19.強襲(3)
声もなく、飛び出した。
木陰から姿を現した小柄な存在に、まだ若い一人の兵士が気づく。彼は一瞬緊張したように口元をひきつらせて、次いで戸惑いの表情を浮かべた。
半端に持ち上げた剣が、その内心を語っている。
――なんで子供がこんなところに?
ギルダスの存在を知らず、賊を討伐するのが目的だと信じこまされているその兵士にとって、いきなり現れたギルダスの存在は不可解なものでしかなかった。
だから――
その少年の伸ばした手に、黒と灰色の粒子が集まった時も、それが剣の形を為した時も、すぐには反応できなかった。戸惑いが驚愕に変わると同時に――兵士の体を衝撃が襲った。
刃を返した曲剣で横薙ぎにされ、兵士の折り曲がった体が宙に浮く。数人の仲間を巻き込んで地面に倒れたときには、すでに気を失っていた。
ギルダスが敵意を行動で示したことで、同じように戸惑っていた兵士たちの目の色が変わった。剣を、槍を、それぞれが持つ武器を構える。
しかし、遅い。
ギルダスはすでに兵士たちの中へと入り込んでおり、兵士たちの攻撃は同士討ちを恐れて鈍ったものになっていた。
周りのすべてが敵であるギルダスの動きに、遠慮はない。
「がっ!」
「いっ!」
立ちはだかる兵士の腹を柄で突き上げ、横にいた兵士には曲剣を叩きつける。ほぼ同時に二人の兵士が崩れ落ちた。
「なんだこいつ!」
「っ……! つ、強い!」
「気をつけろ! 精錬者だぞ!」
早くも及び腰になっている兵士たちを、ギルダスは容赦なく叩き伏せていった。
刃側でないとはいえ、鋼鉄の塊と変わらない質量を叩きつけられているのだ。下手をすれば死ぬ。
そうと知りつつも、ギルダスに躊躇いはない。死なないかもしれないぎりぎりの威力を、曲剣に乗せていく。
本陣に近づけさせまいと攻撃してくる兵士もいるが、ごく散発的だった。
それでも彼らとてやられっぱなしではない。前と後ろから、ギルダスを挟撃するような連携が繰り出された。
示し合わせたかのような連携だったが、それが成果を得ることはなかった。
前の兵士が横薙ぎにした刃を身を沈めてかわし、背後から突き出された穂先は曲剣で受け流す。
ギルダスに背後の敵を倒す必要はない。前にいる兵士の肩口に曲剣を降りおろし、悶絶する様を見もせずに陣幕へと近づく。
陣幕にたどり着くまでに、ギルダスは七人の兵士を地に伏せさせていた。
陣幕の手前にいた兵士が、自ら道を空ける。怯えた顔で、化け物を見るような目をしていた。
その兵士に歪な笑みを見せ――ギルダスは曲剣を振りかぶった。
「オ――ラァッ!」
次の瞬間、陣幕は斜めに斬り裂かれていた。内部の様子を隠していた赤い布地が、無惨に垂れ落ちる。
その隙間から、ギルダスは中に飛び込んだ。
「ハァ!」
その瞬間を狙ったのだろう。ギルダスの眼に映ったのは、自分自身に迫る槍の穂先だった。
◆
元々、リゼッタの人の死に対する忌避感は強いほうだった。
それがさらに強くなったのには理由がある。ある一件で雇った傭兵が、彼女の目の前で死んだのだ。
無惨な死を迎えたその傭兵の姿を見て、彼女の死に対する恐怖と嫌悪はさらに増した。
味方も敵も――
知り合いもそうでない者も――
寿命でもなく、他の誰かに理不尽に命を奪われる、そうした事態はどんな事情であっても我慢できるものではない。リゼッタの心には、そう強く刻み込まれた。
もちろん、感情と理性は別だ。
世の中には更正の余地もなく、死んだほうがいい人間がいるということも知っている。
目的のために、やむを得ない――そう思うだけで、反吐が出そうだが――そうした場合があることもわかっている。
ましてや、自分のそうした感情を他人に――ましてや、そう思うようになった発端の傭兵に押しつけるのは、ずいぶんと都合のいい話――リゼッタはそう自分を自嘲していた。
「いえ……」
発作のように沸き起こった罪悪感と自己嫌悪を、一度だけ目を閉じて追い払う。
――自分を蔑む暇があったら、やるべきことにその時間を使ったほうがいい。
そう思い定め、目を凝らした。そこでは、ちょうどギルダスが陣幕を斬り裂いて中へと飛び込むところだった。
(うまくいけば、私の出番はもうすぐ――)
ガッ――
そう思った直後、リゼッタは後頭部に強い衝撃を受けて、意識を失った。
◆
待ちかまえていた兵士の放った一撃は、防ぐことなど不可能なはずだった。
ギルダス自身も、意識しての行動ではない。気づけば、曲剣の斬撃は槍の穂先を宙に斬り飛ばしていた。
「なっ……?」
呆然としている兵士が手に持つ、中途半端な長さになった柄を握り締める。一旦引くと見せて、すぐに押し返した。
反射的に踏ん張った兵士が、真逆の方向に力を加えられて体勢を崩す。再び刃を返して曲剣を叩き込むと、男の脚が鈍い音を立ててへし折れた。
倒れた兵士が絶叫を耳にしながら、ギルダスは息を整えて陣幕の中を見渡した。
突然の襲撃者に、ほとんどの兵士が硬直している。
その視線がギルダスの持つ曲剣に注がれたあと、ある一点に移った。
――陣幕の奥に座った、初老の男。ギルダスを見て、半端に腰を浮かせている。
ギルダスの目が細まる。
(――テメエか)
男がドーランであることを確信すると、ギルダスは兵たちの間を走り抜けて駆け寄った。
「待てィ!」
その前に、一人の兵士が立ち塞がる。
使い込まれた剣と鎧。どっしりとした構えでギルダスを睨みつけている。
一目で腕利きと判断するや、ギルダスは体を捻っていた。曲剣の切っ先が、地面にすれるほど低くを疾る。
「オラァッ!」
ギルダスの下方から持ち上げるような斬撃に、
「フンッ!」
迎え打つのは頭上から斬撃だった。
――ギィインッ!
