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26.狂戦士(1)

 静寂――不気味なほどの静けさが、そこには満ちていた。

 ギルダスの言葉は、張りつめて今にも裂けそうだった空気を打ち破り、森に一時の平穏を取り戻させていた。

 真意を探るために、あるいは、言葉の虚実を見極めるために、ギルダスに視線が集中する。

 それを意にも介さず、ギルダスは薄ら笑いを浮かべていた。見る者によっては忌避感を覚えるような、どこか退廃的な雰囲気がただよう笑みである。

 ――生きるために、ジドに勝って自分の力を証明する。

 ギルダスの言葉を単純にすれば、そういう意味だが、そこに覚悟や悲壮感はない。

「……命惜しさに、縁を得た者と戦うというわけか?」

 騎士の疑問に、ギルダスは肩をすくめて応じた。

「そもそもそんなに親しいってわけじゃねェよ。それにな――」

 親指で自分を指し、恥じる様子もなく言い放つ。

「俺は何よりもテメェの命が大事だ。それに代わるようなものなんざねェさ」

 あまりにも堂々と言ったからだろうか。腐っているともとれるその言葉に、騎士は毒気を抜かれたように口をつぐんだ。

「ク、クククク……」

 ――パン、パン、パン。

 代わりに、耳にさわる含み笑いと、ゆったりとした拍子を刻む拍手の音が静寂を打ち破る。

「いやはや――」

 ギルダスが渋面で音の元を見やる。ゆらゆらと揺らめく、それ自体が意志を持つような黒衣の主は、隠しきれない喜悦を声にして表に出した。

「まさか、先に言われるとはね」

「……だろうな」

 半ばうんざりした思いを隠すことなく、ギルダスは頷いた。

 騎士を止めるわりには、ギルダスたちを逃がすわけでもない。それに、さっきからの道化師の言葉には、いちいち含むようなものが感じられた。

 ようするに、元々けしかけるつもりだったのだ。

「さて――」

 道化師が黒衣を翻す。

 その仮面の先には、憮然ぶぜんとたたずむ騎士がいる。

「ということだ。どうするかね?」

「時間の無駄だ」

 あっさりと切って捨て、前に出ようとした騎士の前に、ふらりと道化師は立ちふさがった。

「いや、これは心外。だが少し待ってほしい。君は彼の実力を見きったつもりかもしれないが、彼はまだすべてを出し切っていないよ。それに――」

 振り返り、手で示す。

「よく見てみるといい。彼本人はともかく、彼の内に眠るもう一つ・・・・の魂には伸び代がある。ここで終わらせるには惜しいと思わないかな?」

「なに……?」

 騎士は立ち止まって、道化師の言葉に顔をしかめたギルダスの、さらに奥にある何かを見定めるように眼を細めた。

 射抜かれるような眼差しを浴びて、思わず後ずさったギルダスに、背後から声がかけられる。

「ギル……本気ですか?」

 険しい声で問いかけてきたのはリゼッタだった。ギルダスは振り返りもせず、

「本気だ」

 あっさりと答える。

「これ以外にここを切り抜ける手はねえ」

 あったとしても、元よりそれを思いつく頭もない。

「だからといって――」

 責めたてようとしたリゼッタを、ギルダスは振り向いて睨みつけた。

 挑むような目と、視線がぶつかり合う。数秒の間、睨みあった後、

「へっ……」

 ギルダスは薄く笑うと、視線をそらした。

 リリーネとルキアに一瞬だけ顔を向け、再びリゼッタへと戻す。その目は、口元の笑みとは対照的に真剣な色を帯びていた。

 音を発することなく、口が動く。

 隙をついて逃げろ――

 唇の動きを読んだリゼッタが、小さく息を呑んだ。迷ったように目を伏せた後、頷き返す。

「待て」

 割り込んできたのはルキアだった。ギルダスの笑みが、しかめ面へと変わる。

「ジドを殺す気か? もしそのつもりなら、その前にあたしがおまえを――」

「はっ、言っている場合かよ?」

 口調は軽い。が、その言葉の奥にある激情に気づいて、ルキアは思わず口をつぐんだ。

「話は聞いてたろうが。ここがどこだか、忘れたんじゃねえだろうな」

「……?」

「もしここで、今のジドが野放しにされたらどうなると思う?」

 冷たく告げられ、血の気の引いたルキアの顔がさらに青白く染まった。

 クリアス大森林に住むのは、動物たちだけではない。ルキアの生まれ育った集落――そこに住まう者たちもいるのだ。

 騎士と呼ばれる男が、ジドをどうするつもりかはわからない。だが、もしあそこに行かせでもしたら――そのことを想像して、ルキアは唇をわななかせた。

 今のジドは、見境がない。ルキアですら殺そうとしたのだ。相手が同族だろうと、遠慮なくその槍で貫こうとするだろう。

 絶句したルキアから顔を背け、

「……おまえらのためってわけじゃねえ。俺が今からすることは、全部俺のためだ。黙って見てろ」

 ギルダスはそう吐き捨てた。

 同時に、

「――よかろう」

 濃霧のようにその場に満ちていた殺気が、ひゅっと音を立てたようにしぼんで消える。

 振り返ると、騎士が大剣を鞘におさめていた。

「貴様の思惑通りに事が進むのは気にくわん。が、たしかにそ奴の内に宿りし魂の器は、凡百のものとは違うようだ」

「おや、というと?」

「もしやということもある。貴様の余興につきあってやろう」

「それでこそ。さすがは騎士殿、興というものをわかっておられる」

「見え透いた世辞などいらん」

(――勝手に言ってろ)

