴が溜まっていく。

 ギルダスは発作的に背を向けた。そのまま開いたままの戸口をくぐろうとして、

「あ……」

 リリーネのすがるような声に足を止めた。

 一度止めてしまった足は、今度は振り向くために動いた。

「ああっ、くそ!」

 髪をかきむしりつつ、ギルダスは寝台に歩み寄る。すぐそばまで寄ると、苦虫を噛みつぶしたような顔で言い放った。

「寝るまでいてやる」

「え……?」

「その代わりだ、早く治せなんて言わねえ。いいか? どうせ治すんだったら完璧に治せ。あとでまたぶっ倒れたりしたらたまらねぇからな」

 一気にまくしたてると、リリーネはきょとんとした顔になった。

「おい、聞いてんのか?」

「は、はい……」

 上擦うわずった声を発した少女の顔が、みるみる赤くなっていく。

(……また熱が上がったか?)

 首を傾げるギルダスから、リリーネは顔を隠すように頭まで毛布を引き上げた。

「あ……あの、ありが……」

「あァ? なんか言ったか?」

「い、いえ……なんでも……ないです」

 毛布の下から吐き出されるか細い声を、ギルダスは聞き逃した。

 なんと言ったか聞き出そうとしたが面倒になり、ギルダスは備えてあった椅子を引き寄せると乱暴に腰を下ろした。


 よほど体力を消耗しているらしく、それほど経たずにリリーネは眠りについた。最後に穏やかな寝顔を見届けてから、ギルダスは足音を忍ばせて部屋を出る。

「ったく、らしくねえことしてんなあ、俺……」

 額にある傷跡をなぞりつつ、深い息を吐く。

 旅の連れではあるが、特別親しいわけではない。借りがあるわけでもないし、ましてや傭兵稼業の依頼人というわけでもない

 病にかかったからといって気にかける筋合いもないが、かといって放っておく気にもなれない。

 はっきりしない気持ちにひっかかるものを感じたギルダスは、頭を振ってもやもやした感情を追い払った

 リリーネが病にかかったのはたまたまであって、この地にきた理由は別にある。小娘一人にかかずらっているわけには――

「……あん?」

 ふと、ギルダスは自分に向けられた視線に気づいた。視線の元を探ると、廊下の奥に一人の女が立っている。 人形めいた整った容姿に、純白を基調としたゆったりとした衣装。

 表情によっては十代の後半にも見える女だが、落ち着いた眼差しを向ける今の雰囲気は、二十代半ばのように思えた。

 ギルダスにとっては見飽きたとも言っていた相手だが、年齢も含め、未だに知らないことのほうが多い存在でもある。

 もっとも、知らなくても特に不満はない。知らなくてもいいことだし、過ぎた知識というのは往々にして足かせにもなりえるということも知っているから。

(……ひょっとして、聞かれてたか?)

 気まずさを隠しつつ、ギルダスは自然な態度で声をかけた。

「リゼッタ……いつからそこにいた?」

 ギルダスの雇い主にして、聖封教会の司祭を務める女――リゼッタ・マルフィンは指を立てると、それを唇に添えた。

 ひとつ頷き、その指を窓から見える外に向ける。その意図を察し、ギルダスはリゼッタのあとについて屋外へと出た。

 陽光が暗がりに慣れた目を刺激する。手の平を額に添えつつ、ギルダスは向きなおったリゼッタと目を合わせた。 物憂げな色を宿した瞳――小ぶりな唇が、そっと疑問を吐き出す。

「リリーネの容態はどうでしたか?」

「まだ熱がひかねえ。動くのは当分無理だろうな」

「そうですか……」

 伏せた瞳が、痛ましさを宿す。続く沈黙に気まずさを覚え、ギルダスはそれを誤魔化ごまかすように口を開いた。

「ここの奴らからもらってる薬……あれは本当に効果あんのか?」

「そのはずです。現にリリーネは意識を取り戻しました」

「そりゃそうだが……」

「どのみち私たちに出来ることは、彼女の無事を信じて待つだけ――焦って治るものでもありません。落ち着いて、もう少しだけ様子を見ましょう」

 淡々と言うリゼッタを、ギルダスを怪訝そうに見つめた。

 なにか? という疑問がその顔に浮かび、ギルダスは思ったことを口にする。

「おまえ……心配してるわりに落ち着いてるな」

「すぐそばに落ち着きをなくしている人がいれば、かえって冷静にもなります」

 思いもよらぬことを指摘され、ギルダスは目を見開いた。次いで、不機嫌そうに眉を寄せる。

「別に焦っちゃいねぇさ」

「そうですか?」

「“魔装具”を探しに来たわけじゃねぇんだ。あいつの力が必要になることもねえだろうよ」

 聞きようによっては冷酷ともとれる言葉だったが、リゼッタの反応は冷静そのものだった。

「素直じゃないですね」

「はァ? なに言ってやがる」

「焦っていないなら、なんでそんなに苛ついているんです?」

「苛ついてなんざ――」

 自分でもわからなかった感情の正体を言い当てられ、ギルダスは吐き捨てたい衝動を途中で抑えこんだ。

 ここで声を荒げれば、苛ついていると自分から認めることになる。それは事実かもしれないが、指摘されたあとにそんな分かりやすい反応を示すのは意地でもごめんだった。

「いや――俺があいつのことで苛ついてるからって、それが本当に“俺自身の感情”じゃないってことぐらい、おまえは知って――」

「本当にそう思っているんですか?」

「……っ!」

 今度こそギルダスは絶句した。

 まっすぐ向けられた瞳が、胸中を探るようにギルダスの瞳を見据える。

 耐えきれずに脇を向いて、ギルダスはふてくされたようにこぼした。

「――知るか」

 二人の間に、沈黙の帳が降りる。

 代わりに森の奥独特の、鳥の鳴き声や、吹き抜ける風で生まれる葉擦れの音が場を支配した。

 静謐せいひつな空間――ただし、その場に漂う空気は穏やかとは言い難い。

 それを破ったのは、リゼッタの唐突な問いかけだった。

「――ギル。あなたに子供はいますか?」

 脈絡のない質問に、ギルダスは一瞬言葉を失う。

「……さあな。はらませたことぐらいはあるかもしれねぇが――」

「はらまっ――!」

 うっすらと頬を紅潮させ、幼い表情を覗かせたリゼッタに、ギルダスはうんざりしながら付け足す。

「“前の体”での話だ、商売女相手のな。それより、なんでそんなことを訊く?」

 咳払いしつつ、リゼッタは目を伏せた。

「いえ……なんでもありません」

「はあ? なんだそりゃ?」

 納得できない表情を浮かべつつも、脇にそれた会話に気を削がれたギルダスは、そのままリゼッタに背を向けた。

「どこへ?」

「適当にぶらついてくる」

 何かを言いかけたリゼッタを遮るように、背中越しに手をひらひらと振ると、

「目立つこたぁしねぇよ。ここで俺たちがどう見られてるかぐらい知ってるからな」

 言うだけ言って、ギルダスはリゼッタとの会話を打ち切り、足を速めた。


 どこか落ち着かない後ろ姿を見送りつつ、リゼッタは呟いた。

「言えませんね、こんなこと……」

 独りごち、押し殺していたため息をそっと吐く。

 ――言えるわけがない。

 苛立ち、逃げるように立ち去ったギルダスのその態度――

 それがまるで、初めて子を持った不器用な父親のようだったなどとは。

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