刃同士がかみ合い、弾かれる。
弾かれた度合いは、ギルダスのほうが大きかった。
男が上半身をのけぞらせただけなのに対して、ギルダスは弾かれた勢いをこらえきれず、背中を向けている。
――少なくとも、男にはそう見えた。
好機は逃さんとばかりに、男が再び刃を振りおろすため、腕に力をこめる。
その目が驚愕に見開かれた。
背中を見せていたギルダスが、さっきよりも速い斬撃を繰り出してきたのだ。
弾かれた勢いを、そのまま斬撃に乗せて。
振り向きざまの一撃に、男はかろうじて反応する。横に立てた剣が、甲高い音を立てて斬撃を防ぐ。
「っ……!」
ギルダスの攻撃はそこで終わらなかった。
体が反転する。今度も背中を見せての、全身を使った斬撃である。
風を斬り裂き、唸りを伴った刃はさきほどと同じ軌道を描いた。
再び受けようと男の構えた剣が、今度は弾かれそうになる。
力だけでなく、曲剣の重さと勢いを完全に活かした連撃である。
単調で大振りにも見えるが、その速さと鋭さは男の動きを完全に封じていた。竜巻のような猛攻に、反撃することもできない。
周りにいた兵士たちも、その勢いに圧倒されて動けない。下手に手を出せば、自分たちが巻き込まれる――それほどの攻勢だった。
――ドッ!
「あ……?」
防ぐだけで手一杯だった男の体を、衝撃が襲う。
斬撃とは違った鈍い痛みが全身に広がっていく。
痛みよりもまず不思議さを感じたかのように、男は体を見下ろした。
――鎧に守られていない胴体、脇の下にギルダスの拳がめりこんでいた。
「なっ……? ……が……はっ」
さっきまで曲剣の柄を握りしめていたギルダスの両手が――今は片手だけとなっていた。
斬撃の途中で片手を離し、それを拳にして打ち込んだのだ。攻撃が単調だったのは、男の意識を拳に向けさせないためでもあった。
「ぐうっ!」
くぐもった悲鳴をあげながら、それでも男は戦意を失っていなかった。
真下にいるギルダスに、柄を打ちおろしてくる。
一瞬反応が遅れたギルダスの背中を、柄頭がかすめる。かい潜るようにそれをよけ、ギルダスは一歩踏み込みながら上体を捻った。
身を翻しながらの斬撃は、男の無防備な背中を襲い――ギルダスが最後の回転が終えた時、男の体から血が噴き出した。
全身の力を失い、男は前のめりに倒れる。
「悪いな、手加減する余裕はなかった」
柄頭がかすめた背中が熱をもっている。
一瞬リゼッタの顔を思い浮かべてから、ギルダスは駆け出した。邪魔な兵士を叩き伏せ、ドーランに肉薄する。
「ぐあっ!」
走る勢いを乗せた蹴りが、ドーランを地面に転がした。起きあがろうとしたその首に、血のついた曲剣が添えられる。
「――終いだ」
背筋を凍らせるような声が、ドーランの頭上から降ってきた。
「き、貴様……何のつもりか」
「喋んな」
歯噛みするドーランの首を、ギルダスの手がその見た目にそぐわない力で掴んだ。首を圧迫され、ドーランは痛みを感じるとともに、言葉を失う。
「ぐぅ……!」
「領主様!」
「旦那様!」
「……てめえらも動くな。こいつの首を落とされたくなけりゃあな」
主を助けようとした兵士たちを、ギルダスは睥睨する。
兵士たちは顔を悔しそうに歪め、動きを止めた。動揺が走り、それは陣幕の外にまで伝わっていく。
硬直する場の空気を破ったのは、陣幕の外のざわめきだった。
ざわめきの中に、女、という単語を聞き取ったギルダスは声を張り上げる。
「その女を通せ! 無傷でだ! さもなきゃあ――」
添えられた刃が、ドーランの首に一筋の傷をつける。
「待て! わかった! ……言うとおりにする」
答えたのは近くにいた老人だった。この場では唯一兵装していない。おそらく、従者か何かなのだろう。
老人の指示を受けて、兵士の一人が陣幕の外にまで駆けだしていく。
あとは現れたリゼッタが名乗りをあげれば、ギルダスの役目は終わる――はずだった。
現れた女の姿を見るまで、ギルダスはそう確信していた。
「なんでおまえが……」
それだけ言って絶句する。
裂かれた陣幕をくぐって入ってきたのは、琥珀色の瞳の女戦士――ルキアだった。