 不気味な含み笑いをこぼす道化師と、たいして期待はしていないと言いたげな騎士に、ギルダスは内心で吐き捨てた。

 この二人にとって、自分はせいぜい暇つぶしの道具でしかない。

 ――そんなことは、とっくにわかっていることだ。

 だが、今はそれでいい。

 どんなに雑に扱われようが、手のひらの上で踊らされようが、今は命をつなぐことがこの場での勝ちの条件だ。

(こいつらも含めてな)

 背後にいる三人のことを尻目にして、ギルダスはつい苦笑いをこぼす。自分の命すら危ういのに、他人のことを気にかけている自分が妙におかしかった。

け、我が期待に背きし者よ。貴様の相手は後でしてやろう。今はその男を――殺せ」

 騎士の言葉に反応して、今までぴくりともせずにたたずんでいたジドが一歩を踏み出した。噴き出すだけで方向性のなかった殺意が、すべてギルダスへと注がれる。

「あんた相手に、手加減はできねえ」

 殺意だけの存在になったジドを、ギルダスは臆することなく見上げた。

わりいが、腕の一本ぐらいは我慢しろよ」

 ――元より、楽に勝てる相手とは思っていない。

 とはいえ、負けるつもりもない。前回と違い、この場での負けは死を意味する。

 一撃で、終わらせる――

 その決意を胸に、ギルダスは曲剣を正面に構えた。振り回す剣の勢いを御するのではなく、剣身一体となって斬撃を繰り出すいつものやり方を、今回ばかりは止めにする。

 ジドの得物は槍、一手目はおそらく突き――

 その突きをいなして、腕を切り落とすイメージを脳裏に焼きつけ、考えるよりも先に体が動くようにする。

 両穂の槍を構えて、じりじりと間合いを詰めてくるジドを、ギルダスはその場で待ちかまえた。

 その黒く染まった両の眼を見て、雑念が沸き上がったのも一瞬、頭を軽く振ってそれを振り払う。

(考えるのは後でもできる。今は――)

 ジドの一挙動に、意識を集中する。

 長く引き延ばされたような時の経過が、ギルダスの額に汗を浮かびあがらせる。

 足で踏みしめる草の感触や、肌を撫でる風の強さが、いつもよりはるかに五感を刺激した。

 二人の距離が、詰まる。

 ジドがギルダスを間合いにとらえたその瞬間――時間がさらに濃密に圧縮された。

 ジドの肩がかすかに震え、ほぼ同時に、閃光のような突きがギルダスめがけて繰り出される。

 ギルダスにしても、目に止まらないほどの速さの突きである。反応できたのは、あらかじめそうくると予想していたからに過ぎない。

 刃がギルダスの胸を貫く直前――曲剣の刃が、槍の柄と触れ合った。


 ギャリッ――


 耳障りな音を立てて、槍の軌道がずらされる。必殺の一撃は、ギルダスのわきをかすめるにとどまった。

「っ――!」

 曲剣を翻す。切っ先が弧を描いた。あとは振りおろせば、前に突き出されたジドの腕が二つに断たれる。今さらそのことに躊躇いはない。狙うべき腕を見据え、

「なっ!?」

 愕然とギルダスは目を見開いた。

 イメージ通りのはずだった。ほんのわずかな遅滞もなかった。

 だというのに、刃を叩きつけるはずの腕はそこにはない。それはすでに、槍を繰り出す前の位置へと戻っていた。

(はや――)

 驚愕する暇もなく、ぞくりと、胸に中央に貫くような冷気がはしる。

 曲剣を振りかぶった体制のまま、ギルダスは上体をひねる。

 二度目の突き――胸元を熱い感覚が疾り抜けた。

 それが痛さへと変わる前に、ギルダスは剣を振りおろす。灰色の刃は何を斬ることもなく、空を滑った。

 ジドが飛び退いて距離をとる。

 追おうとしたギルダスの胸から、血が噴き出た。胸を横に走る傷は浅い――が、ギルダスの斬撃はかすりもしなかった。

 打ち負けた――

 その事実に動揺するわけでもなく、ギルダスは胸に刻まれた傷をまじまじと見つめた。

「へっ……」

 自嘲の笑みがこぼれる。

 自分のあまりの馬鹿さ加減に、笑わずにはいられなかった。

 何が腕一本――? 今の攻防で死んでてもおかしくはなかった。

 そもそも、戦う相手を殺さずにすませようなんて考えること自体が思い上がりだった。そんなものは、よほどの実力差がある場合だけに考えていい話だ。

「そうだよな……あんた相手に殺る気なくすませようってのはムシのいい話だよな」

 ぽつりと呟いたその口の端が、歪に吊り上がる。

 ジドの冷たい殺意とは異なる、天敵を前にした獣のような殺気がその体から溢れる。

(今は、こいつだけを――)

 意識の隅にあったリゼッタを振り捨てる。

 道化師も、騎士も、リリーネもルキアも――それらすべての存在を、ギルダスは意識から切り離す。

 深く息を吐き、ギルダスは再び曲剣を構えた。

「ほう――」

 その変化を感じとってか、騎士が短い感嘆の声をもらす。

 一撃目をかわす前と今のギルダスの雰囲気は、一変していた。

 今のジドが、操られていることを、ギルダスは知っている。

 ふりまく殺意が、本人の意思でないことも知っている。

 知った上で、

「いくぜ」

 ぽつりと呟き、ギルダスは一切の躊躇いを捨てた。

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